第5話 4
ロイド兄をリディア達に紹介してから、俺達はロイド兄の乗ってきた馬車で領城に向かった。
不思議だったのは、エレ姉だ。
出発前は眠れないほど舞い上がってたクセに、実際にロイド兄と再会しても一言二言――互いの無事を確認し合っただけだったんだ。
ロイド兄の事だから、もっと激しく再会を喜ぶと考えていたんだがな。
あれじゃあ、俺との方がよっぽど熱烈だったように思える。
そんな事を馬車の中でこっそりマチネ先生に告げると、鼻で笑われた。
「――ふたりとも良いオトナなんだもん。人目のあるトコじゃ、いちゃついたりしないでしょ……」
呆れたように窓に頬杖を突きながらマチネ先生は応える。
「どうせ二人きりになったら、会えなかった分も思い切りいちゃいちゃするんだよ」
と、そう続けるマチネ先生の言葉に、ふたりは聞こえないフリをしていたが、顔が赤くなって視線を逸しているから図星だったのだろう。
「……なるほど」
さすがマチネ先生だな。
俺とは違って、大人の男女の機微まで理解しているとは。
そうしている間に、馬車は領城の門を通過して敷地内に入った。
「へぇ~、やっぱりグランゼスのお城と違うんだね」
マチネ先生の言う通り、ラグドール城は領都の街並み同様、他領とは異なる建築様式になっている。
「わたしにしてみたら、これが城だから王城なんかの方が変わってるって印象なんだけどね」
そう応えるのはマリ姉だ。
「城も獣属の建築様式を取り込んで建てられているからな。
この地に適した、独特の形状をしているんだ」
「あんな風に林があるのもそうなの?」
俺の言葉に、マチネ先生は窓の外を流れる林を指差す。
「ああ。あんな風に木々を配置する事で、嵐の時に館に当たる風を和らげているんだ」
ロイド兄が応えると、マチネ先生はさらに質問を重ねる。
「え? でも――」
と、彼女は林の向こうに見える楼閣を指差す。
「お城はあんなに高い造りなんだから、意味ないんじゃないの?」
その言葉にロイド兄はにやりと笑って、隣の俺を肘で突く。
「アル坊、おまえと同じ事言ってるな?」
「それだけマチネ先生の着目点が為政者に近いという事だ。まだ七歳なのにすごいだろう?」
俺はここぞとばかりにマチネ先生の賢さを自慢してやる。
「む、確かにそうだな。おまえが初めて来た時は立太子前だったか?」
「ああ。たしか九歳の頃だ」
ロイド兄は顎に手を当てて、マチネ先生を見る。
「確かにそう考えれば……いや、辺境の開拓村の子供と考えれば、驚異的――なのか?」
俺とロイド兄がそんなやり取りをしていると間にも――
「――マチネちゃん、あれはお城じゃなく、天守閣と言って……そうね、防衛拠点の役目も持った楼閣――物見塔のような役割の建物なんですよ」
リディアがマチネ先生の疑問に応える。
「一応、領都の象徴みたいなものだから、あそこをお城と言っても間違いじゃないんだけど、辺境伯様達はすぐそばにある館にお住まいなの」
途端、ロイド兄の目が見開かれた。
「――バートン男爵、失礼だが貴女は我が領を訪れた事があるのか?」
その問いに、リディアは恥ずかしげに目を伏せる。
「いえ、恥ずかしながらわたしは田舎者ですので、自分の領地以外は王都――それも限られた通りしか存じ上げません。
ただ……」
と、リディアはエレ姉に視線を向けて続ける。
「王城に勤めていた頃、エレーナお姉様には大層良くして頂いていたので、いずれお姉様が嫁がれるという土地に興味を持ちまして……城の書庫で調べた事があったのです」
「――あ! ひょっとしてエレーナが言ってた、やたらデキの良い後輩っていうのは君の事か!?
アル坊の圧受けても平気な、変わった娘って!」
身を乗り出してリディアを見つめながら、ロイド兄はそんな事を言い出す。
「おい、ロイド兄……
いくらなんでも変わった娘はないだろう?」
「いや、だが! 宮中のおまえは本当にひどい有り様だったろう!? 無駄に人を威圧するような魔動を振りまいて!」
「う……ロイド兄だってわかってるだろう? そうしないとバカどもにナメられるからだ」
幼い王太子である俺を取り込もうとする貴族は、それこそ数え切れないほどにいたからな。
侍女や女官達だってそうだ。
言質を取られるのを恐れて言葉を選ぶのが癖になる程度には、幼い頃の俺に多くの貴族達が群がったんだ。
俺の返事にロイド兄はいまにも泣き出しそうな、それでいて激しい怒りを含んでいるような――なんともいえない複雑な表情を見せて、それから乱暴に俺の頭を撫で回す。
「そんなおまえの威圧をものとものせずに、専属を勤めていたというんだから、バートン男爵は十分に変わっているだろう?
