翔之章 Chapter:4
Chapter:4
「とんでもないことしてくれて……」
凰鵡のスマホから朱璃の呆れ声が聞こえる。
「ごめん」
翔は従順に謝る。腫れた頬には、氷嚢をあてている。腹は背すじを伸ばせないほどに痛い。
「ごめんなさい。私が原因で」
杜谷原も翔に続いた。
翔は一時間目を休み、保健室で殴られた箇所を手当てしてもらっていた。
「カイさんは悪くありません。翔だって、ボクがうまく答えられないから、代わりに言ってくれたんだし」
そう言われると、翔は救われた気になる。もっとも、あの場であそこまで言えたのは凰鵡がいたのおかげなのだが……
「護浄式に抗議文は送ったけど」
朱璃が言った。
「──反応は期待はできないわね」
「いいさ、無視してくれたほうが先生の腹減り問題に集中できる」
「あのね翔くん」
朱璃の声が一気に険を帯びた。
「こっちだってずっと考えてるんだよ? それをさらにハードル上げて──」
「わかってる。けど、もとから朱璃ちゃんだけに放り投げるつもりはなかった」
「なら何のために役割決めたの。この件のリーダーは私。あなたはまだ高校生で、ただの訓練生なのに──」
「朱璃さんッ」
凰鵡の制止で、朱璃はそれ以上の言葉を呑み込んだ。
「ごめんなさい。翔くんは怪我までしてるのに、私はずっと安全なとこで……」
言葉を切り、朱璃は黙り込む。
「翔……何か考えがあったから、賭けをしたんじゃないの?」
「そうなの?」
「んー、朱璃ちゃん」
「なに?」
「可能かどうか超速で調べて欲しいんだけど……野菜とか卵って呪物になるか?」
「どういうこと?」
「つまり、種とか有精卵をな……ええっと」
「翔まさか、クマントーンを?」
スマホの向こうで朱璃が息を呑むのが分かった。
「そう、それ。霊力をメチャクチャに溜め込めるなら、妖種用の食物として作れないかなぁって?」
「……信じらんない」
「とんでもないのは分かってる。けど、誰かを呪うためのものじゃない」
「……そうね。試す価値はあるかも。けど……」
「けど?」
「許可を取って、呪物にする素体の選定、それに霊力を注入する時間を考えると、頑張っても五日はかかりそう……」
しまった。と翔は思った。やはり一週間取っとくべきだった。
「そこを突貫で、じゃねぇな。くそッ、オレの血から牛乳つくる機械でもないのかよ」
「翔、それって……えっと、母乳だと思う」
「あそうか。じゃぁ母乳出る、霊力の高い人が周りにいたり──」
「いない……ね」
「なら、血から母乳を精製する機械って」
言いながらスマホでネット検索し、翔は「ねぇか」と落胆する。
「ちょっと待って!」
朱璃が高い声を上げた。
「え、朱璃さん…………出るの?」
「出るわけないでしょ。血から精製するんでしょ。ひょっとしたら、どうにかできるかも」
「マジか! どうやるんだ?」
「ごめん、事情あって翔くんには説明できないの。凰鵡くん、こっち来られる?」
「え、うん。あ! もしかして──」
湧き立つ僚友らに対して、ひとり除け者にされた気分の翔だった。
*
──二日後。
「キミら、何したわけ?」
屋上で待っていた純亜は、翔と杜谷原が到着するなり、険をあらわに問うた。
見ただけで杜谷原の状態が分かるらしい。
それで、いてもたってもいられず、約束の期日を前に二人を呼び出したのだろう。
「先生の腹減り、無事解消。凶暴化も、擬態が解ける兆候もなし」
「そいつに何をしたかって訊いてンだ!」
「テメェにゃ言えん。そっちの上には話が行ってる。知りたきゃ上司に訊け」
「ふざけんな!」
怒声と殺気。
ドッ──鳩尾に重い一発。
避けたつもりが、全然無理。
「斎堂さんやめて!」
杜谷原が叫ぶあいだにも翔は五発の拳を喰らった。
最後の一発で床に叩きつけられ、さんざんに蹴りつけられる。
「うッ!」
突然、杜谷原が翔に覆い被さって、純亜の靴を背中に受けた。
(──先生?!)
