翔之章 Chapter:3
今回はチャプターが多いので、Chapter:4まで続きます
Chapter:3
「ああ、凰鵡が見たのと同じ奴だと思う。いや、まだ話はしてない」
ホームルームが終わるや、翔は屋上に出た。もちろん施錠されている。外の非常階段から跳び上がったのだ。
まっさきに杜谷原に伝えようかとも思ったが、確証のない状態で不安がらせたくなかったし、純亜がすぐ仕掛けてくるとも考えにくい。
「それより、先生の問題……解決策は?」
「ごめん、まだ……」
電話の向こうから聞こえてくる朱璃の返事は芳しくなかった。
「そっか。なんかあったら、また連絡する」
通話を切った。
空を仰いで溜め息を吐く。
(零子さん、オレらには荷が勝ちすぎンじゃねぇか?)
カフェを出たのち、杜谷原も含めた四人は支部へ行き、正式に事件として報告した。
すると、零子から予想外の指令が返ってきた。
「では本件は、朱璃さん、凰鵡くん、翔くんの三名のもと、調査と処置をお願いします」
全員が耳を疑った。
なにせ朱璃は事務補佐、凰鵡は単独任務をこなし始めたものの日は浅く、翔にいたってはただの訓練生だ。
「顕醒さんと導星さんには私から話しておきますので、安心してください」
全然安心できない。
それに顕醒はともかく、あの慎重派の叔父が首を縦に振るだろうか。
支部長の真意は見えないまま、その夜、杜谷原も含めた四人は宿泊室を会議室代わりにして作戦を練った。
「ボクら、なにか悪いことした?」
「キュイの件……じゃねぇな。けど、新人研修にしちゃ、度が過ぎるぜ」
「とにかく、こうなった以上、私達が考えるべきは零子さんのことじゃないわ」
不安がる凰鵡と、疑り深い翔を引っ張るように、朱璃が音頭を取る。その時点でリーダーは決まった。
先輩達のやり方を思い出しつつ、三人はまず、この件に関する担当を決めた。
翔は現状で学業を疎かにするわけにはいかないため、校内での杜谷原の警護。
凰鵡は杜谷原を襲った連中を足がかりに、敵の正体を探る。
そして朱璃は二人からの情報を総括して方針の決定しつつ、杜谷原が抱える、ある問題への対処法を考案する。
杜谷原が襲われたのは、その問題が理由だと四人は踏んでいた。
彼女の、霊力に対する飢えだ。
杜谷原はヒトから霊力を奪うことをみずから禁じて、人間社会に溶け込んでいる。だが、ヒトの霊力を断った妖種の多くは飢餓状態に陥りやすく、なかには飢えが悪化するほど霊力を求めて凶暴化するものもいる。
杜谷原がそうだ。さらに彼女の種族は、ある条件が重なると凶暴化が促進される。
強い肉体的ストレス──つまり暴力を受けることだ。
襲われていたとき、彼女の擬態も理性もギリギリの状態だった。呼吸が荒かったのは、襲われた恐怖だけではなかったのだ
だが裏を返せば、飢えさえ解消すれば擬態は解けず、凶暴化もしない。
だが、たとえば〝霊力の強いヒトの血を少量飲ませる〟という対処法は逆効果だ。
妖種にとって生き血や新鮮な肉は良質な栄養源になるものの、強い依存症という副作用をもたらし、別のかたちでの凶暴化をうながす。かつて凰鵡がキュイに犯してしまったのが、まさにこれだ。
結論、妖種が凶暴化のリスクなく、ヒトの霊力を充分に補給する方法には、古今東西、成功例がない。
「血とか肉を除いて、霊力だけを固めりゃいいのか」
「いいのか、って軽く言うけど、それが大問題なの。血や肉が霊力の媒体なんだから」
「衆で使ってる銃弾のは?」
「銀とか水晶に込める魔除けの転用。食べたらお腹ドッカーンだよ」
「エクトプラズムは?」
「あれは霊力じゃなくて霊魂が活動するための仮の体みたいなもの。霊力の塊じゃない。座学、受けたんじゃないの?」
そう言われると翔はグゥの音も出ない。
霊力、霊気、霊能力、霊魂、霊媒……この業界には同じ〝霊〟が付いていても、似て非なる言葉が多すぎる。
「不動の奥義が使えないか、いま、兄さんに訊いてみたんだけど……」
スマホを見ながらおずおずと凰鵡が言った。
「ヒトには使えるけど、妖種には……」
沈黙が垂れこめた。
あの顕醒にも無理。そう言われると絶対に不可能な気がしてしまう。
「先生は普段、どうやって霊力を補充してるんです?」
翔が問うた。
「私はおもに牛乳とか有精卵ね。野菜でも霊力の高い個体があって、それを生で食べたり、海鮮なら活けアサリとか」
「そんだけ色々あっても霊力不足になるのか」
「ヒトの血肉に比べたら間に合わせでしかないわ。私みたいな妖種は野生動物を狩る力も出ないし、正直、いつも飢餓ギリギリなの」
そうまでして、みなヒトに手を出すことを耐えてくれているのか。杜谷原達の節制ぶりに、翔は胸が熱くなるどころか、苦しさすら覚える。
なぜ、そうまでして…………
「──ッ!」
不意に悪寒を覚え、翔は振り向きながら跳び退いた。
「へぇ。勘がいいね、キミ」
青空を映すような碧眼と、風に揺れるブロンド──純亜だ。
「あの取り巻きから、よく抜け出せたもんで」
