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辺りが白に染まり、視界は限りなくゼロに近い。そんな中でスキュムを捉えているのは、魔力を視認出来る俺とエレミアだけだろう。
「やったのか? 相棒! 」
「いや、まだ奴の魔力は視えている。でも、ここからが大事なんだ。俺の予想通りなら、これで奴の自慢の体は使い物にならなくなっている筈」
「そうあって欲しいわね。魔力を視る限りじゃ、何の変化も無さそうだけど…… 」
俺達は今も動く様子が無いスキュムを警戒し、この水蒸気が晴れるまで距離を置いて待っていた。
視界が鮮明になるにつれて、奴の姿が段々ハッキリとしてくる。パッと見何も変わっていないようにも思えるが、良く見れば所々羽や羽毛に亀裂が入り、スキュムが動く度に体が欠けていっているのが分かる。
金属のように見えるからと言って、完全に同じではない可能性は十分に考えられた。しかし何もしなければ、やられていたのは俺達の方だった。
体を軋ませながらも、どうにか行動しようとするスキュムに、堕天使達は好機と思ったのか、槍を構えて一斉に襲い掛かる。
俺の魔力支配もあり、スキュムの動きはまるで壊れた玩具のようにぎこちなく、堕天使達の槍を防ぐ事すら出来やしない。
槍がスキュムの体に当たる度、罅は広がりボロボロと欠片が落ちていく。
「なんという事だ…… 魔王様から頂いたお力で進化した私の体が…… く、崩れて…… この様な醜態、とても魔王様には見せられん…… 許さんぞ!! 例えこの身が崩れようとも、お前だけは生かして帰さん! ここで私と共に死ねぇ!! 」
体が崩れるのもお構いなしに、スキュムは最後の力を振り絞り、此方へ飛んで来る。
こいつ、俺を道連れにして死ぬつもりか? 死を覚悟した者は予想以上に厄介で予測は不可能。そして思いがけない力をも発揮するので決して侮れない。
「止めろ! こいつを長の下へ行かせるな!! 」
タブリスの焦りに、他の堕天使達も必死にスキュムを追い掛けて止めようとするが、その巨体は速度を落とすどころか増々速くなる。いったいボロボロな体の何処にそんな力が残っているのだだろうか?
「退け!! ここは俺様が引き受けるぜ! 」
雷へと変化したテオドアがスキュムを感電させ、体に広がる皹は一層深くなり、その亀裂から血が流れ落ちる。それでも速度は落ちないのを見れば、奴が本気で俺と心中するつもりなのが良く分かる。
『相棒、逃げろ!! この野郎、全然止まる気配がねぇぞ! 』
テオドアの焦った魔力念話が送られてくるけど、悪いけどここで逃げる気は更々無いよ。この鳥野郎を確実に仕留めると決めているからね。
「ライルは下がってて、私が必ず守るから」
「…… 本当にしぶとい。でも、レイチェルが受けた苦しみを、これで奴も分かったでしょうね。…… いい気味だわ」
エレミアとリリィが俺を守るかのように前に出て、魔力を練り始める。
「行くわよ、リリィ。ちゃんと合わせなさいよ」
「…… 分かってる。…… でも、流石に練習もなくいきなり本番では厳しい。…… あまり期待しないで」
二人が何か話した後、リリィの魔術陣が、スキュムの軌道線上に浮かび上がり、その上を通るのを見計らい魔術を発動させる。
魔術陣から吹き出た風がスキュムを巻き込み、そこにエレミアの雷魔法が加わり、電撃を纏う竜巻となってスキュムを閉じ込める。テオドアの雷も相まって、その派手な見た目通り凄まじい威力となっているだろう。
確かぶっつけ本番みたいな事を言ってたよな? 何時の間に打ち合わせをしたのか分からないけど、中々上手く行っているじゃないか。
「…… テオドアのは完全に予想外」
「そうね。結果威力も上がってるんだから、良いんじゃない? このままアイツをバラバラにしてやろうじゃない。魔力ならたんまりある事だし」
そう言って意味深な頬笑みを送るエレミアに、俺はやれやれと大袈裟に肩を竦める。何度も言うようだけど、俺の魔力は無限にある訳ではないんですけど?
