第5話 23
「――ぐぅ……だ、だい、賢じゃ……様?」
突然の事にわたしはワケがわからず、そう漏らすのが精一杯でした。
「――アンタ、何者だい?」
鋭い視線と低く押し殺された声。そしてなにより心臓を鷲掴みにされたような、冷たく鋭い圧倒的な魔動。
知らず身体がブルブルと震え出します。
ジョニスさんに襲いかかられた時より、遥かに恐ろしい……
「……その騎種銘は人類会議――いや、大銀河帝国皇室においてさえ秘中の秘。
この星で語られた事は過去一度もなく、当然、霊脈にも登録されていない銘だ」
喉を掴む指にさらに力が加えられ、わたしに口は空気を求めてパクパクと喘ぎます。
「――<既知人類圏>でも知る者は三十にも満たないはずの、その銘を知っているおまえは誰だ?」
「……なに、か……ごかぃ……」
首を振りながら、わたしは必死に訴えましたが、か細い声しか出せません。
「――当ててやろうか? <誓約>に意図的に綻びを開けるほどの位階にある邪神教団の巫女ならば、あの人から得た知識で知っているはずだ。
そうだろう? ドクター・エルザっ!!」
鋭く叫んだ大賢者様の手に、<光閃銃>が出現します。
――このままでは誤解されたままに殺される!?
そう感じた瞬間――わたしの右手が弾かれたように跳ね上がり、宙に虹色の陣図を描き出しました。
刹那、わたしと大賢者様の間が陽炎のように揺らぎ――わたし達は目に見えないなにかに弾き飛ばされました。
わたしは床に投げ出され、一方、大賢者様は驚愕の表情を浮かべながらも両足で床に降り立っていました。
と、不意に視界に――詞が浮かびます。
それはあの日、グランゼス城で魔物に襲われた時と同じように、まるで早く唄えと急かすかのように明滅を繰り返していて――
「――ゴフ! ゴホッ……ぐぅ……」
締め上げられた喉が痛むのを堪えながら、必死に息を吸い込んで。
「……正体を現したね?
くたばっちゃ居ないと感じていたが、まさか身内になりすましてるとは!
どういう理屈かは知らんが、なるほどアンタら狂魔道学者なら封印解除もできるだろうさ!」
光閃銃の銃口をこちらに向けながら、大賢者様は王宮でアルがそうだったように、鋭い眼光に獰猛な笑みを浮かべて、こちらに踏み出します。
「……おねが……します! はなし、を……聞いてくだ、さい!」
「なおもリディアを騙ろうってのかい? 一度、解体して魂に聞いた方が早いようだね?」
視界に浮かぶ詞は、今や赤く染まって激しく瞬いています。
「とりあえず、いっぺん死んどきな!」
そう宣告すると共に、銃爪に指が掛けられて。
だからわたしは立ち上がって、あらん限りに叫びました。
「――ッ!! このわからず屋っ!
――目覚めてもたらせ! <白の鍵>ッ!!」
「――なッ!?」
わたしの喚起詞に応えて、<書庫>から最適な魔法が選び出され、胸の奥からさらなる詞が込み上げます。
同時に大賢者様の指が銃爪を引き絞りました。
「――あ、しま――っ!?」
意図せずだったのでしょうか。ご自身でも驚きの声を上げられて。
青い輝きが客間を染め上げた、その刹那――わたしは詞を声に乗せました。
「――結びなさい! 事象停滞場ッ!!」
漆黒の障壁が光閃を停止させ、そのまま舞台の緞帳が閉じられるように、漆黒は室内を駆け抜けて大賢者様を覆いました。
――首から上だけを残して。
「……定形詞ではない、原詞の停滞場……」
身体を停滞場に固定された大賢者様は、驚愕に目を見開きながら、わなわなと唇を震わせています。
わたしはぶっつけ本番の大魔法の喚起に肩で息しながら、噴き出した脂汗を拭いました。
「……そしてなにより、あの喚起詞! まさか……そんなまさか――」
ようやく話を聞いてくれる気になったのか、大賢者様は期待に満ちた目でわたしを見つめています。
「――は、はい……今、お喚びします」
「……喚ぶ、だとぉ!?」
わたしは頷き、いまやわたしの魂に刻まれた――あの方が唯一の希望とすがった唄を世界に紡ぎます。
「――それは絶望の底に遺された一縷の願い……」
わたしの魔道器官が霊脈に接続し、<書庫>の深奥に隠されたあの方の秘儀を喚び出します。
「……いかにこの身が穢されようと、世界の深奥に沈めたこの心は純白を保つだろう……」
足元に魔芒陣が開き、初めての儀式級大魔法の喚起に、痛いくらいに胸が鼓動を穿ちます。
「……くぅっ……ッ!
か、隠した魂が百に裂かれ……仮令すべてを消されたとしても――」
目の前が真っ赤に染まり、背筋がひどく冷たく感じましたが……
わたしは唄を紡ぎ続けます。
――ただただ胸の奥の鼓動が、ひどく熱く狂おしく脈動するのを右手を添えて確かめながら……
「――この想いは『世界』が認め、きっと……いつか届くと信じてる……」
……あと、一節……残すは喚起詞だけ……
――だから!
決死の想いに込められた情愛に、わたしは深く息を吸い込んで、世界に響かせるのです。
「応えて……<白の記憶>……」
瞬間、純白が室内を染め上げて――
『――や、久しぶりだねぇ。おセイちゃん……』
わたしと大賢者様の間に、光体の女性――白の賢者ハクレイ様が顕現なさったのです。
……でき、たぁ……
「……ハク……姉なのか……?」
呆然とあの方の名を呼ぶ大賢者様の青い目が揺らぎ、やがて大粒の涙が溢れ落ちました。
わたしは両手を打ち合わせて停滞場を解除しました。
ハクレイ様が待ち望んだ感動の再会の相手が、拘束されていては締まりませんからね……
「――先程の精曜法士という騎種銘は、この方に教えて頂いたのです」
それでも急に襲われて、本当に怖かったのだから、言い訳くらいはさせて欲しいと思ってしまったわたしは、心が狭いのでしょうか。
『……ホントにねぇ……あなたって娘は、昔から一度思い込んだら、こうよねぇ……』
と、ハクレイ様は両手を顔の左右にあてがって、前に突き出す仕草を見せて大賢者様に苦笑を向けます。
「――そのすっとぼけたトロい口調……マジでハク姉だ……」
『む、おセイちゃんってばぁ、そんな風に思ってたのぉ?』
あ、ハクレイ様、ちょっとイラっとしましたね?
そんな白の賢者様の内心に気づかず、大賢者様は床を蹴って駆け寄ります。
「――ハク姉ッ!!」
両手を広げてハクレイ様に飛びつき――
「あ、大賢者様、ハクレイ様は――」
……忠告は間に合わず。
直後、大賢者様はハクレイ様の光体をすり抜けると壁に激突して、床に倒れ込みました。
『……ホント、変わらないわねぇ?』
再び先程の仕草を繰り返し、ハクレイ様は床に倒れた大賢者様を見下ろしてクスクスと微笑むのです。
『とりあえず、おセイちゃん、そこに正座ねぇ?』




