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凰鵡之章 Chapter:3


   Chapter:3



 任務や修練でそれなりに忙しい日々が続いたが、凰鵡はキュイのもとへ、あしげく通った。いちど、日をまたぐ任務があるときには、翔に様子見を頼んだ。

 凰鵡が牛乳をあげれば、キュイはそれを美味しそうに飲み、凰鵡もそんなキュイの姿を可愛いと感じながら見守った。ひと気がないときには一緒に山野を駆け巡ったり、川に入って遊んだ。

 だが、キュイは少しずつ、元気を失っていった。


 原因はすぐに分かった。牛乳から吸収できる霊力だけでは、成長いちじるしい体を支えきれないのだ。

 生肉なら、とステーキ肉を与えてみたが、関心を示さなかった。


(どうしよう。このままじゃ……)


 日に日に弱ってゆくキュイに、凰鵡の不安はつのった。

 霊力が足りないなら──


(霊力なら……ある)


 閃きに突き動かされ、爪で指先を引っ掻いた。

 肌が裂け、赤い血が滲み出る。

 その指先を、キュイに近づけた。

 仔蟆兎子は長い耳をピンと立て、凰鵡の指を咥えた。

 きゅっ、と体液が吸われるのを感じて、凰鵡は顔をしかめる。

 だが悪い気はしない。母が子に乳をあげるのも、こんな気分なのだろうか。


 その日から、凰鵡はキュイに血を飲ませるようになった。その甲斐あって、三日も経つとキュイはもとの元気を取り戻した。

 だが、新たな問題が生まれた。


「だめ。だめだよ、キュイ。今日はこれまで」


 キュイがより多くの血を求めるようになってきたのだ──それこそ、母の乳を離したくない赤子のように。

 最初こそ、たしなめれば口を離したが、それも次第に聞かなくなってきた。


「めっ!」


 ある日とうとう、大声で叱り、叩いてしまった。

 ビクリと震えた瞬間に指を抜く。


 ──キィ!


 今まで聞いたことのない、鋭い声でキュイは鳴いた。

 その瞬間、凰鵡は気づいた。

 この数日でキュイは急速に大きくなり、力も増していた。

 今でさえ、無理に指を引き抜こうとすれば、ちぎられていたかもしれない。

 まさか、自分の血が、そうさせたのか。


 ──キュイィ


 仔蟆兎子が柔毛を揺らして近づいてくる。

 こちらを征しようとする圧──否、殺意すら感じる。


「キュ、イ……?」


 恐怖に、凰鵡は後退る。

 拾った頃とは、まるで別ものに見えた。

 ざわり……凶暴性を示すように、毛並みが有り得ない動きで揺らぐ。


「ッ!」


 背を向け、凰鵡はキュイから逃げ出した。



 次の日、凰鵡は洞穴に行かなかった。

 あれだけ可愛がっていたキュイに逢うのが、今では怖くてたまらない。

 こんど行けば、血を吸い尽くされてしまうのではないか。

 それに、兄は何と言っていた。

 ──ヒトの味を覚えてしまったら、なおさら危険。

 自分が、それを教えてしまったのか。


(どうしよう……どうしたら……)


 懊悩で何も手に付かなかった。

 最初に嘘をついた以上、兄にも、零子にも相談できない。

 唯一事情を知っているのは翔だけだ。

 だがその翔にも、血を飲ませていることは伏せている。なんとなく気が咎めたのだ。

 そして、その秘密を隠すために、凰鵡はさらなる嘘をいた。


『ごめん、実は任務が長引いてて、今日キュイのとこに行けそうにないんだけど、もし翔に暇があったら、今夜、様子見に行ってくれない?』


 任務は与えられていたが、日を跨ぐものではなかった。

 いずれ、キュイとは逢わねばならない。それは分かっている。分かっていながら、凰鵡は逃げ、友を利用した。


『おっけー、行ってくる』


 なにも知らず快諾してくれる翔に、凰鵡は真実を告げられなかった。


(大丈夫だよね……大丈夫)