「害虫のくせに!」
翔をかばう妖種を、純亜はなおも蹴る。
「先生もういい、逃げて……ッ」
杜谷原は首を振って、三発目を覚悟した。
「そこまでだ」
意外な声が、純亜を止めた。
「……おじさんッ?」
翔の叔父。紫藤導星だった。
「斎堂純亜。これ以上の攻撃は暴走行為とみなし、鎮圧に入らせてもらう。加えて護浄式は先刻、杜谷原カイ氏を討伐対象から観察対象へ移行する旨を正式に衆へ通達した」
「……クソが!」
吐き捨てるように叫び、純亜はまたも柵を越えて飛び降りた。
「約束、忘れんなよ!」
痛む腹から絞り出した翔の声が聞こえたかどうかは分からない。
*
「無謀がすぎる。杜谷原さんにまで怪我をさせて……ボディガード失格だ」
保健室のベッドで左目を冷やす甥を見つめ、紫藤は溜め息を吐いた。
翔はグウの音も出ない。どうやら、最初から自分にはお守り役が付けられていたらしい。
「いいんですよ」
紫藤の叱責で耳まで痛い翔を、杜谷原が擁護する。
「かえって、擬態が解けないのが証明されましたから。怪我の功名です」
純亜に強く蹴られたにもかかわらず、杜谷原の肉体には何の変化も見られない。
「……支部長も驚いていた。よく、あんな方法を思いついたもんだ」
「そだな、やっぱ朱璃ちゃんはスゲェよ」
杜谷原に対しては、翔達が思いついたふたつの対処法が、それぞれ短期策と長期策として試験的に実行されていた。
長期策は翔が述べた〝食物としてのクマントーン〟である。媒体にはうずら卵の有精卵が使われ、現在も衆の呪術班によって、霊力を込める実験が行われている。
成功すれば安定した生産が見込める反面、翔が純亜と交わした期日までに結果を出すのは難しいと思われた。
そこで、応急策として朱璃が提案した短期策が実行された。
現在は衆の管理下にある《邪願塔》を用いた、特効食の錬成である。
翔はその場に居合わせなかったが、かなりの厳戒態勢のもと、朱璃が術者となり、供物となる血は凰鵡から採取。経血でなかったにもかかわらず、ごく少量の血滴で、目的の効力を持った乳状の液体を精製することに成功したという。呪具の機密性ゆえ、翔に詳細が明かされたのは儀式が完了してからのことだった。
杜谷原が薬液を服用したのは昨晩。以来、飢餓は治まり、依存症も見られない。凶暴化の恐れがないことも先だって証明された。効果の持続時間や他の副作用の有無は、今後も衆の保護下で観察されてゆく。
(結局、オレは何の役にも立ってねぇな)
朱璃は「実質、翔くんのアイデアだよ」と言ってくれたし、凰鵡も手放しで喜んでくれた。
だが、クマントーンや邪願塔といった危険な呪具を使用できるよう零子を説得したのは朱璃だし、薬液を生み出せたのは凰鵡の血のおかげだ。
かたや自分は純亜ひとり止められず、あげく出過ぎた賭けで皆を危険にさらした。賭けには勝ったが、あの純亜が敗者のルールを守る保証もない。
戦闘力と霊力の凰鵡、知力の朱璃──あの二人さえいれば、最終的には何とかなったのでは、という考えは拭えなかった。
「……先生は、なんでヒトをやってるんです?」
叔父が帰ったあと、一年ぶりに見る天井を眺めて、翔はカーテンの向こうに問うた。
「……妖種の世界じゃ、生きていけないから」
「そんなに厳しいんです?」
「めちゃくちゃ弱肉強食よ。同種のあいだでさえ、獲物を取り合って、戦って……生き抜かなきゃいけない。でも、私は生まれたときから戦うのが嫌いだったし、怖かった。いっそヒトに生まれたかった」
「ヒトだって、そんないいもんじゃないでしょ」
純亜……その舎弟達……父と蛍を死においやった連中……朱璃の生みの親……凰鵡を山に捨てた誰か……今日も何処かで他人を傷つける、名も知らぬ何ものか…………
「それでも、あなた達がいるわ。保護されてる立場で言うのもなんだけど、私は毎朝、安心して目覚めるの。今日も、誰も傷つけなくていいんだ、って」
翔はグチャグチャになりそうな心を、グッと引き締めた。
「なんで保険医に?」
「戦うのは駄目だけど、ちょっとでも誰かの役に立ちたかったのよね。助けられて生きてるだけじゃ申し訳ないっていうか……そういうのが、妖種らしくないのよね」
「去年、オレが狙われたときに衆に報せてくれたのも、先生ですか?」
少し、沈黙があった。
「……うん、私」
やっぱり、と翔は静かに微笑んだ。
あのとき、このベッドで凰鵡と話していたのを咎められなかったのが不思議だったのだ。途中からは異空間に引き込まれていたようだが、そもそも部屋の主も関係者だったのだ。
「ごめんなさい。もっと早く気づいてれば、花脊さんや伊東くんも……」
「それでも、オレは先生のおかげで助かりました。ありがとうございます、本当に」
「だから、大鳥くん」
「はい」
「無茶しないでね」
「……先生って、いい人ですね」
こんな人達を守りたい。守れるようになりたい。心からそう思った。
***
──次の日。
「お前、なんでまだここにいンの?」
登校するなり、翔は純亜の席に詰め寄った。
クラスメートらの視線が刺さる。
「キミが言っただろ、こっち側をやれって。もう忘れたのか?」
苛立たしげに見上げながら純亜は答える。
なるほど。翔も合点した。
たしかに、やりかたまでは決めていなかった。
「ハッキリ言って、キミのせいで私は立場を失いかけてる。この恨みはいずれ晴らさせてもらうよ」
「知るか。こっちこそ、八つ当たりでボコスカ殴られた借りは返すつもりだからな」
ふんっ、と互いに鼻息で別れを告げ、翔は自分の席についた。
次に凰鵡と時間が合ったら、遊んでばかりいないで、武術の手ほどきをしてもらおうか。そんなことを考えながら窓の外を見る。
(オレ、ちゃんと卒業できンのか?)
のこり半年足らずというのに、翔の高校生活は波乱の一途をたどるばかりだった。
お読みくださりありがとうございます。
翔のはなしは以上です。