気がついたら森の中
目の前には一面に広がる森。風が首元を柔らかくなでながら通り過ぎていき、種類の分からない鳥がさえずり、ざわざわと揺れる木の隙間からあたたかな光が差し込んでいる。なんなら近くの低木には種類の分からない実が実っているし、遠くから水が流れる音も聞こえる。どう見ても穏やかな森の中で、私はぺたりと座り込んでいた。
「……いや、なんでぇ……?」
私、水瀬杏はため息をついた。さっきまで家の近くの道路を歩いていたはずなのに、気がついたらこんなところにいるのだ。いつもの不幸体質がとうとう瞬間移動まで起こしたのだろうか。いやそんなはずはない。いくら外を歩けば鳥の糞が頭に落ちるか、打ち水をかけられるか、落下物が頭ギリギリをかすめるかのどれかは必ず起こるからと言って、気がついたら知らない場所にいきなり放り出されるなんてことはないはずだ。気がついたら知らない場所にいる時の定番は誘拐だけれど、誘拐だったら縛られておらず、周りに人もいない今の現状はだいぶおかしい。よってこれも違う。
そうあれこれ考えていた時だった。ふと、自分が着ているものに目がとまる。やりこんでいたMMORPGであるArocreciaのアバターに着せていた服にそっくりだ。近くには装備していたものとそっくりな杖が落ちている。
「……いやいや、そんな、まさかね……」
ゲーム内ではチャットに決まった文字列を打ち込むことでステータスやショートカット設定、鞄、またはメニューなどを開くことができた。試してみる価値はあるかもしれない。いやでも失敗したらただのイタいやつになってしまう気がする。自分一人しか周りにいなくてもそれは避けたい。成功したら成功したで私はゲームの中の世界にいるということになる。にわかには信じがたいしできれば確定してほしくない。もし現実の森にいるのなら日が暮れる前には火を焚かなくてはいけない。けれど、雑草から木に至るまで、私の見たことがない種類しかない。もっと言えば、私のやりこんでいたゲームに出てきた植物を現実に持ち込んだらこんな感じかなと思うようなものしかない。ここがゲームの中であるかもしれない証拠ばかりが集まっていく。
「やるしか、ないか……」
腹をくくり、静かに深呼吸する。どっちにしろ動かなければどうにもならない。
『メニューオープン』
チャットに打ち込むものだった文字列を口にする。目の前にスッと半透明のウィンドウが浮かび上がった。ウィンドウの中身は慣れ親しんだデザインで、メニューから開いた鞄の中身も、自分のステータスも、何もかもが見覚えのあるもので。軽くめまいがした。ここがゲームの中であることが確定してしまったし、そうなるとここがどこなのかも分かってしまう。私が建てた拠点の近くの森、タルパの森だ。
「……とりあえず拠点に行ってから考えよう」
帰還のコンパスと呼ばれる拠点まで一瞬で移動できるアイテムを取り出しながら私は呟いた。