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露店を開いて一週間。特に大きな問題は起こらず、それなりに忙しく、充実な毎日を過ごしている。
午前は人魚達の所へ行き、他の拠点にいる人魚の為に槍や魔動カセットコンロを作成して、マジックバックの使用具合を聞かせてもらう。人魚達の元へ行かない時は、各地区の商店街を見て回っている。
そして午後には広場の南側で露店を開く。あれから魔道具は冒険者達の口コミで拡がって買い求める人が多くなり、今では “洗浄の魔道具” と呼ばれているので、それを商品名にさせて貰っている。今の所、魔道具の不具合等の苦情は来ていない。
魔力収納内で育てている果物達も、主に一般の人達に人気だ。新鮮で甘く、そのまま食べる人もいれば、ジャムにしている人もいる。
これだけだと少し寂しいと思い、果実酒とアップルブランデーも商品として並べてみた。この時は、ただ商品の種類を増やして店としての見映えを良くしたいだけだった。
しかし、良い酒というのは人を簡単に虜にしてしまう。今では出せば売れる、この店の目玉商品とも言えるぐらいになってしまった。
後は時間を見つけて、エルフの里へ人魚から仕入れた海の幸を届けに一旦戻り、それと一緒に海水から作ったにがりを渡して豆腐の作り方を教えた―― と言っても細かい分量は把握していないので予め自分で作り、何度も失敗を繰り返してようやく形になったレシピをエルフ達に提供する。
彼等ならもっとちゃんとした豆腐に仕上げてくれるだろう。それを今度は俺が参考にさせてもらおう。この日、新たに里で豆腐料理が加わる事になった。
そんな日々を過ごし、今日も広場で店を出す準備をしていると、何だか辺りが騒がしくなってくる。何かあったのだろうか?
何時も果物とアップルブランデーを購入してくれる男性客に聞いてみると、
「ああ、領主様が王都からお戻りになったのさ。盗賊も捕まったし、これで安心だな」
笑顔でそう話す男性客は商品を購入して帰っていく。
そうか、遂に戻ってきたか。この街の人達による領主の印象はとても良く、誠実で真面目な人柄だと聞いている。それが本当なら、是非とも助力を仰ぎたい所だ。
有り難いことに固定客も出来て、赤字もまだ出していない。元手が殆ど掛からないので、その分利益が大きいのだ。だけど、順調にお金も貯まってきているのだが、まだまだ店を構える程ではない。もっと安定して利益が出せるようになったら、土地を借りて店を出すか、ローンでも組んで土地を買うか。どちらにしようか……
日が大分傾いた頃、店じまいをしている最中に見知った人物が訪ねてきた。
「ごきげんよう、ライルさん。お噂はわたくしの耳にも届いておりますわ。上手くいっているようで何よりです」
キリッとした太い眉に巻きの強い金髪縦ロールが特徴的な、今日の彼女はすこぶる機嫌が良いように見える。
「ありがとう、シャロット。お陰様で稼がせて貰っているよ。今日はどうしたんだ?」
「それはですね、お父様が王都からお戻りになられましたの。つきましては盗賊捕縛のお礼も兼ねて、夕食のご招待に伺いました。お父様もあなた方にお会いするのを楽しみにしておられますわ。是非、いらして下さいませ」
それは願ったり叶ったりだ。領主と会えるチャンスを逃す手はない。しかし、今からか? 随分と急な話だな。
「お伺いしたいのだけど何分急な話で、着ていく服がね…… 」
こんな見窄らしい服では失礼になるのではないか? こんなことなら仕立ての良い服の一、二着くらい買っておくんだった。
「問題御座いませんわ。今回は私的なものですので、お気になさらないで下さい。さあ、彼方で馬車をご用意しております。行きましょう」
俺とエレミアはシャロットに引っ張られる形で馬車に乗り、領主の館まで連れてこられた。相変わらずの広い敷地を通り、館の中に入ると、エントランスには使用人達が左右に縦一列に並び、一斉に頭を下げる。そんな使用人達に挟まれ進んで行った先には、恰幅の良い男性が出迎えてくれた。
「グフフ、良く来た。君達の事は娘から聞いておる。吾輩がこのレインバーク領の主、マーカス・レインバーク伯爵である。此度の娘への助力、誠に感謝しておるぞ。ささやかではあるが、食事を用意した。楽しんでいってくれたまえ。ブフゥ~……」
「ほ、本日はお招き頂き誠に有り難う御座います。私はライルと申します。以後、お見知りおきを」
「…… エレミアよ。宜しく」
この人が領主か。なんか街の人から聞いたイメージと違うんだけど…… 横に大きく肥大した体、脂でテカテカな肉付きの良い顔に薄めの頭髪。見た目だけで言うと立派な悪徳貴族そのものだな。
「グフッグフッ、そんなに畏まらなくても良いぞ。娘からは友人と聞かされておるのでな。楽にしていてくれ」
館の食堂に案内され、俺は長いテーブル席に領主と対面する形で席に着き、エレミアはシャロットと対面する席に着いた。
使用人達が料理を運び、テーブルに置いていく。その何れもが海の幸をふんだんに使った料理ばかりだ。
「グヒヒ! これぞ! これ! これが食べたかったのだ。う~ん、良い匂い…… やはり我が領の食事が一番であるな」
海産の香りに領主は嬉しそうに笑う。言っては何だが、その顔は不気味だ。
「お父様、涎が出ておりますわ。はしたなくてよ」
シャロットはテーブルナプキンで領主の口から垂れている涎を優しく拭き取り、「失礼致しました」と軽く頭を下げる。
「おお、すまないね。久しぶりの海の幸で興奮してしまった。王都の料理も旨いが、何だか物足りなくてな」
そんな親子の仲睦まじい様子を見せられ、食事の準備は進んで行く。今気付いたんだけど、食事は五人分用意されている。領主の隣の席にも料理が運ばれているのだ。後でもう一人来る予定なのかな? その様子を見た領主が説明してくれた。
「ブフゥ、この席には魔術師の先生が座るのだよ。ゴーレムの術式の件で王都に行っておったのだが、一段落着いたようでな、吾輩と共にこの街に戻ってきたのだ」
ああ、確かシャロットのゴーレム、シュバリエに使われている術式の研究に協力した魔術師だったか? シャロットの魔術の先生もしていたんだな。
そう思い出していると、入り口から眼鏡を掛けた一人の男性が入ってくる。
「すみません。お待たせしました」
懐かしい声に、青年だった顔は面影を少しだけ残し大人のそれに変わっていた。それでも、眼鏡の奥にある優しい瞳は変わらない。
俺は静かに席を立ち、ゆっくりとした足取りで、その魔術師に近づいていく。それに気付いた魔術師は此方へ顔を向けると目を見張り、息を飲んだ。そして、か細い声で俺の名前を呟く。
「…… ラ、ライル…… 君?」
「…… お久しぶりです。アルクス先生」