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維之章 Chapter:3

本文中ではChapter4までありますが、3が短いので一緒くたにしました。


   Chapter:3



 午後の陽が窓からぼんやりと差し込む社員食堂。さいわい、この部屋にも隣の厨房にも死骸はない。

 ミーヤとその兄──マヤというらしい──を椅子に座らせ、維は二人の前に片膝をついていた。


「ごめんなさい、触ってみてもいい?」

(いいよ、って)


 ミーヤの返事で、維はマヤの右半身に触れた。見た目に反して、ヒトと同じ体温を感じる。

 頭にも触れ、マグマのような眼球を覗いたり、乱れた髪を手櫛で直したりするが、マヤ自身からは何の反応も返ってこない。

 思考や感情が気迫で、自発的な言動は一度もない。聴覚と発語にも難があるらしく、維らとの会話もすべてミーヤを介していた。

 声帯での発語はミーヤも不可能なようだが、テレパシーがそのハンデを補って余りある意思疎通力を与えていた。

 それが、ここで行われていた実験の成果だというのか。


 たしかにミーヤの能力は、優秀なテレパシストというより、日常的にそれで会話を行っている手合いの妖種に近い。

 それでありながら、ミーヤにもマヤにも霊力を感じるのだ。妖種に霊力はない。

 この子達が本当にヒトと妖種の完全なハイブリッドだというのなら、驚くべきことだ。


 妖種とヒトの合いの子というのは、存在しているようでいて、そうではない。繁殖のためにヒトの精子や卵子を必要とする妖種は数多(あまた)いるが、その子供はハイブリッドではなく、あくまで妖種として生まれる。そうでなければ種が潰えるからだ。


(維さん。私達……どうなるんですか?)


 ミーヤの声に維は驚いた。

 言葉だけでなく、強い不安が、じかに心に響いたのだ。感情もテレパシーで送れるというのか。


「……分からないわ」


 少し迷ったが、維は正直に答えた。こういうことに関しては、自分はまったくの無学だ。

 それでも、無力ではないと思いたい。


「けど大丈夫。何かあっても、私が守るわ」


 握りこぶしを見せて、微笑んでみせる。

 そのおかげか、ミーヤの不安が少しやわらいだ。


(あ、紫藤さんが戻ってきます)


 その言葉どおり、数秒後に紫藤が部屋に入ってきた。一度顔を合わせてからは、維のようにテレパシーで話をしたり、存在を感じとることも出来るようになっていた。


「おかえり、どうでした?」


 維の問いに、紫藤は無言で眉を(ひそ)める。


「成果なし?」

「いや……」


 言葉を濁し、紫藤は手にしていた書類の束をテーブルに広げた。活字と数字と化学式がビッシリで、維は目眩を覚える。


「ここでは、妖種の能力を後天的に獲得しようという試みが行われていた」

「それって、《チャクラメイト》で蟲に感染した……」

「あれに近いが、寄生させるのではなく、妖種の細胞をヒトに移植して、定着させるのが目的だったらしい」

「この子達は、その実験台ってこと? なんのために──」


 ハッとして維はミーヤ達を振り返った。


「ミーヤくん、マヤくん。この人達を知っているかい?」


 維の横を抜けて、紫藤がスマホの画面をミーヤに見せにゆく。


(知ってます。こっちは田島先生……)


 田島──ここの所長だ。


(……こっちの人は、名前は知りませんけど、今朝、来ました)


 維の背筋がぞくりと粟立つ。


「今朝?」


 紫藤が問う。


(はい……)


 ミーヤの声にまた恐怖が籠もる。

 紫藤も同じらしい。


「この人は、きみ達に何かしたのかい?」

(……その人……その人が……!)


 当惑、混乱、逡巡──

 まさか、鳴夜がここの職員を皆殺しにしたのか。

 そう思った瞬間だった。


(誰か来る──いっぱい!)


 悲鳴に似たミーヤの言葉で、維も外の気配に気づいた。

 妖種ではなさそうだ。しかし、だとしたら誰が?