 何も問題なく、キュイが元どおり、おとなしくしていたら、また翔とふたりでこれからの方針を考えよう。

 無責任な楽観だった。

 結局、不安を抱えながらも、その日の簡素な任務を終えて帰路に就いた。

 凰鵡と顕醒の住まいは、郊外の七階建てマンションにある。

 エントランスに入ったと同時に、スマートフォンが鳴った。

 架電の主は、翔。

 どく──胸が疼くように跳ねる。

 忙しいふりをして、無視しようか。


「もしもし?」


 出た。


「穴の前まで来てるけど、なんか妙だ」

「どういうこと?」

「動物の骨みたいなのがいっぱい転がってる。これ、お前がやってたのか?」

「うそ……ちがう、そんなことない……」


 相手から見えないと分かっていながら、凰鵡はぶんぶんと首を振る。

 キュイが野生動物を襲ったのか。いままで、そんなことはなかった。なぜ急に…………


(やっぱりボクが──?!)


 生物の霊力の味を教えたのだ。


「キュイは?」

「気配はない。とりあえず穴を確かめる」

「待って! ボクが行く! それまで近づかないで!」

 マンションじゅうに声が響くのも忘れて叫んだ。

「でもお前、任務が──」

「いいからボクが行く!」

「お、おお……」


 よく分からない様子の翔だったが────


「──ッ?!」


 とつぜん、無言の呻きを上げた。


「翔?!」


 ドッ──鈍い音。

 スマホが地面に落ちた音だ。

 凰鵡はマンションから飛び出した。


(ごめん……ごめん!)


 涙を後ろに流し、息を詰まらせながら、それまでに出したことのない速さで、夜の町を駆け抜けた。


(間に合って! 翔、無事でいて!)


 その願いは叶った。

 ただし、凰鵡の思ってもみなかった形で…………

 洞穴のすぐ近くに、翔はいた。

 制服のそこかしこが破れ、血が滲んでいる。顔も泥だらけだ。逃げ回り、痛めつけられていたのは想像に難くない。まだ武器を持たされていないのは、凰鵡も知っていた。

 だが無事だった。


「凰鵡……」


 瞼の隙間からのぞく瞳が、凰鵡の胸を刺す。

 だが、凰鵡の心は翔よりも、その頸に指をあてている男に吸い込まれていた。


「兄さん……?!」


 顕醒だった。


(キュイは?)


 あたりを見渡す。


 ……キュゥ……


 いた。光の縄に捕らわれている。

 兄が、翔を助けてくれた──だが、どうしてここを知ったのだろう。

 凰鵡が混乱している間に、顕醒が翔から指を離して、歩み寄ってきた。

 凰鵡の目の前に立つ。

 パンッ──乾いた音が夜山に響いた。


 凰鵡は一瞬、自分が何をされたのか、分からなかった。

 生まれて初めてのことだった。


「殺せと言ったはずだ」


 殺すべきだった。

 残酷だが、それが真実だった。

 がくり、と凰鵡はその場に膝を突いた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ッ!」


 ボロボロと落ちる涙が土に吸われてゆく。

 泣きじゃくる凰鵡に背を向け、顕醒はキュイに向かって手をかざした。


「待って兄さん!」


 涙声のまま凰鵡は叫んだ。

 顔を腕で何度もこすりながら立ち上がる。


「……ボクが、やります」


 兄ではなく、キュイを見つめて言った。

 ポケットから倶利伽羅竜王を取り出す。


「凰鵡、お前……」


 翔が声を漏らす。


「ごめん、翔……本当に」


 友に詫びたのを見届けたように、顕醒はゆっくりと凰鵡から離れる。

 すると、キュイを縛りつけていた光の縄が消えた。


 ──キュイ!


 蟆兎子が凰鵡に駆けてくる。

 指を吸い、掌で眠り、牛乳を舐め、ここで一緒に寝て、一緒にあそんで────


(唵──!)


 光の刃が、想い出を貫いた。


 影が地に堕ち、サッと落ち葉が音を立てる。


「……キュイ」


 震える手で、凰鵡は蟆兎子を抱き上げた。

 寸分違わず急所に刃を突き込まれ、妖種は声を出す間もなく息絶えていた。

 柔毛が勢いを失い、本体が霧のように散ってゆく。


「ごめん……ごめんね……」


 放すまいと抱きしめる。

 その腕を、指を、すり抜けて、キュイのすべてが夜に消えた。

 凰鵡の慟哭が、夜の山夜を揺らした。


     ***


(キュイ……?)


