維之章 Chapter:2
Chapter:2
珍しい取り合わせになったな、と維は山中を駆け抜けながら考える。
大鳥拓馬の義弟といっても、紫藤導星とはあまり関わったことがない。
衆のなかでは同じ〝情報員〟であっても、現役刑事の立場から情報収集に徹していた大鳥と違い、私立探偵の紫藤は妖種絡みの依頼を受け、場合によっては単独で解決する。闘者ほどの戦闘のエキスパートでないにせよ、知識や調査力を備えたオールラウンダーだ。
必然的に維達と連携する機会は少ない。
今回の要請は、よほどのことなのだろう。
合流地点は、農村地域にある道の駅。
紫藤は戸外の自販機前で缶コーヒーを飲んでいた。
「やぁ、維くん。力を借りるよ」
口調は柔らかいが、顔は笑っていない。
大鳥とは対照的だ。常に深刻そうな表情をしていて、笑顔が想像しづらい。
そういうところは顕醒に似ている。背も高いし、顔もいい。本命と付き合えてなかったら、アタックしていたかもしれない。
「翔は? あ、学校か」
「休日だとしても、今回は同行させないさ」
「そんなにヤバいんです?」
緊急とのことで、内容も聞かず飛んできた。
「……走りながら話そう。現場はここから近い」
周囲を見渡してから、紫藤は走り出す。
維もそれに続く。
「先刻、匿名で内部告発のメールが届いた」
農村らしい田園と住宅地の繰り返し。
「この先にある血液研究所で、違法な人体実験が行われているというものだった」
「それ、警察の仕事じゃなくて?」
「添えられた画像で事情を察した。告発者は不明だが、こちら側に精通している」
スマホが差し出される。併走しながら受けとった維は、画面を見てあやうく躓きそうになる。
屋内の監視カメラの映像──そのいち場面を切り取ったものだ。あまり画質はよくないが、そいつを見分けるには充分だった。
「合成や加工はされていない。カメラは電波時計内蔵で、日付の変更は不可能だ」
「そんなの、なんで分かるんです?」
「インターフェイスから割り出した」
「なぁるほど」
よくわからないが、分かったことにしておく。
撮影日は一年前。
映っているのは二人の人物。何かを話し合っているようだ。
片方は初老の男。毛髪は薄く、眼鏡。見覚えはない。
そして相手のほうは、白衣と言うにも大仰なローブ。床に付かんばかりの銀髪。粗い画素でもわかる美貌。
──天風鳴夜。
「ここだ」
紫藤の声で維も足を止めた。
気が付くと、山辺の住宅地からさらに上へと向かう道に辿り着いていた。
少し先には閉ざされた鉄扉と、侵入防止用のフェンス。門扉には『田島血液研究所』の看板。
さらにその奥には、白く平たい建物が静かに佇んでいる。
「……静かすぎるわね」
研究所など外から見れば静かなものだが、それにも増して、敷地内に生きた者の気配を感じない。
「何かあったか」
「お邪魔します?」
「不法侵入は避けたいが」
そう言いながら、紫藤は扉のそばのインターホンを押す。
応答がないどころか、音も鳴らない。
維が扉に手をかけると、ロックされているはずのそれはあっさり開いた。
「停電してる?」
二人はそのまま玄関へと急いだ。
「う……」
入った瞬間、維も紫藤も息を呑んだ。
研究所のなかは異様な状況だった。
電球はことごとく砕け、ガラス片が散乱していた。
あらゆる場所に赤黒い染みが点在し、天井から床までを汚しつつ、悪臭を発していた。
それが何か判らない維達ではない。
ミキサーにかけてぶちまけたかのようだが、紛れもなく、人体の成れの果てだ。
「《名残》は感じるかい?」
「ええ、薄いけど……」
紫藤の持つ小型LEDライトで暗がりを照らしながら、二人は各室を巡る。
更衣室、事務室、警備室、ラボ…………どこも死にまみれていた。
「どうなってるの?」
維は当惑するしかない。
一方で、紫藤はそばにあったデスクトップPCに触れ、カバーを引き剥がした。
「データ復元は絶望的だな」
PCの仕組みに疎い維にも一目瞭然だった。
基板がまる焦げになっている。
壁の配電盤を開けてみると、こちらも真っ黒だった。
「雷かしら?」
「いや」
紫藤が別のものを拾いあげる。
スマートフォンだ。表面が変形していて、液晶画面にも虹色の影が浮いている。
電線の有無に関係なく、電子機器は全滅したようだ。
「人体実験をしてたっていうのは? それらしい部屋ありました?」
「いや、だがさっきエレベーターを見かけた」
「マジ? あれ? ここ一階建て、ですよね」
「地下資材庫らしい。こっちだ」
そのエレベーターの扉は血に塗りつぶされて、周囲の壁とほとんど見分けが付かなくなっていた。
「ニブチンのアタシが見逃すワケね」
扉に指をかけ、力尽くで左右に開く。
奈落のような四角い孔が現れた。
下を覗き込むと、筺の上面がはるか下に見えた。三階ぶんはあろうか。
二人して飛び降り、屋根に着地する。
点検用の天井蓋を外して中を覗く。
幸か不幸か、無人だ。
が、筺のなかに降りて扉をこじ開けると、悪臭が雪崩れ込んできた。
地下階の廊下は、地上の惨劇を一笑に付すかのような、地獄の光景だった。
もとの壁の色すら判らない。
「ここに殺到したが、扉が開く前に全員殺されたようだな」
「──嫌な予感がするんだけど、これウイルスじゃないですよね?」
「ウイルスは機械を焼かないよ」
「まぁ、そうか……」
そのときだった。
(だれか、そこにいますか?)
