第5話 24
バルコニーへ続く大窓から降り注ぐ月光の下、薄暗い室内で光源となっているハクレイ様と、その足元に正座する大賢者様。
『良~い~? お姉ちゃん、いつも言ってるけどぉ、おセイちゃんは感情だけで動き過ぎなのだと思うのよ~』
腕組みしながら右手人差し指を立て、足元に正座する大賢者様を見下ろしながら、ハクレイ様は仰います。
誤解と思い込みでわたしに襲いかかった事を、ハクレイ様は咎めているのです。
対する大賢者様はといえば、先程までの恐ろしいまでの魔動は鳴りを潜め、うつむきながらもハクレイ様の一言一言にうなずきを返されているのですが……
その口元に時折笑みが浮かんだと思うと、それを自覚してきゅっと表情を引き締めたりしています。
――ああ……きっと、本当に本当に……心の底から嬉しいのでしょうね……
ハクレイ様の記憶によれば――
大賢者様と黄の賢者様のおふたりは、非合法思想団体が掲げていたA.T.C計画によって生み出されたのだそうです。
その団体は星間賞金稼ぎと呼ばれる、冒険者のようなお仕事をなさってる方々によって壊滅させられたそうで、生み出されたばかりだった大賢者様達は、その時に星間賞金稼ぎ達に同行していた先代青の賢者様とハクレイ様に引き取られたのでした。
つまり大賢者様にとって、ハクレイ様は姉や母親に等しい存在と言えるのでしょう。
ハクレイ様自身は姉として接していたようですが、記憶に垣間見る幼い大賢者様の表情は、間違いなく母親に向けるそれでした。
『……こ~らぁ? おセイちゃん、ちゃんと聞いてる~?』
ずっとうつむいたままの大賢者様に、ハクレイ様は不意にしゃがみ込んで顔を覗き込みます。
「――む!? き、聞いてるぞ? ああ! 聞いておるとも!」
『そもそもその喋り方はどうしたの~? あなた、モノベ先生を真似て、ワシとか、のじゃ~って言ってたじゃない?』
「――それはっ!!」
ハクレイ様のその言葉に、大賢者様は顔を跳ね上げました。
そして顔を真っ赤に染めて、慌ててわたしに言い募ります。
「――リディア、違うからな!? あたしが厨ニ病だったとかじゃないからな!? のじゃロリとか呼ばれてないからなっ!?
ハ、ハク姉、昔説明しただろう? モノベ先生から青を継いだばかりの頃、皇宮役人のバカどもがあたしの事を二代目の小娘とナメて見るから口調を真似てるんだって!」
『でもぉ、今はおギンちゃんの口調を真似してるのはどうして~?
あなた元々は自分のこと、ボクって呼んでたのに……』
「ああああああぁぁぁ――――ッ!?」
大賢者様は赤かった顔をさらに紅く染め上げ、奇声を上げて立ち上がりました。
そうなのです。
ハクレイ様の記憶にある幼い頃の大賢者様の口調は、まるでクロちゃんみたいなものだったのです。
いえ、むしろクロちゃんが、あの頃の大賢者様をマネているのでしょうか?
「見ろ! 頼むからあたしの記憶を見てくれっ! それでわかる! わかるはずだからぁ――」
頭をワシワシと両手で掻きむしりながら、大賢者様はハクレイ様に必死に――真っ赤なお顔に涙まで浮かべながら訴えました。
『え~? 昔は覗かれるのイヤって言ってたじゃない? お姉ちゃん、おセイちゃんも思春期かぁって少し悲しかったのよぉ?
帝国禁書庫レベルの防壁まで張り巡らしてたし……』
「――良いからぁ! ほら、接続鍵を送ったから! 見て! そしてこれ以上、あたしの黒歴史を口に出さないでッ!」
ああ、どうやら口調の話は、大賢者様にとって恥ずかしい過去なのですね。
例えるならお友達と遊んでいるところに、突然親が割って入って暴露話を始めたようなものでしょうか?
