第5話 12
ババアはリグルドと直接の面識はないそうだが、魔神教育を受けていた父上や母上、モントロープ女伯から、若者時代の人となりは聞かされていたのだという。
血統はともかくとして、家系の上では王族の一員となるリグルドは宮中行事のたびに俺の両親達と接し、年上の先達として様々な事を教えていた――よき兄貴分だったのだという。
「多少、気弱なところはあったようだが、ミハイル達が語るリグルドは――恐らく母親の影響だろうね――誠実で心優しい、本当によくできた青年だったと思うよ……」
そう語るババアの言葉は、俺にはにわかには信じがたい話だった。
俺が爺様に政を預けられた時――ヤツはすでに外務大臣となっていた。
頻繁に城と国外を行き来していて会うのは重要報告がある時くらい。
だから正直なところ俺が知るヤツの人となりは直接接したものより、伝え聞く噂や状況によって推測するものによるものが多かったんだ。
城内の大半の声はババアが今語ったような、心優しい――人徳の人という印象。
だが、俺は幼い頃にトランサー領都でイライザ親子が巻き込まれた事件の事もあって、ヤツをどうしても信用し切る事はできなかった。
人の噂というのはどうしたって尾ひれ胸ビレが着く。
俺自身、幼い頃は無能王子と多くの貴族らに蔑まれた。
それが一転、執政を預けられてからは――そう見えるように振る舞っていたのもあるが――悪逆な暴君と噂されるようになったからな。
とはいえリグルドを信用できないまでも、精力的に仕事に励むなら多少の汚職は必要悪と考えていたのも事実だ。
些細な小遣い稼ぎで外交が円滑に回るなら、国にとってはそれが正義だからな。
綺麗事を貫いて自縄自縛に陥り民を飢えさせるくらいなら、為政者は汚い事をしてでも国を、民を富ませなければならない。
その為に法は堅苦しい記述で文脈を曖昧にし、為政者に対する《《抜け道》》を用意しているんだと、俺は帝王学で学んでいる。
もちろん理念の上では、為政者は常に清く正しくあるべきなのだろうが、国が多くの人々によって構成される集団である以上――個々が主張する千差万別の正義を優先するわけにはいかないんだ。
だからこそ法が存在するのだし、なにより為政者にとっての正義とは、国と、そこに属するより多くの民に利するものでなくてはならない、と、俺は考えている。
そしてリグルドもまた、そういうタイプの人間だと考えていたんだ。
俺とは違う形で――清廉潔白を装いつつも、裏では汚れ仕事もきっちりこなし、国の為に動いてくれている臣だ、とな。
むしろそういう後ろ暗い部分を他者に感じ取らせない点は、高く評価すらしていたくらいだ。
信用はできないが、外務大臣としては信頼はしていた。
だから正直なところ、ババアが語る『気弱ながらも誠実で心優しい青年』というリグルド評が、俺が知るあいつとは一致しないんだ。
たしかに俺の中のリグルドの印象は、実際に接した数少ない機会と関わった事件、そして城内の噂から導き出したものなんだが……
「――そりゃそうさ。あんたが知るリグルドと違っていて当たり前だ。
その説明をしてやろうっていう話なんだからね……」
俺の考えを読み取って、ババアはため息を吐く。
「……結論から言うと、恐らくはリグルドは先代コートワイル侯――ヤツの父親であるレオンに成り変わられている」
「――なっ!? 天帝と似た状態ってそういう意味か!?
……てことは、先代コートワイル候も悪魔のような状態に!?」
「いや、状況的にアグルスの技術の一部は流用しているだろうが……アレとは別系統――どちらかと言うとあたしの研究テーマに近いモンだね」
いよいよ理解が追いつかなくなって混乱する俺に、ババアは硝子のコップを創り出して水を注ぎ、落ち着くように言って手渡してくる。
「……あんたもイリーナがカイルを産み落とした後の事は観せられただろう?」
俺はうなずく。
アリシア自身があまりの惨状に狂乱し、ひどく断片的な光景であったが――アレは叔母上の身体を使った凄惨な人体実験だった。
「レオンの目的は魔道器官の移植だった。
イリーナの強大な魔道器官を扱いやすい女――あの段階では、アイリスを想定していたようだが――に移し、より魔道的に優れた子を生み出そうと考えていたようだ」
「だが、叔母上は生き延びていただろう?」
叔母上が魔道器官を失っていたなら、アリシアはミスマイル公国で叔母上と出会えていない。
「……実験を繰り返す中で、目的が変わったんだろうね……」
アリシアに観せられた叔母上の記憶では、先代コートワイル候はより強大な魔動を持った子を生み出し、その子を玉座に着ける事を目的にしていたようだが……それが変わった?