頭のなかに、少女の声が響く。
「はい?」
維は頓狂な返事をしていた。
(聞こえますか? 私は、ミーヤ。お願いです。ここから出してください)
「維くん、どうした?」
「紫藤さん、聞こえません?」
「何がだい?」
幻聴かと疑うも、すぐに思い直す。
「女の子の声が聞こえるんです。たぶんテレパシーで」
「確かか?」
維はうなずく。耳ではなく、頭で聞いているという手応えがある。この世界に身を置いていると、珍しいことではない。
(アタシは維、聞こえる?)
ためしに、ミーヤと名乗る声に向かって心を開き、言葉を発してみる。
(聞こえます。ああ、よかった)
伝わった。テレパシストでない者の声も聞けるとは、かなり強い力の持ち主だ。
(ミーヤ、あなたは何処にいるの?)
(地下の、番号のついた戸の部屋)
(わかった。かならず見つけるわ)
維は通路に足を踏み出した。紫藤がその後ろに続く。
死者に詫びつつ肉塊を踏み越えてゆく。
通路は長く、閉ざされた入口はすべて自動扉で、容易には開いてくれそうにない。
(あなた以外に、生きている人はいる?)
(私と、お兄ちゃん)
(お兄さんと二人なのね。この建物で働いてた人達は?)
(…………)
沈黙。いまさら維は驚きもしない。
(あ、そこです)
ミーヤの声に、維は足を止めた。目の前に、ナンバーロックとIDカードリーダーのついた、他より厳重な扉がある。
「ミーヤ、そこにいるの?」
扉に耳を着けると、裏から、こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえる。
(維さん……! 私です。ここです)
「戸から離れて、耳を塞いで」
足音が遠ざかる。
数秒後、維の跳び蹴りが扉に炸裂した。鋼鉄の板が歪む。二発……三発と蹴ったところで中央が裂け、大人ひとりが通れる隙間ができた。
「紫藤さん、ライト貸して」
光と一緒に室内を覗き込む。星空をあしらった壁紙や、ピンク色のシーツをまとうベッドが見える。洋画に出てきそうな子供部屋だ。
と、部屋の隅に動く気配を感じて、維はライトを向けた。
眩しそうに腕で顔をかくす小さな人影。
「あ、ごめんなさい、ミぃ…………」
維の声が途絶える。
(黙っててごめんなさい。でもどうか、私達を見て、怖がらないで……)
哀訴の声が頭に響く。
「ええ、大丈夫よ」
維は光を上に向け、部屋に入った。
おずおずと、少女は腕を下げる。
大人の維よりずっと大きな頭部。黒真珠のような、白目のない眼球。ひと昔前に流行った宇宙人を思わせる。
だが唇から胸元までは、植物の蔓が絡み合ってヒトに擬態しているように見えた。
それがミーヤだった。
(お兄ちゃん。大丈夫、出てきて)
スッと、ミーヤの背後から、もうひとつの影が立ち上がる。
うつろな表情をした、十五歳くらいの少年だ──ただし、左半身だけ。
右半身は固まりきっていない溶岩のように黒く、奥底に赤い光を湛えながら、たえず流動していた。
(妖種……)
(いいえ)
維の心の呟きを、ミーヤが読み取って否定する。
(先生は、私達が世界で初めての〝ヒトと妖種のハイブリッド〟だって……)