 ゲームセンターの前で、ふと凰鵡は足を止めた。

 まんまるい眼が、軒先のクレーンゲームに吸い込まれる。

 景品は、丸餅に兎の耳を生やしたような、大きなぬいぐるみだ。

 もとが何というキャラクターなのかは知らない。

 あれから、半月が経っていた。

 衆からの追放も覚悟していたが、零子から言い渡されたのは二週間の謹慎と自習だった(無論、たっぷりとお説教はくらったが)。

 今日は処分明けの初日だ。


 謹慎中、スマホも取り上げられていたため、翔については帰宅した兄から聞くだけで、伝言すら禁じられていた。

 全身の傷で五日間の安静、加えて凰鵡の共犯として一週間の衆活動停止処分。

 衆に入って日が浅い翔の方こそ切り捨てられるのではないかと心配していただけに、心から安堵した。

 今朝、端末を返してもらうや、まっさきに電話を架けた。


 「翔、いまいい? ……うん。ごめんなさい」


 何度謝っても足りなかったが、震える凰鵡に翔は、


 「いいよ。オレがお前でも、似たようなことしたし……それにお前も……うん、とにかくオレは怒ってない」


 と、いつもの皮肉を言うような、だが優しい声で応えた。


 「また、困ったことあったら、なんでも言えよ……ッて、いいじゃんかおじさん!」


 紫藤がそばにいたらしい。決めゼリフを叱責されて格好が付かない翔の姿を想像して、凰鵡は久しぶりに少し笑えた。


 「うん。翔、ありがとう」

 「ん……ああ凰鵡」

 「なに?」

 「キュイのことは残念だったけど、お前のそういう優しいとこ、オレ好きだから……だから、忘れないで欲しい」

 「…………うん」


 通話を切ると、凰鵡は鼻をすすり、目を拭った。

 そして、気持ちを切り替えようと町に出たのだった。


「いけ……ああッ!」


 気が付けば、クレーンゲームの前に釘付けとなっていた。

 だが、取れたと思いきや、動いたフックが獲物を取り落とす。

 連戦連敗。もともとクレーンは得意ではない。コツすら掴めないまま、財布の中がまたたく間に消えてゆく。

 仮にも危険職なぶん、報酬はそこそこもらっている。だが未成年のため、自由に使えるぶんは兄に管理されている。

 その最後の百円が、いま費やされた。

 それでも、筐体が供物に報いてくれることはなかった。


「ッ……う……」


 噛みしめた歯の奥から呻きを漏らす。

 小遣いは消えた。キュイも取れなかった。

 涙がにじむ。

 また衝動から、出来もしないことをやろうとして、何も得られず、ただ失った。

 筐体を思いっきり殴りたかった。

 それすら出来ない。

 出来るはずもない。

 うなだれて、その場から去った。

 悔しくて、虚しい。

 家に帰ろう。

 そう思ったときだった。


「凰鵡」


 背後から呼ばれ、驚いて振り返った。


「兄さん……?」


 なぜここに、と言う前に、白いぬいぐるみが押しつけられた。

 景品の……キュイだ。

 唖然としたまま、凰鵡はそれ受け取るしかなかった。

 渡し終えると、顕醒は背を向け、消えるようにその場を去った。

 背中を追うこともできず、凰鵡はその場にしゃがみ込んだ。

 ぬいぐるみを抱きしめ、静かに、泣いた。



 漫画の詰まった本棚。引き出しの多い勉強机。小さめのモニターとゲーム機の載ったテレビボード。床に転がったダンベル。

 趣味で整った凰鵡の部屋に、生まれて初めてのぬいぐるみが置かれた。

 場所は、ベッドの枕もと。

 布団に潜り込んで、凰鵡はその白い体を抱きよせた。


(キュイ…………ボク、忘れないよ)


 明日からは、また、任務が始まる。

凰鵡之章はこれにて終了です。

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