第5話 5
ラグドール領城は城という呼び方こそしているものの、その造りは他領と大きく異なる。
この地に拠点を築いた当初の行政施設が、最初期の防壁内に点在しているというもので、それらの中央に先程リディアがマチネ先生に説明していた物見塔――天守閣とラグドール伯爵家の領主館があるんだ。
領主館は城下の建物同様に木造土壁に漆喰を塗った造りで、屋根に瓦が敷かれた造りをしている。
ああ、そうだ。
バートニー村にイゴウが造った共同浴場の外観が、よく似た造りをしている。
一見すると平屋なんだが恐ろしく部屋数があって広い上に、奥の方――天守閣と接続した部分なんかは三階まであったはずだ。
日が暮れている為に今は雨戸が閉じられているが、日中はそれが取り払われて、庭に面した木張り廊下が開放された形になる、不思議な造りの館なんだ。
廊下だけじゃない。
部屋も独特な造りだ。
特殊な草を編んで作られた畳が絨毯代わりに敷かれた床。
部屋を囲む壁は襖と呼ばれる、美しい模様が描かれた厚紙を張った横開きの戸になっていて、隣室と繋がっている。
廊下に面した戸は障子と呼ばれる格子木戸に純白の紙を張ったものだ。
地下大迷宮にあるババアの庵もそうなんだが、書院造りと呼ばれるこの建築技法は湿気に強いんだそうだ。
湿地帯を干拓して発展してきたラグドール領に適した建築様式というわけだな。
また、襖を開け放つと部屋同士が繋がって広間として使う事もできる。
マチネ先生はもちろん、知識としては知っていても実物を見るのは初めてのリディアも、この屋敷の不思議な造りを興味深そうに見回していた。
「まあ、この造りなのは増新築したこの客間部分だけで、奥にある旧館――天守の辺りなんかは従来の建築様式なんだけどな」
と、ロイド兄はそんな二人に説明する。
幼い頃に訪れた時はこの新館に宿泊したのだが、今回、俺達はその旧館に向かっている。
俺は前回同様に新館の客間でもよかったし、リディアやマチネ先生も初めて見る目新しい建築様式に興味津々だったのだが、今回はロイド兄の婚約者であるエレ姉や、自身の部屋があるマリ姉が旧館に泊まるという事もあって、俺達も同じように旧館に部屋を用意してもらう事になったんだ。
ロイド兄は宴の用意をさせるとか言い出したんだが、さすがに朝からの移動に俺はともかく、みんな疲れ果てていたから遠慮させてもらい、夕食の後は早々に休ませてもらう事にした。
マチネ先生なんて、夕飯前に風呂に入った辺りから眠たそうに目を擦ってたからな。
「……で? なにしてんだ?」
与えられた旧館客間に入ると、俺はバルコニーで月見酒と洒落込んでるババアに声をかける。
俺のロイド兄への言伝を携えてラグドール辺境伯領に向かったババアは、そのまま天然マッドサイエンティスト――スクォール導師の対処に当たっていると、モントロープ女伯から聞かされていたから、この地に居る事には驚きはない。
導師の行方を求めて、彼の生家があるラフドール領内を捜索するって言ってたからな。
ババアは恐ろしく巧みに魔動が抑え込んでいるようで、部屋の前に来るまで気づかなかったほどだったが、それもきっと霊脈が不安定なこの地を考えての事だろう。
問題はなぜヤツが、俺に与えられた部屋で優雅に地酒で晩酌キメ込んでるのかって事だ。
俺の問いかけに、ババアは俺を見据えて小さく鼻を鳴らす。
ババアの青い瞳が白い月光を浴びて虹色に波打ち――
「……イリーナの魂の残滓を観たようだね……」
恐らくは俺の魂を読み取って、そう問いかけてくる。
叔母上がそういう事ができていたのだから、ババアも当然同じ事ができるのだろうと、今なら理解できる。
昔から妙に勘が鋭いというか――やたら見透かすような事を口にしていたんだが、何の事はない、俺や周囲の記憶を読み取っていたと言う事なんだろう。
うなずく俺に、ババアはお猪口に注いだ酒を煽る。
「――図らずもあんたは世界の真実の一端に触れたってわけだ」
吐息を漏らしたババアは、お猪口に新たに酒を注ぎながら言う。
「ホントはスクォールの件が片付いた後にでも、時間を取るつもりだったんだがねぇ」
と、ババアはすぐ横の床を叩いて俺に座るように促す。
「まったく、あんた達はとことん、あたしの予想を外れて動き回るからタチが悪いよ」
素直に隣に腰をおろして胡座を掻くと、ババアは左手の水晶体――たしか量子転換炉とか言ったか――で、お猪口をもうひとつ造り出し、徳利から酒を注いで俺に手渡してくる。
「う……清酒かよ……」
ラグドール特産の米酒だ。
にごり酒は甘くて俺も好きなのだが、清酒と呼ばれる無色透明な種類の米酒は匂いも度数もキツくて、よっぽど勧められなければ呑もうと思わない種類のシロモノだ。
……ババアはそれを水みたいに呑むわけだが。
「なんだい、贅沢な子だねぇ。手間暇かけてラグドールの民が拵えたもんだよ」
大領地の特産だから、それくらい知っている。
俺が好きなにごり酒をさらに加工して造っている清酒は、酒好きには堪らない一品なんだ。
俺は息を止めてお猪口を一口で煽る。
水のようにするっと喉を滑り落ちていった直後に、清酒特有の辛みと熱さが後を追って駆け抜けていく。
「くぅ……やっぱ苦手だ、これ」
そんな感想を漏らすと、ババアは苦笑する。
「さて、話を戻すけどね――獣属の説得の為にあんたはラグドールまでやって来たわけだね?」
ババア相手だと無駄な説明を省けるから楽だ。
口下手な俺でも、正しく状況を理解してもらえるからな。
「ああ。ロイド兄が<竜爪>を出してくれるって言っても、獣属達がどう考えてるかわからないだろう?
