第5話 6
「――トル! 起きてよ、ドクトル!」
頬を叩く感触に目を開けると、ぼやけた視界に赤と紺のコントラストに彩られた空に無数の流れ星が横切っていく光景が飛び込んできた。
身体中が痛い。
苦痛に身をよじると、手が濡れた砂の地面に触れた。
先程から聞こえているのは波の音のようだ。
知らずに砂を掻いた手を寄せる海水が洗う。
「ドクトル!? 起きた!? ああ、よかったぁ!!」
と、あたしの胸に飛び込んで来たのはクロだ。
いつもの愛玩形態ではなく――砂浜に引き摺った跡が残っているから、恐らく海に落ちたあたしを運ぶ為だろう――小娘時代のあたしによく似た見た目の幼生形態を取っている。
身に着けているのはクロ自身も気に入っている、船出前にスカーレットの奴が贈っていた漆黒の汎用礼装だ。
子供好きのあいつは《《邪神認定されたあの娘達》》を失くしてから、その後継である<完璧な九機>や幼生形態のクロを着飾らせるのに腐心していたからね。
ぼんやりとした頭でそんな事を考えている間も、クロはあたしの和式礼装の胸に顔をグリグリと押し付けてくる。
「――魔道器官が停止しかけてさぁ! さすがのドクトルでも今回ばかりはホントにダメかと思った~!」
海水でずぶ濡れになった黒のツインテールを振り乱し、金色の瞳から大粒の涙をこぼしながら必死に言い募るクロ。
「……あたしが……そうそう簡単にくたばるワケないだろう?」
カラカラの喉から吐き出された声は、まるで自分のものとは思えないしわがれたもので、あたしは顔をしかめながらもクロの黒髪を撫でてやる。
それから左手の量子転換炉を喚起して経口補水液を造り出し、一息に煽って喉を潤した。
「ふぅ……んで、ここは何処だい?」
ひと心地着いて周囲を見渡したが、何処かの海岸という事しかわからない。
直前の事を思い出そうとするが――
「――クソ。記憶が混濁してるね……」
船団総督府司令部から緊急の呼び出しを受けて、転送路に乗った所までは覚えてるけど、気づけばここで倒れてたんだ。
「竜が出たんだよ」
と、クロは困惑気味にあたしに告げる。
「――竜だって!?」
「うん。そもそも司令部がドクトルを呼び出したのが、竜が顕現する兆候を感知したからだったみたいなんだ」
普段から船団の霊脈内に意識の半分を常駐させていたクロが言うなら、事実なんだろう。
「取得できてた時軸記録によれば、ボクらが転送路に乗った瞬間、物理距離一〇万に顕現したみたい」
亜光速巡航していた船団にとって、その距離は高速道路で前方車両が不意に積載物を落としたようなものだ。
「――距離一〇万!? 戦略占星術士はなにをしてたんだい!?」
正直、避けようがない。
だからこそ戦略占星術士は大霊脈に接続して時標を読み解き、未来を予知して船団航路を安全に導く使命がある。
当然、竜の出現予測もその任務のひとつなんだ。
「……それがどうも王竜級の個体だったみたいでさ……」
クロの言葉にあたしはため息。
竜が人類とは異なる独自の魔法で物理法則を捻じ曲げる事は知られているが、中でも王竜級や神竜級と呼ばれる個体に関しては、三女神に匹敵する事象干渉力を持つと言われている。
船団屈指のハイソーサロイドからなる戦略占星術士達といえども、所詮は三女神の権能を又借りしてる存在に過ぎない彼らが、個で三女神に匹敵する能力を持つ王竜に抗い切れるものではない。
「――戦略占星術士の未来予知認識外からの顕現だったって事かい……」
「うん。船団は異界から降りて来た竜の時震をモロに浴びて大混乱。
霊脈も情報氾濫しちゃって、総督が退避指示を出しても行き渡ってなかったみたいだ」
「……結果、戦略占星術士による航法が確立してからは――少なくとも人類間では絶対に起こり得ない衝突事故が起こってしまったというわけだ」
あたしが知る限り、最後に船同士の衝突事故が起きたのは、戦術予報器さえ導入されてなかった頃――大航海時代まで遡らなければならない。
実に千数百年ぶりの稀少事案。
「――で、船団は?」
自分の置かれている状況も気になるが、これでも技術顧問として船団評議会に議席を預かっている身だ。
優先すべきは船団市民の安否だろう。
あたしの問いに、クロはうなだれて首を横に振る。
「取得できてる記録によれば、護衛艦群を含む外縁船団は時震に呑まれて大破――あるいは時空間の裂け目に墜ちて消失……
中央船団は総督の指示に従い、緊急回避の為に強引に短距離転移を敢行したみたいだけど、竜が空けた時空の裂け目に干渉されて座標及び時標設定が狂ったみたいで……」
「……物理座標だけじゃなく、時軸まで含めての不図跳躍になったって事かい……」
ため息しか出てこない。
……文字通り、いつ、何処に飛び出すかわからない運任せの転移だ。
「――結果として、主船を含む中央船団の三割がこの惑星の高度二〇万に顕現し……」
