第二話
あれからどれ程経ったか覚えていない。気付くと夜だった。亡くなった筈の身体は未だに生き人を探し、他の亡者と共に彷徨い続けている。
――――人を喰らいたくない。
それだけを考えて思考をシャットアウトしていた。
しかし遂にそれが出来なくなった。
視界から僅かに入ってきていた情報に見覚えのある顔が混じった気がした。まだ生きていた。……亡者達から必死に逃げていた。見たくない。見つけたくない人だった。既に絶望していた意識が更に赤黒く染まる。心の中で必死に叫ぶ。
『やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれえええええ!!!』
そんな心の叫びは意識の中でだけ響いて空振り、そして虚しくも消えていく。もうこれ以上現実に目を向けたくないと逃避する意識と、身体を全力で止めようとする気持ちがせめぎ合い、しかし身体は何も知らぬ子供の様に、食に貪欲な様で足を早めて行った。
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気が付けば身体が人のそれじゃない速度で走っていた。亡者となった事によって筋肉や骨の痛みは無くなり、足が引きちぎれんとする勢いで前へ前へと進み続ける。片目は潰されたが、人じゃなくなったせいか残った片目でも遠くを認識する事が出来ており、獲物を見つける為か夜にも関わらず周りは明るく見えた。だからその人との距離が近付いた事によって確信に変わった。
見覚えのある顔は本当にその人の顔だった。家族と共に居る様子は無く、どこかでハグれてしまったのだろう。しかし、他の大人と共に逃げている様だった。
自分以外のゾンビ達は先にその一行に追いついた様で、足が向く先から無数の叫び声、泣き声が聞こえてくる。そこでふと自分の胃が鳴ったのが聞こえた。目の前に転がる新鮮な生きた肉達に歓喜している様だった。
「や、やめて……。やめて……!!来ないでっ!!!」
知っているその人の声が聞こえた。自分の身体が聞こえたその声の方向へ足を向けた。もう諦めようとしていた思考が更にクリーンにハッキリしていく。
目の前のその娘は転んだせいか足を傷だらけにして周りを見渡していた。
他が誰なのかは分からない。けど、彼女を助けた者達だろう。あるいは友人か、親族か。それらの人々が喰われていく様を横目に見てから、目の前に集中する。
『おい待て。違う。喰いたくない。違う。ちが――――』
――――目があった。
誰と?
――――知っているその人と。
誰?
――――好きな人
誰が?
――――疼き続ける食欲を満たさんとする亡者が。
「……そんな……。あなたも……。」
泣いて叫んでいた顔は虚ろになって行き、全てを諦めたかの様に目の前の死を受け入れようとしていた。
身体がまた勝手に動いた。抵抗しない彼女に飛び掛かり、両腕を道路に抑えつけた。不思議な事に彼女を喰らおうとする亡者は自分だけだった。
もう暴れようとしない「肉の御馳走」の柔らかそうな香りが鼻を掠める。
右腕を抑えつけていた自分の腕が勝手に動く。やはりそこに自分の意思は無い。もう自分の身体を止める事は叶わない。
彼女の首に改めて手を置き直そうとした腕が、静かに空中を移動した。
そして――――
――――自分の顔を全力で殴っていた。