 困惑しながらも逃げ道を探すが、包囲網が狭められる方が早かった。

 食道の窓が割れた。

 破砕音が消えぬ間に、戦闘服に身を固めた連中が食堂に飛び込んでくる。消音器(サプレッサー)付きのサブマシンガンが八挺、維達に向けられる。


「ちっ」


 珍しく紫藤が舌打ちし、諸手(もろて)を上げた。向こうの正体に気づいたのだ。

 維も紫藤の真似をしつつ、兄妹をかばう位置に立つ。


「被検体目視! 加えて男女二人、民間人と思われる!」


 最初に飛び込んできた隊員が叫んだ。


(維さん……)

(大丈夫。大丈夫よ……)


 廊下の方からも、ぞろぞろと足音が近づいていた。



   Chapter:4


 隊員達に囲まれながら食堂に入ってきた軽装の男を見て、こいつが指揮官だと維は悟った。

 中肉中背。口に軽く髭を生やしているが強面の印象はない。


「男の方は私立探偵です」


 最初に窓から来た隊員のひとりが、彼に紫藤の身分証と拳銃を渡す。


「女のほうはIDを所持していませんでした。吐かせますか?」

「けっこうだ。質問は私がやろう」

「了解しました。男女を拘束させます」

「無意味だ」


 末端への命令を指揮官が阻止する。


「この女は、衆の上級戦闘員だ」


 部隊のあいだに静かなざわめきが起こる。


(みんなビックリしてる。維さん…すごい人なんですか?)

(えへへ、まぁね)


 維は心の中でVサインする。


「衆がなぜここにいる?」


 男は真っ向から維に問うた。


「私宛に──」


 紫藤が答えた。


「ここで非人道的な実験が行われているとの密告があった。私も衆の所属だ。彼女の同行を得て調査に来た」


 指揮官の目が、机に広げられた書類に向く。

 眉を顰め、思案げに数秒、沈黙する。


「麻霧女史には、〝この件への干渉は無用〟とお伝えいただこう」

「そうはいかない。ここの研究内容に、天風鳴夜が関わっている可能性がある。あなたがたも知っていたのか?」


 質問タイムを終わらせようとする指揮官に、紫藤が食い下がる。

 が、維の意識は別のものに向いていた。

 マヤの息づかいが荒くなっている。それまで眠るように静かだったというのに。

 それにミーヤからも、強い不安と、それを抑え込もうとする意志を感じる。


「きみらの質問に答える権利は我々にはない。被検体を連れてゆけ」


 指揮官の命令で、隊員達が四人に詰め寄る。


「待ちな! この子達をどうするつもり?」


 維は素早く周囲を睨んで牽制する。何としても阻止しなければという、胸騒ぎにも似た予感があった。

 だが、維の問いも、少女の恐怖も、すべては無視された。


「構わん! 回収が不可能なら──」

「ああああああ‼」


 指揮官の声を掻き消した絶叫は、マヤのものだった。


(──やめて──!)


 ミーヤの叫びと、バンッ、という破裂音が部屋に満ちた。

 銃声ではなかった。

 指揮官が、赤黒い飛沫と化したのだ。

 服もろとも全身が千々(ちぢ)に破れ、骨も臓器も一緒くたになって、あたりに飛散した──声をあげる間もない一瞬の出来事だった。

 隊員達の悲鳴と銃声が、幾重にも響く。だが声も、弾丸も、放たれた隙から爆散する。

 維も紫藤も反射的に兄妹をかばった。そしてすぐに、それが無意味だと悟った。

 見えない壁が、銃弾からも血肉片からも維達を守っていた。


(やめて──お兄ちゃん!)


 殺戮の嵐のなかで、維は声を聞いた。


(もう誰も殺さないで! 殺さないで!)


 マヤを抱きしめて、ミーヤは懇願する。


「うッ⁈」


 紫藤と維は驚いて兄妹から体を離した。

 マヤの体が赤熱している。右半身はいまやマグマそのもののように、燃えさかり、渦巻いている。


「つぅ!」


 紫藤が肩を押さえてよろめく。不可視の障壁の外に出てしまい、銃弾を受けたのだ。


「紫藤さん!」

(維さん……逃げて)

「──え?」

(お兄ちゃんは、もう駄目。私が抑えても、抑えきれない)


 ミーヤの腕のなかで、マヤの体はますます光を増してゆく。発せられる熱波から感じる圧力は、顕醒の最大奥義にも劣らない。この一帯など簡単に消し飛んでしまいそうだ。

 銃声は止んでいる。部屋のなかにはもう維達四人と、おびただしい血塊しか残っていない。

 クッ……と維は歯噛みする。

 そして、紫藤の襟を両手で掴んだ。


「維くん⁈」

「ごめんなさい!」


 割れた窓に向かってぶん投げる。

 見事、窓枠にもガラス片にも当たらず、紫藤は外へと放り出された。


(維さん!)