人との――しかも内戦に出てもらう以上、俺が頭を下げるのが筋だと思ったんだ」
俺がそう応えると、ババアは鼻を鳴らす。
「――相変わらずグチグチといらん事ばかり考えてるようだね。
ロイドが良いつってるんだから、氏族長どもも従うに決まってるんだよ」
「あん? どういう事だよ?」
「明日になりゃわかるよ」
と、ババアは意味深に笑みを浮かべて、酒を煽る。
「……まあ、あんたがいらん事を考えてここまで来ちまったのも、女神達がそういう流れにしたって事なのかねぇ」
虹色の目を揺らめかせ、ババアはまたよくわからん事を言い出す。
「――と、なると、もはや世界は勇者ではなく咆騎を駒として認め、そしてそれが必要となる状況がこの地で起こり得るって事かい。
まったく、勘弁して欲しいもんだ」
そうして俺を見据えて、ババアはため息。
「――アルベルトや……」
珍しく俺の名前を呼んで。
「これからもあんたが……女神達の駒としてではなく、あんたのままに生きていく為にも……ひとつ知恵を付けてやろう」
「女神達の駒って、たしかエルザがアリシアに言ってた言葉だな」
狂人の言葉と思い聞き流していたが、同じ言葉をババアが口にしたとなると意味が変わってくる。
「ああ。魔道科学の徒はあの娘達が世界を守る為に、運命に介入するのを理解しているからね。
その介入手段として用いられる者を『駒』と呼ぶのさ」
「まるで女神達が実在するような言いようだな?」
途端、ババアは鼻を鳴らして俺の頭を小突く。
「――三女神とそれに付随する補機――従属神は実在証明された存在だと前に教えたろうに」
「……そういう設定なんだと思ってたんだよ」
国の歴史だけじゃなく、三女神の各宗派もまた、そういう事にしているって事が多いから、女神の実在もそういうものだと思ってたんだ。
「……これからする話の大前提として、女神達は実在するって事は理解しな。
基本的に女神達は人類の味方だが、それは決して正義の為というわけじゃない。
連中は世界と人類を守る為なら、時として個を容易く切り捨てる判断をするのさ」
「……為政者みたいな存在って事か」
「そうだね。特にテラリスなんかは判断から感情を一切排除した、冷徹な女王さ」
まるで知り合いの事のように太陽と法の女神の事を語るババア。
「サティリアやディトレイアがやや感傷的だからこそってのもあるんだろうけどね。
まあ三柱の性格はともかく、あの娘達に良いように使われない為にも、あんたにはより深く世界の真実を知ってもらう」
「……世界の真実? アリシアが叔母上に観せられたような?
霊脈の側から世界を観るとかいう……」
「まあ、あれも世界の真実の一端だが……あたしが語るのは、この星の事さ。
知恵があればそれだけ判断材料が増えるだろう?
それを知った上で、女神達の思惑に乗るかどうか……あんた自身で決めるんだよ」
ババアは再びお猪口を煽り、熱い吐息を漏らした。
「……本来ならこれはもっと遥か未来――アルサスがおっ死んだ後にでも伝えるべき話なんだが……どうやら世界はその未来を許してくれなかったらしい。
――すまないね」
いつになく自嘲気味な表情を浮かべ、ババアは鼻を鳴らした。
それからまっすぐに俺を見つめて――
「これはローダイン王に代々伝えてきた、この世界の――この星のはじまりにあった出来事さ」
ババアの左手が、俺の胸に触れる。
「そして、あの時の判断が……今の状況に影を落としてしちまってる……
あんたにはそれを理解した上で、これからに臨んでもらいたいのさ」
吐き出すような呟き。
「……え?」
瞬間、視界が一気に引き上げられた。