『そ~お? じゃあ――』
大賢者様が伸ばした魔道と、ハクレイ様の光体が繋がります。
『…………ふぅん』
数秒ほど目を閉じていたハクレイ様がゆっくりと目を開き、そして大賢者様をふわりと抱き締めました。
本来は光体のハクレイ様は、なにかに触れたりできないはずなのですが、わたしの魔道器官を通して念動の魔法を喚起することで、擬似的に触れているようですね。
『そっか……そっかぁ。おセイちゃん、頑張ったんだねぇ……』
ハクレイ様の目にも涙が浮かびます。
「うん……みんな……ほんっとにバカばっかでさぁ……生き延びる事より、すぐ、あ、争って……そのたびにあたしは……あたしはさぁ……ふぐっ――ああぁぁ……」
大賢者様は天井を見上げて、まるで子供のように号泣しました。
ハクレイ様の記憶は<書庫>を通してわたしにも観えるのですが、ハクレイ様はいま観た大賢者様の記憶に制限をかけたようで、わたしに流れ込んでくる事はありませんでした。
『あらあらぁ……お姉ちゃんより年上になったのに、おセイちゃんはやっぱりいつまでもおセイちゃんで、安心したわ~』
と、ハクレイ様は大賢者様の頭を胸に抱き込み、優しく撫でながらそう仰いました。
『……おセイちゃんはそれでも、大事な人達の為に頑張ったのよねぇ。
――こんな世界じゃ、もう誰もあなたを褒めてくれないのに、それなのに一生懸命……ずっとずっと……<三女神>の加護さえ希薄なこの星で……』
初めて出会った時と同じ――いいえ、あの時よりさらに優しい声で、ハクレイ様は大賢者様に囁きます。
『だから、今だけはお姉ちゃんが目一杯、おセイちゃんを褒めてあげる。
偉い……偉かったよ。おセイちゃん……』
「ぐうぅぅぅ……ああああぁぁぁぁ」
長らく溜め込んでいた激情のすべてを吐き出すかのように、大賢者様の嗚咽が一際大きくなりました。
そんな大賢者様を抱き締めて、涙しながら優しく微笑むハクレイ様を見て……
……ああ、すごいなぁ……
と、わたしはそう思うのです。
ハクレイ様が大賢者様の過去になにを観たのか、残念ながらわたしにはわかりません。
ですが、ハクレイ様が見舞われた、あまりにも壮絶な最後は識っているのです。
アリシアから聞かされた、イリーナ様の過去も凄絶なものでしたが、ハクレイ様はそれ以上――死ぬことすら許されず、魂の隅々に至るまで蹂躙の限りを尽くされたのです。
その行いにハクレイ様は復讐を願っても良いはずです。
あるいは助けてくれなかった、大賢者様達に罵声を浴びせたって良いはずなのです。
それなのに……ハクレイ様はなお大賢者様達が大切で、大好きで……今も大賢者様の身の上に共感して、涙なさっているのです。
王宮を追われてもなお、カイルを救いたいと願うアルと言い――
絶望に沈められた先でも、さらにもがき、前に進もうとするその魂の在り方が、わたしにはひどく眩しく見えて……だからこそ、力になりたいと思ってしまうのです。
せめて、もっとずっとこうしてお話しさせて差し上げたい。
そう思うのですが……
「……あ……」
不意にドクン、と激しく胸の奥が締め付けられる感覚。
足元に開いた魔芒陣が明滅を始め、それに呼応するようにハクレイ様の光体もまた、明滅しながら薄れ始めます。
同時に、わたしの視界一杯に白黒の細かい点が広がり出して――
『……あら~、初めてなのにちょ~っと無理させ過ぎたわねぇ……
おセイちゃん、時間切れみたい。リディアちゃんを頼むわねぇ』
それが広がるにつれて、心地良い感覚と共に意識が遠のいて行きます。
「――は? ハク姉!? いや、リディア!? おいっ!?」
慌てた声で大賢者様が駆け寄ってきて、倒れゆくわたしを抱き留めてくれたようです。
ですがその時にはもう、目の前は完全に黒一色で……
わたしの意識は、その黒の中に溶け込んで行ったのです――