と、クロは頭上を見上げる。
すっかり赤く染まりきった空に、今も絶え間なく流れ続けている流れ星……その正体が、あたしにもはっきりと理解できた。
「突然、惑星の大重力に捉まって自重で自壊、か……」
ランドシップ級――全長一〇〇キロある主船フガクは惑星降下用には建造されていない。
人類がその技術の絶頂を極めていた<大戦>期なら、あの規模の船をカバーできる重力制御器も造れたんだろうが、今となってはあの魔道器を形成する重力干渉素子自体が稀少物質となっていて、フガクには搭載できなかったんだ。
フガクだけではない。
恐らくはその周囲に配置されたフォートレス級――一〇キロ越えの船も、フガク同様に自重によって自壊しているだろう。
「ボクの計算だと、フリート級――それも慣性制御器が搭載されたバトルシップ以外は地表まで無事には辿り着けないと思う……」
暁色に染まった空を駆け落ちて行く流れ星――船団の名残りを見上げながら、クロは力なく呟いた。
「……とはいえ、こうして生存可能なホーム型惑星に辿り着けたのは、不幸中の幸いと言うべきなのかね」
皮肉げに返すと、クロもうなずく。
「竜害――時震の最中にボクらが転送路に入ってたってのも含めてね」
「ああ、そうか。転送先が不図跳躍しちまったもんで、あたしらの顕現先まで狂っちまったのか」
どうやらそれであたしらは船の自壊に巻き込まれず、こうして一足早く地表に辿り着けたらしい。
「……クロ、あたしらの船はどうなったんだい?」
ここが何処だろうと、この旅の為に七賢者が拵えてくれたあの船があれば、少なくとも生活に困る事はないはずだ。
そう思ってクロに訊ねたんだが、クロは濡れたツインテールを揺らして首を振る。
「……中央船団が跳躍に入る直前に竜に呑まれたのが確認されてる。
――というより、竜はボクらの実験船目掛けて突進して来たようにも見えたよ……」
その答えに、あたしは思わず呻いた。
「……アレが竜の逆鱗に触れちまったのかね?」
あたしが船で拵えていた、クロの――<象創咆器>の対となる次世代騎士用兵装。
――<幻創咆騎>。
移民船団が<誓約>に護られた既知人類圏の外――未知領域を征く以上、いずれ接触が予想される『あの連中』に備えて開発していた新型騎だ。
<大戦>において、魔法戦闘に主体を置いた兵騎では連中に抗い切れないのは実証済み。
人類が辛くも――形の上だけはなんとか勝利らしいものをもぎ取れたのは、純粋な戦闘によるものじゃないって、あたしら魔導科学者の間じゃ証明されちまってる。
あれは単に運がよかっただけだ。
――人類会議によって集められた百人のハイソーサロイドが<三女神>の加護を受けるに足る器を持っていて……
――邪神認定されて廃棄処分された、万能機の後継――<万能な九機>の開発と配備が間に合って。
……そして人類の切っ先となる八人の英雄が、たまたまあたしらが生み出した技術を十全に振るえるだけの能力を秘めていたという――
偶然に偶然を重ねて、無理矢理世界からもぎ取った……勝利とはとても言い難い時間稼ぎだったんだ。
――それもまた運命という必然だよ。
と、運命論者の師匠は言ってたっけね。
そんなのクソくらえだ――と。
そう考えたからこそ、あたしは戦後、その運命さえも捻じ曲げる――いや、運命こそを力の源とする法器と法騎の開発に着手したんだ。
「……それがまさか竜に睨まれるとはねぇ……」
<大戦>より遥か以前――<大航海時代>から人類と竜属は共存とまではいかないまでも、敵対せずに来れたんだが……
竜にとって法騎は赦されざる存在という事なのだろうか。
だが、それならばクロが見逃されている点が疑問となる。
「……んん~、わからんっ!」
砂浜に大の字に寝そべり、あたしは大声で叫ぶ。
「そもそも竜の考えなんて、推し量れるものじゃないでしょ……
案外、お腹が空いてただけで、船団を餌にしようと考えて――結果、実験船が食われたって事もあるかもよ?」
「……どっちみち失くしちまったもんは仕方ない。
人は手持ちの札で勝負して行くしか無い――ってのは、おギンちゃんの言葉だったっけね」
酒と博打をこよなく愛する同僚を思い出しながら告げれば、不安げだったクロの表情に苦笑が浮かぶ。
「そのモットーであの人はいつも博打に負けて金欠で、銀河皇帝三代に渡って返し切れない借金してるじゃん」
「身近なところから運命に抗ってるんだって、本人は主張してるけどね」
と、あたしもまた苦笑を浮かべ、砂浜の上に上体を起こす。
「――ともあれ、だ。
まずは船団の生き残りを探して、この惑星上の探索だね」
最悪死んでいたとしても遺体さえ見つけられたら、量子転換炉で再生器を造って復活させられる。
「……手持ちの札で、やれるトコまでやってみようじゃないか」
あたしは気軽にクロにそう告げると、量子転換炉で移動の足となる気圏輸送機を形成した。