「私は大丈夫。たぶん」


 維はミーヤのそばに膝を折り、真っ黒な瞳を覗き込んだ。


「守ってあげるって言ったのに、ごめんね」

(……いいんです。嬉しかった)

「お願いがあるの。教えて……あなた達のこと」


 少しの間を置いてから、ミーヤはうなずいた。


「────────ッ!」


 衝撃が維の額を貫き、意識の裏でメリーゴーランドのようにグルグルと駆け巡った。


 ──一年前、研究所、田島先生、私とお兄ちゃんは奇形病。もとの体に戻す手術……たくさんの薬……痛い、熱い、苦しい、怖い。みんな優しかった。お兄ちゃんと一緒に頑張る、私達の体、少しずつ人間に。

 ──お兄ちゃんの声が聞こえる。私の声もお兄ちゃんに届く。心で話してる。どうして……どうして……私は人間なの?

 ──白い人、綺麗で、優しげで、けれど怖い。誰、「今日までお疲れさまでした」。なにか変、頭のなかがザワザワ、聞こえる、聞こえる聞こえる聞こえる、ぜんぶ嘘だった私達は妖種私達はヒト私達はハイブリッドで一年前天風鳴夜田島先生画期的細胞移植実験被検体誘拐された記憶を消された私達は誰誰誰誰誰田島先生先生先生みんな嘘だった嘘嘘つき嘘つき嘘嘘政府施設実験実験妖種研究実験実験解剖実験兵器実験実験実験実験実験実験、お兄ちゃん助けて! 死ね! 嘘つきみんな死んでしまえ! 死ね死ね死ね! やめて! やめて! お兄ちゃん殺さないで! 僕は、僕は僕は僕はああああああ、出して……助けて……誰か、ここから…………


 それは、ミーヤに思い出せる限りの、すべての記憶だった。

 少女の一年が一秒にも満たない速さで維のなかに流れ、今この瞬間に帰りつく。


(維さん、私達のこと、わすれないで)


 ミーヤとマヤが光の塊と化し、瞬時に膨張して周囲を呑み込んだ。



     *



「以上が、ミーヤが私に見せてくれた、事件の真相です」


 ふぅ──闇の向こうから、零子の重い溜め息が維に応えた。

 目を覆う包帯。爆発の閃光を間近で見たせいで視神経を少しやられた。一週間はこのままだ。

 内臓もダメージを受けていた。肉体を硬化していなければ爆散していただろう。

 つまり維の身体はベッドの上。この報告会もいつもの事務室ではなく、医務室で行われている。


「分かりました。事件の概要は導星さんからも伺っていますし、今は治療に専念してください」


 紫藤のほうも肩を撃たれた。おまけに自分が投げた拍子で数カ所の打撲。だがマヤの爆発に巻き込まれなかっただけマシだ。

 田島研究所は完全消滅──倒壊ではなく、文字通りの〝消滅〟だった。

 爆心地から半径三〇メートルは半球型のクレーターと化し、そのなかに維だけが気を失った状態で発見された。

 ミーヤとマヤの姿はどこにもなかった。


「……零子さん」


 医務室を出ようとする足音を、維は呼び止めた。


「ひとつだけ、分からないことがあるんです。いや、分からないことだらけなんですけど……」

「なんでしょう」

「なんでアタシだけ、ミーヤと逢う前から声が聞けたんでしょう」


 強力なテレパシストのミーヤだったが、話したり心を読み取るためには、一度でも顔を合わせている必要があった。おそらく、それが相手と繋がるキーだったのだろう。

 それが、維だけは例外だった。


「……それは、私にも何とも。維さんにしか解らないことだと思います」


 やや突き放すように零子はそう言い残し、部屋を出ていった。

 入れ違いに、数人ぶんの足音がやってくる。


「維さんッ」

「維さん、よかった……!」


 凰鵡と朱璃の声──それから、もうひとつの大きな気配。


「あらあら、二人ともありがとうね。それと、アンタがお見舞いに来てくれるなんて、珍しいじゃない」


 シレッと、普段の行いを非難してみる。

 恋人は悪びれもせず、維の手に触れた。そこから、温かな流れが全身に広がってゆく。《内功》だ。


「あーあ、早く現場復帰して働けってか。ヤダヤダこんな彼氏」


 維の皮肉に、凰鵡と朱璃が苦笑を漏らす。

 できるなら、この子達には一生、そうやって笑っていて欲しい。傷つくことなく生きて欲しい。

 ──やめて、お兄ちゃん!

 ミーヤの叫びが心に木霊し、悪夢のなかの自分に重なる。

 あのときの自分も、ミーヤも、兄が怪物になるのを止めたかった。

 だが結局は止められなかった。

 もし、自分が恐ろしいことをしようとして、凰鵡や朱璃、翔達が止めようとしてくれたとしても……自分は果たして、止まれるのだろうか。


お読みくださりありがとうございます。

維の章は以上です。

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