最後に見たとき、彼女はクラスメートに囲まれていた。
「キミのことを聞いたら蜘蛛の子みたいに散ったよ。そうとう嫌われてるみたいだね」
また要らない噂が立つなこれは…………
「キミら、あの女が妖種って分かってて、あえて守ろうとしてるよね? なんで?」
「そっちこそ、なんで先生を襲う?」
瞬間、翔は目を白黒させて、五センチほど宙に浮いた。
純亜のボディブローだった。
「質問に質問で返されるの、嫌いなんだけど」
「……知る、かッ」
押さえた腹から絞り出すように、翔は毒づく。
凰鵡ほどではないが、速い。今の自分に対処できるパンチではない。
間違いない。斎堂純亜は、衆以外の対妖機関の戦闘員だ。
「だいたい、なんで妖種が学校にいるのに平気なわけ? キミのところの衆って、本気で人間を守る気あるの?」
「テメェこそ何様だ。なんも悪さしてねぇ妖種ぶっ殺してヒーローごっこか?」
ドッ──二発目は横っ面。
ガードが間に合わず、翔はもろに喰らってコンクリの床に倒れた。
「図星か……」
それでも口の減らない翔を、純亜は鼻で嗤う。
「熊が町中に入ってきたら、人が喰われる前に駆除する。当然だろ」
翔は奥歯を噛みしめた。
純亜の論には一片の真理がある。
だが、と翔は反論する。
カイ先生は熊ではない
「前に、お前と同じ考えの奴に遭った」
口のなかに広がる血の味をあえて飲み込み、翔は立ち上がる。
「そいつはここで死んだ。何人も喰った妖種だった」
怒気が来た。
バチン────
「つッ?!」
拳を押さえて退いたのは、純亜の方だった。
「翔、大丈夫?!」
目の前に凰鵡が舞い降りた。
駆けつけざまに、純亜の拳を気弾で弾いたらしい。
「ああ……余裕よゆー」
ンなわけねぇだろ、と内心で自分にツッコミを入れつつ、手に握ったままのスマホを見る。
朱璃と通話が繋がっている。
純亜が現れたとき、架け直していたのだ。こちらの様子を察して、凰鵡を呼んでくれたのだろう。
「ちッ、キミか」
「斎堂純亜さん、あなたの正体は分かってます。今やってることは、《護浄式》の正式な任務ですか? それとも《火竜弩》のリーダーとしての独断ですか?」
いきなり凰鵡が口にしたふたつの組織名に、翔の頭はややこんがらがる。
が、どちらも知っている。
護浄式は衆と同じ対妖種機関。だがスタンスはかなり異なる。
〝疑わしき妖種は狩る〟──いわば専攻派だ。
いっぽうの火竜弩は対妖ではなく、不良青年グループだ。珍走行為や暴力沙汰でときどき名前を聞く。
つまり、火竜弩の正体は護浄式の下部組織で、杜谷原を襲った二人組はメンバーということだ。それにしても、この見目麗しい女子がよもや不良グループの頭目とは。
「両方だよ。姫不動さん」
こともなげに純亜は答える。
凰鵡が奥歯を噛んだのが、翔には分かった。
姫不動──その愛らしさと、鬼不動・顕醒の妹であることから呼ばれる凰鵡の渾名だ。親しい者は、本人がその名を好いていないのを知っている。
「それなら、衆はあなた達に強く抗議します」
「ご自由に。それで止められると思うんなら、稚拙だけど」
「止めたいなら、あくまで実力で……ですか。もし、あなたがカイさんに危害を加えるのなら、やむを得ません」
「それで、あの女がいずれ凶暴化するのを止められるのかい?」
凰鵡が返答に窮する。
「キミらのやり方は、いつも後手だ。そして最後には結局、力で排除する」
「ボク達は争うのが目的じゃない」
「偽善だ、偽善。キミに出来るのもせいぜい、彼女が限界に達したとき、誰かを喰う前に殺すこと。私の役目と同じさ。いや、キミはまず、誰かが喰われないと動けないかな?」
「…………」
「被害は出させねぇ」
言葉に詰まる凰鵡に代わって、翔がアッサリと答えた。
「言い切る根拠は?」
「信じてるからな。先生のことも、凰鵡のことも」
「バカかキミは」
「そう思うんならそれでいい。ひとつ賭けるか?」
純亜が眉をひそめ、凰鵡が不思議そうな顔で振り向く。
「……なにを?」
「先生が凶暴化したら、テメェの好きにしろ──被害が出ようが出まいがな。ただし、その前にオレらが問題を解決したら……」
「したら?」
「テメェも先生を守る側になってもらう」
もとから鋭い純亜の目が、さらに険しくなる。が、殴りかかっては来ない。
「どうだ? こっちなら、オレは強ぇぞ」
コイントスをする仕草をしてみせる。
「やっぱりバカだ」
「オレらが本当にバカならお前の勝ちだ。期限は三日でどうだ」
「翔──?!」
「……勝算があるみたいだね」
「自信があって動いてんのはお互い様だろ」
「一日だ」
「三日。それまでに先生がダメんなったらこっちの負けでいい」
「いいや、一日だ」
「偉ぶってるわりに自信なさげだな。この会話の録音バラ撒くぞ?」
「ちッ、いいだろう!」
ちょうどそのとき、予鈴が鳴った。
「あ、待って!」
凰鵡が呼び止めるも、純亜は柵を越え、屋上から飛び降りた。
「一週間にしときゃよかったな」