『おぉ! こいつは良いぜ! ついでに魔力も全部俺様が吸い付くしてやらぁ!! 』
テオドアって、勝ち目が見えるとすぐに調子に乗るよな。それで何度か痛い目に遭っているというのに、ちっとも学習している様子は見受けられない。でも何故か憎めない奴でもあるのが不思議だ。
「ふぅ…… これでは手が出せんな」
俺の側では、スキュムを追いかけていた堕天使達が戻り、タブリスと同じように残念といった風な表情をしていた。
「これは仕方ないよ、下手に手を出したら危なそうだからね」
「しかし、長よ。これで決着とは些か消化不足というもの。まぁ、その分は他の魔物で解消するとしよう」
既に勝敗を決したかの雰囲気に俺も少し気が抜けていたが、エレミアとリリィの驚愕した声で、再び張り詰めた緊張感が戻ってきた。
「何なのよ、コイツ!? 何処まで頑丈なの? 」
「…… 見謝った、まさかこれ程とは …… 耐久性で言えば、完全にガムドベルンを越えている」
まさか…… これで決着しただろうという俺の思いは、目の前の光景に打ち砕かれた。
「こんなもので、私を殺せるものか!! 貴様だけは…… ここで消さねばならん! 貴様のような半端者が、世界の均衡と秩序を乱すのだ! 人間なんかが調停者に選ばれたのが、そもそもの間違いだ! 」
憤怒にまみれたスキュムが、テオドアとエレミアの電撃とリリィの竜巻から強引に抜け出しては、俺へと視線を逸らす事なく飛んで来る。
今、スキュムが俺に対して何を感じ、そこまで嫌悪しているのかは分からない。だけど、ここは無視して良いものじゃないのは分かる。奴は俺が相手をしなくちゃならない。
「エレミアとリリィは下がっててくれ」
俺の言葉にリリィは素直に頷いて従ってくれたけど、エレミアの方は何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに後ろへと下がった。
スキュム…… お前が俺に怒りを覚えているように、俺もお前に怒っている。だから、今から俺がする事に卑怯だとかは言わないでくれよ?
俺は今繋げている全ての者から魔力を切って自分へと戻す。そして、今度は俺の持てる限りの魔力でスキュムの支配を試みた。
膨大な魔力がスキュムに侵入していく度に奴の動きは鈍くなり、やがて完全に止まる。それでも抵抗を続けるスキュムの魔力に、俺の魔力が押し出されそうになるのを耐え、奴の細胞一つ一つに魔力を染み込ませて支配する為に集中する。
俺とスキュム。お互いに視線を合わせたまま静かな攻防が繰り広げられる。端から見たら、ただ止まって見詰め合っているだけで、とても命懸けの戦いをしているようには思えないだろうな。
どのくらい見合っていたのだろうか? 体感では数時間にさえ感じるが、実際には数分かもしれない。もうそれぐらい集中して感覚がおかしくなっているという事だ。
と、ここでスキュムが口を開いた。
「まさか、ここまでとはな…… やはり貴様は化物だ。せめてもの救いは、魔王様には貴様の力が通じないという点だけか…… 」
そう何度も人の事を化物呼ばわりしないでほしいね。でも、完全とはいかないがスキュムの肉体は支配出来た。この勝負、俺の勝ちだ。
「調停者だとかは関係ない。お前は俺の妹を傷付けた。そのたった一つの理由が、俺をこの戦場に向かわせたんだ。お前にしてみれば取るに足らないものでも、俺にとっては十分過ぎる程の理由なんだよ」
「理屈ではなく感情で動くか…… だから人間に調停者は務まらんのだ。神は何を考えているのか、さっぱり理解出来ん」
「それは俺も同じさ。向こうで会う事があったら聞いてみると良い」
俺は支配したスキュムを体を操って細胞から破壊しようとしたが、まだ尚抵抗を諦めていなかったようで、破壊出来たのはあの大きな羽と幾つかの内臓だけだった。
羽を破壊された事により、浮力を失ったスキュムは地上へと落ちていく。
まぁ、あの様子ではもうまともに戦う事すら出来ないだろう。後はリリィやタブリス達に任せても大丈夫だ。残念だけど、俺はこれ以上動けそうもない。
魔力を使いすぎてしまったのか、体から力が抜けて落ちていきそうになる俺の体を、エレミアが咄嗟に支えてくれた。
「またこんな無茶をして…… この事はクラリスにも伝えておくからね」
「えっ!? ちょっ、何で母さんに? 」
「自分の息子に何があったのか、母親としてきちんと知っておきたいそうよ。だから、後でこってり絞られると良いわ」
マジか…… 早く帰りたいけど帰りたくない。何とも複雑な気分だよ。
「おい、相棒…… あれはちっとばかしヤバいんじゃねぇか? 」
うん? 何故かテオドアが引き気味な声で地上を見下ろしているので、俺もその視線に合わせると……
羽を破壊されたスキュムが落ちていく先には、今も魔物と戦っていたクレス達勇者候補とレイシアが見える。しかも心なしか、此方を見上げて驚きに染まった顔をしているような……
これは、うん。確認を怠った俺の責任だね…… 本当に申し訳ない!