第六話
ボロボロの鉄とセメントの一室の窓から遠くを眺める。人類の半分以上が亡者となった世界でも電気は暫く使える様で地平線の街明かりがうっすらと空を照らしている。亡者になった時に付けっぱなしだった部屋の電気や街灯の光。星の輝きはその光によってかき消され、ぼんやりと見えている物はしかしながら美しいままだ。変わったのは人間社会だけであり、それ以外は全てが正常だと思い知らされてしまう。
昼までは明るさ等を認識する事はなく全てが同じ様に見えていた。しかし昼間に生き物の肉を食した事に寄ってか身体の多くの部分が再生し、潰された片目も再生したかと思えば両目の機能は人間の物に近い状態となった。残念ながら肌は青黒いままだが。
例の幼子たちは部屋の片隅で茶色と灰色に汚れた毛布に包まれ、抱き合ったまま眠っている。子供とは不思議な物でここへ連れて来た時は泣き散らしてこちらを見ては震え。しかし疲れが限界に達すると何の抵抗もなくあっさりと眠りについてしまった。
変わらず彼らからは甘い匂いが漂っているが、昼間に腹を満たしたおかげか食欲をそそられる事は幸いにして無い様だ。
今居る場所は街から東に1キロ程離れた田んぼに囲まれた廃工場だ。大凡20年前に閉鎖した車のエンジンの工場らしく、工場の周りには使われる事の無かった部品やスクラップが積まれている。
そんな工場なので人は誰一人働いて居らず無人だったのだ。幸いここまで来る亡者はまだ居ない様で不吉な気配は何一つしていない。周囲の安全は二人が眠りについてから確認出来ており、あるのは照らす星と建物を吹き抜ける風の静けさだけだ。
部屋のドアの前には執務用だっただろう机を移動しておいたので万が一亡者が部屋に侵入する事も無いだろう。
さて、幼子二人が寝た事を確認出来たので昼間から試したかった事を実行に移すとしよう。先程にも述べたが身体の大部分が再生したのだ。目は人間の様に……否。変わらず視界は人間の時より良い気がするが、より人だった頃の様に明るさを識別する様になり、今が夜だと明確に判断出来る。コンクリートに叩きつけて潰れた筈の指は元に戻っており、喰い千切られた喉も見た目は綺麗な物になっている。
「オ゛ンイ゛イワア゛」
しかし声を出す機能までは回復して居ない様だ。思えば食べた物を排出する機能や、目は再生しても涙を流す機能など。人として必要な物は再生出来ていないらしい。というよりそれらの人体機能を完全に除いた状態に変化したと言うべきか。食した物は何処へと消えて行くのだろう。考える程人から離れている事に気付く。
ここに居ては子供たちの眠りを妨げてしまうかもしれない。4階の窓から外へと飛び降りて2つの足で着地してみる。地面の土には足の形にくぼみが出来上がったがこれと言って問題は無い。生身の人間が同じように力を逃す事なく着地しよう物なら骨折どころか最悪死ぬ事間違い無しだっただろう。だがそんな様子は無く、明らかに身体が人間の時以上の耐久度を持っている事が知れた。
その身体の耐久度を試そうと思って右手を手刀の形にして全力で左の前腕に叩きつけてみる。
ッタアアアアアン
鈍い音の様で金属を叩いた様な音と共に前腕の骨が砕けて途中からダランとぶら下がる。痛みこそは無いが身体の感覚はある程度戻っており、叩いた感触は感じれた。
しまった。これは治らないかと腕を眺めながら後悔しだした所で骨の砕けた部分が薄い赤色に光だし徐々にぶら下がっていた腕が元の位置へと戻っていく。再生しだしたのだ。気が付けば腕はまるで何事も無かったかの様に治ってしまった。
ここで一旦考えをまとめてみる。
変化が起きたのは明らかに昼間に人の血肉を取り込んだ後だ。それ以前はコンクリートに手を叩きつければ潰れたし、他の亡者達は人間に鉄パイプで殴られ、いとも簡単に頭を吹き飛ばされていた。しかしそれでは幾つか説明のつかない事があるのだ。人の血肉を取り込んだのは何も今回が初めてじゃない。身体の制御権を取り戻す前も何度かそうした筈だ。そして自分以外の亡者達も幾度となく人を食していた。しかし身体が再生出来ている者は誰一人として居なかった。
では一体何が条件なのだろう。
そもそも人間が亡者へと変化した事もそうだが、映画や漫画の中ならともかく止まった心臓で動ける事自体が説明付かないのだ。そして今のこの状況。亡者となって筋肉の安全装置が外れたのかもしれない。しかしだからと言って再生する事には説明が付かない。元々オカルトにはそれ程興味も無ければ信じもしていなかったが、いよいよ科学では説明の出来ない事が起こり過ぎている。
ここで考えても答えは出ない。これらの疑問を解消することが今後の課題の一つだろう。
気を取り直して今度は全力でジャンプをしてみる。気が付けば廃工場の4階の窓から部屋の反対側で寝ている子供たちの様子を覗く事が出来たかと思えば着地も難なくこなせた。
身体の耐久力と再生能力については分かった。ジャンプして4階まで飛び上がる程の脚力も確認出来た。さてパンチ力はどうだろう。
音の事を考慮してある程度離れた田んぼに放置されたままのトラクター目掛けて全力で走る。一歩一歩が大きく気が付けば200メートルをウサインボルト顔負けの速度で完走する。少し距離があると思っていたトラクターはすぐ目の前にあり、錆びついた車体は放置されたのが亡者が現れるずっと前だと物語っていた。
そんなトラクターの正面部分に狙いを定めて思いっきり拳を突き出してみる。
ガンッ
エンジンが収まっているだろう部分は拳を中心として大きく凹みを作り、中身が軋む金属の悲鳴を挙げる。しかし手の方は何事も無かったかの様に無事だ。否、前腕が再生した時の様に若干の赤い光を放っている。今回は再生している訳では無さそうで、同じ光でも何かしら違いがある様だ。
さてこの位で良いだろう。子供たちの所に戻って朝を待つとしよう。彼らの父親を殺した責任がある。安全な寝床を用意した所で食べさせる事も必要だ。しかしずっと一緒に居る訳には行かない。彼らを受け入れてくれる人達を探さねばならない。