しかもエレーナのお眼鏡にも適っていると来た」
「ふふ……ロイド様、しかもリディアはね――」
と、エレーナ姉はロイド兄に何事か耳打ち。
直後、ロイド兄の目が見開かれ、リディアと俺を交互に眺め――
「ハハ! なるほどなぁ!」
それから豪快に笑って再び俺の頭を掻き回す。
「――バートン男爵! いや、リディアと呼ばせてくれ!
こいつはこの通り、いろいろと面倒なところもあるが、決して悪いヤツじゃない。
どうかよろしく頼む」
「ラ、ラグドール閣下! あ、頭を上げてください!」
急に深々と頭を下げたロイド兄に、リディアは慌ててそう返す。
「オレの事はロイドで良い。兄と思って頼ってくれ!」
「で、ですが……辺境伯閣下をわたしなんかが……」
戸惑うリディアの腕を、エレ姉とマリ姉が左右から掴んだ。
「ロイド様はこういう方だから、変な気遣いをするだけ無駄よ」
「そうそう。身分なんて気にする人なら、兄さんは第二騎士団の団長なんてやってなかったしね」
貴族――それもしっかりと騎士学校を卒業したエリートの多い第一と違い、第二騎士団は冒険者や傭兵といった能力ある平民も受け入れていた騎士団だ。
今の騎士団がどうかは知らないが、少なくとも俺が王宮に居た時の第二騎士団は、宮中貴族達から野蛮な集団のように思われていたんだ。
……というか、だ。
「リディア。ロイド兄は確かにラグドール領の次期当主だが、まだ継承していないから、閣下と呼ぶのは間違ってるぞ?
リディアでも、こんな間違いをする事もあるんだな」
途端、一同の驚いた視線が俺に突き刺さった。
「いや、オレはとっくにラグドール伯爵位を継いでいるぞ?」
「は? いつ!? ベルン殿は!?」
「親父は陛下に同行している」
と、ロイド兄は苦笑しながら肩を竦めた。
ロイド兄が言う陛下というのは現王のカイルの事ではなく、先代――俺の祖父の事だろう。
「近衛としての務めを果たすつってな。それもあってオレは団長を辞して、領に戻る事にしたんだ」
「ということは、二年前から!?」
「そうなるな。元々親父は陛下と一緒に離宮に詰めてて、領の仕事は家宰に丸投げしてたから、引き継ぎは楽だったぞ」
政変によりカイル達に譲位を迫られた爺様は、それを受け入れて離宮を追われたと聞いている。
表向きは別の離宮に移された事になっているが、実際は離宮を脱出して行方知れずとなっているんだ。
ババアと合流してから聞かされた話では、爺様はババアの密命を受けて国外に逃れているという事だったんだが、まさかベルン殿まで一緒だったとは……
今どこでなにをしているのかは知らんが、あの二人が一緒だというのなら、少なくとも危機的状況にあるという事は絶対にないはずだ。
「あ~、クソ……そうか。ニ年も経てば代替わりしてる家もあるって事か」
リディアがバートン男爵を継いでいると聞いた時に気づくべきだった。
城を追われた以上、もう貴族と関わる事もないと貴族家当主の情報収集を怠っていた結果だ。
「……ロイド兄、後で城の書庫で最新の貴族名鑑を見せてくれ。あとエレ姉は社交界の情勢を教えて欲しい」
「んん! お兄ちゃ~ん?」
と、そこでマチネ先生が咳払いしつつ俺の腿を抓った。
「それは明日以降にしようね? わかるよね? というか、さすがにわかれ!」
抑えた声ながら鋭い目線で訴えられて、俺も気づく。
「ああ、そうか。このあとふたりはいちゃつかなければいけないのか」
手の平に拳を降ろしてそう納得して見せると。
「――バッ!? アル坊!!」
「アルくん!?」
顔を真っ赤にして慌てるロイド兄とエレ姉。
一方、他のみんなは深い溜息だ。
「……ほんと、お兄ちゃんってさぁ……」
マチネ先生の呆れたような声に、俺は意味がわからず首を傾げた。




