維之章 Chapter:1
今度は維が主人公です。
中盤からは、本編で絡みのなかった意外なコンビで動きます。
Chapter:1
──やめて!──
つよい拒絶をこめて懇願する。
踏みとどまってくれると信じたかった。
だが、少女の願いは怪物に届かない。
抗いがたい力が少女を組み伏せ、包み込む。
(助けて……だれか……)
体じゅうが、何本もの腕と舌に舐めまわされる。
熱く硬いものが下腹部に触れる。
闇のなかに赤く光る、熱されたナイフ。
──やめて、お兄ちゃん!──
激痛と絶望が、維を刺し貫いた。
「──ッ!」
維は飛び起きた。
蹴り上げた布団が、天井から垂れ下がる電灯を叩く。
光と影が部屋のなかをグルグルと舞う。
「クソが」
腕で額の汗を拭った。
荒い息のまま、枕元のスマホを掴む。
午前三時。少し悩んでから、顕醒にメッセージを送る。
『起きてる?』
『どうした』
こんな時間でも、すぐに返事がくる。端末と脳を繋いででもいるのだろうか。
『会いたい。いまどこ?』
『家』
『凰鵡は?』
『寝ている』
(やっぱやめようかな……)
このごろ、自分が顕醒のとなりにいると、凰鵡の目が険しくなる。
羨望と嫉妬──ただの恋仇なら、維はしたり顔でそれを受け流せる。
だが相手は凰鵡。開き直り、突き放すには愛おしすぎる。
〝こんなはずじゃなかった〟と溜め息を吐いても、膨れ上がった負い目が萎むことはない。
(朱璃ちゃん、アタックしてないの?)
誰かに想われていると知れば、顕醒に対する執着も薄れるだろうに──出逢って一年になろうとする妹分に勝手な期待を寄せる。
『じゃ、やめとく』
と打って、書き換えた。
『こっち来て』
送信。
つくづく身勝手だと、また溜め息を吐く。
『わかった』
『ありがとう』
ベッドの上で膝を抱え、まんじりともせずに待つ。
五分後、合鍵で入ってきた顕醒をそのまま布団のなかに誘い入れた。
その日、維はみずから、敷かれることを望んだ。
夢の怪物にされたのと同じ格好で、精根尽き、気を失うように眠るまで、維は顕醒を感じ続けた。
次に目覚めたとき、維はまたひとりだった。
だが、部屋に入り込む陽光と、腹の奥に残る愛しい男の残像が、心に安らぎを取り戻していた。
*
「それで、起きたら昼だったと」
零子は溜め息を吐く。
「えへへ、スイマセン。お忙しいのは分かってるんですけどねぇ」
戯けつつ、維は出された茶をすする。
いつもの事務室。
しかし、任務の通達や報告ではない。
「顕醒さんとは、お変わりありませんか?」
「ええ。《鬼不動》と《鉄面妃》の名に違わず」
冗談めかして顕醒と自分の渾名を出す。
「凰鵡くんとは、最近どうですか?」
「……そっちも相変わらずで」
今度は茶化せなかった。
「維さんの方も、だんだん凰鵡くんに遠慮するようになってきていますか?」
(叶わないなぁ、零子さんには)
維は素直に感歎する。面の皮の頑強さと厚さに掛けて《鉄面妃》だの、やれ《鉄砲弾》だの《鉄のイノシシ》だのと皮肉られる自分と違い、内外から畏敬を込めて《三眼の麻霧》と渾名されるわけだ。強力な《霊視》と《サイコメトリー》、そして人としての慧眼である。
その智慧に、もう何年、世話になっているだろう。最初に逢ったとき、自分はまだ今の凰鵡と同じ歳だった。
あれから時は過ぎ、零子はここ第一支部の長に、自分も上級闘者と呼ばれる位にまで成長した。
だが、お互いの立場が変わった今でも、零子はこうして自分へのカウンセリングを続けてくれている。
「仕事には支障ないですけど、プライベートになると……最近じゃ向こうの家にいくのも気が引けちゃって……」
患者と医師との関係が近すぎるため、本来カウンセリングとしてはルール違反らしいが、親密さのなかにも客観的な視点を失わない零子のことを、維は深く信頼している(ある意味では顕醒以上に)。
末っ子に産まれた自分が凰鵡や朱璃に対して姉のように振る舞うのは、自分もまた零子に〝姉の理想像〟を感じ、憧れているからだろう。
「凰鵡くんとの関係について、顕醒さんには話されました?」
「いえ、それはまだ……」
──コンコン。
と、事務室の扉がノックされた。
カウンセリングの間、事務室には二人きり。朱璃すらラウンジで待機させられる。
零子の目が「よろしいですか?」と問う。
維も「よろしいですわよ」と手でうながす。
「どうぞ」
廊下に聞こえるよう、零子は声を張って応える。
「失礼します」
おずおずと開いた扉の陰から、朱璃が顔を覗かせる。
「紫藤さんから連絡が入っています。至急、闘者を派遣してほしいと」