「あの魔道研究所には大魔道ヘンルーダに師事し、第三文明の研究施設で知識を得たスクォールがいたようだからね。
恐らくはあたしがイリーナに与えた『鍵』に気づいたんだろう」
「……『鍵』って、さっきの神話の話にも出てきたな。
邪神教団が欲しているとかなんとか……
――なぜそれが叔母上に?」
「あの子は生まれつき強大な魔動を持ち――それゆえに現代人類の封印された肉体では耐えきれない、いわゆる魔膨症にあった。
当初は封印を解除して霊脈に魔道を接続できれば解決すると、あたしは考えていたんだけどね……それだけでは足りなかったのさ」
叔母上が秘めた魔動は神代の大魔道――大銀河帝国においてさえ指折りになれるだけのもので、それこそババア達七賢者に迫るほどのものだったのだという。
「大霊脈に接続できていたなら、あの子の魔動を受け止めきれたんだろうけどね、孤立したこの世界の霊脈では到底、耐えられるもんじゃなかったのさ。
――だからあたしは対処として、あたしが持つ『鍵』を複製して、あの子に与えた」
「……そこがわからん。
さっきの話だと、『鍵』ってのは、ババアの<書庫>に接続する為のものなんだよな?」
<書庫>ってのは魔道教育で習ったから知っている。
魔道士が魔道や研究知識をなにかしらの媒体――多くは銀晶を加工した魔道器なんだが――に記録したもので、優れた魔道士になると霊脈に直接刻んでいたりする。
独自に組み上げた魔法なんかは、それを閲覧する事で即座に喚起できるんだ。
現代魔道学では、一般的に用いられる魔法の多くは霊脈のどこかにある共用<書庫>の集積体――<記録庫>を無意識に閲覧して喚起していると考えられているんだったか。
俺自身、この身体になる前はババアに教えられて霊脈に独自の<書庫>を構築し、いくつかの独自魔法を記憶させていたんだ。
「あたしら七賢者は知識探求の徒だからね。<書庫>もまた特殊だったのさ。
あんたらが言う神々の世界――既知人類圏に生きる人類は最盛期には垓を超える人口を誇っていたんだ。
星々の海に無数に散らばった人類が、それこそ毎日のように独自の発想を元に魔法を構築し、その成果を論文として大霊脈に公表する。
いかにあの世界の魔道士が長命とはいえ、そのすべてに目を通してたら人生なんてあっという間に終わっちまうだろう?
だから、あたしら賢者委員会に属する賢者達は、本来は不正閲覧防止機構である『鍵』に、もうひとつ機能を付与していてね。
……それが大霊脈を常駐監視して、大霊脈に公開された新魔法を見つけるたびに、<書庫>に追記していくという蒐集機能だったのさ」
「……よくわからんが……ババアが俺達によく使ってた促成教育器みたいなもんか?」
あれを使われると、知らなかった知識を強制的に知っている事にされるんだ。
「そうだね。アレは『鍵』の理論を魔道器に転用したもんさ。
――話をイリーナに戻すと、『鍵』はこの世界でも霊脈に常駐して稼働するからね。
それに魔動を費やすことで、あの子の魔膨症を緩和させようと考えたのさ。
あとはあたしの<書庫>を閲覧して、時々、大魔法を喚起する事で魔動を発散させようって考えもあった」
「……ババアの推測だと、それをスクォールが見つけた、と?」
だが、ババアは苦笑して首を振る。
「それなら話は簡単で、ヤツの閲覧を制限するだけで良かったんだけどね……イリーナが人体実験を受けていた時点で、『鍵』はカイルに移されていたようなのさ」
「――はぁ!?」
「あくまであたしの推測だけどね。
……あの子は自身の素質がカイルに受け継がれ、その魔動がレオンに利用される事を恐れて魔道器官に封印を刻んだ。その時に『鍵』もまた移したんだと思う。
アレが稼働している限り、魔動はそれに用いられるからね」
封印に加えて、『鍵』の稼働に魔動が使われていたからこそ、カイルは庶民程度の魔動しか持たず、封印が解かれ、アリシアの鍛錬を受けてなお下位貴族程度の魔道だったてワケか。
「だからスクォールが見つけたのは『鍵』の残滓――最後に閲覧していたであろう、魔道器官に関するあたしの研究知識だったんだろうさ。
……そして、それこそがレオンが求めていたものだった……」
ババアは深く吐息して首を横に振る。
「……魔道器官の移植法。
レオンはスクォールを通して、そこに付随する研究成果を知ったんだ……」
「付随する研究成果?」
「……身体の置換――魂の移植さ」




