39
―― レイチェルが意識不明の重体で運ばれて来た――
マナフォンから聞こえるクレスの声に、俺の思考は一瞬停止しては少しずつ頭に染み込んでいき漸く理解した頃には、不安と怒りが入り交じって上手く言葉にならなかった。
俺はクレスへの返事をそこそこにマナフォンを切って、アンネの精霊魔法でレヴィントン砦にいるレイチェルの下へ直ぐに向かった。
アンネの空間を移動する精霊魔法では、レヴィントン砦の結界は抜けられない。なので、闇の精霊を呼び出し影移動の真似をしてレイチェルの近くにある影に移動する。
ここは医務室だろうか? 見るからに清潔そうなベッドに寝ているレイチェルは、リリィと神官によって外傷がすっかりと無くなっていた。いつもの綺麗な顔で寝ている彼女を見て、安心したのと同時に後悔と怒りが沸々と上がってくる。
突然、医務室にある影から現れた俺とアンネに、その場にいたリリィとレイシアは驚きで目を見開いていた。
二人の話しを聞くと、レイチェルとタブリスは調査の為に敵陣へと侵入していったらしい。ここの責任者は何を考えているんだ、まだ成人にも満たない少女にこんな危険な事を頼むなんて―― そこまで考えて俺は端と気付く。
俺も同じ事をさせたじゃないか…… もしかして、あの時上手くいかなかったから、レイチェルは断らずに引き受けてしまったのか? レイチェルがこうなったのは俺のせい?
そう思うと一気に頭が冷えてきた。自分の事を棚上げにして何を言っているんだか…… 俺に他人を非難する資格なんてなかった。
「何してんの? 早く魔力支配でレイチェルを調べなさいよ。回復魔術や魔法だって完璧とは言えないのよ? 見た目だけ綺麗になってもまだ安心できないっしょ? 」
「そうか、それもそうだ。ありがとう、アンネ」
アンネの言う通りに魔力をレイチェルへ流し、内蔵や脳に至るまで異常が無いか徹底的に調べた。その結果、内蔵の幾つかに小さな異常を見付けたが、魔力で細胞を支配して正常な状態へと戻す。脳が無事で本当に良かったよ。幾ら魔力支配でも、脳を治すのは難しいからね。下手すれば一生寝たきりになってしまう恐れもある。
長い時間レイチェルを診ていたからか、不意に後ろから声を掛けられる。
「早いね、ライル君」
いつの間にかクレスとタブリスが医務室に来ていた。リリィからここの責任者と勇者候補、それと部隊長達で会議をしていると聞いていたけど、もう終わったのか?
俺はクレスに連絡をくれた事にお礼を言い、タブリスから事の顛末を詳しく聞いた。
ふぅ、どうにか最後まで聞き終えた俺は、今にも感情が爆発しそうなのを抑える。話の途中で何度怒りで叫び出そうとしたことか……
そうか、最後まで諦めずに頑張ったんだな。強くなってくれるのは嬉しいのだけれど、兄としてはもうこれ以上レイチェルには傷付いて欲しくない。出来るならずっとこういう戦いから遠ざかっていてもらいたいものだ。
それにしても、スキュム―― か。よくも俺の妹を……
確かに、向こうにも色々と事情があるのは分かる。これは戦争なのだから、誰かが傷付き殺されるのは当たり前なんだ。これまで戦争によって何れだけの人が亡くなったか…… その危険性とレイチェルの力とを天秤にかけた結果、レイチェルに敵情視察なんてものを頼んだ責任者、そしてそれを引き受けたレイチェル自身、その原因となった俺。
きっとその誰もに責任があり、特定の人物を責める事など出来はしないだろう。人も、魔物も、各々に立場と理由があるのだから……
でもそれはそれ、これはこれだ。
どうして俺がそんな事を一々配慮しなくちゃならない? ふざけんなよ? 人が怒る理由なんて酷く単純で理不尽なもの。妹を傷付け殺そうとしたその鳥野郎は絶対に許さない。例え向こうに正当な理由があろうとも関係ない。
勝手に敵陣に侵入して返り討ちにあったレイチェルも悪い? 違う、俺の妹に手を出した奴が一番悪い。大衆的な意見なんて望んでもいなければどうだっていいんだよ。これはレイチェルの兄としての怒りだ。俺だけの感情だ。他人に文句を言われる筋合いはない!
やるなら徹底的に、周りの迷惑も事情もあえて無視する。この魔力支配の力は、使い方一つで如何様にも変化する。今回はただ命を奪う事のみに使うつもりだ。純粋に敵を殺すだけに特化させた魔力支配は、本当に恐ろしいぞ? 今までずっと躊躇してきた。人には勿論、魔物にだって使おうとは思わなかったぐらいだからな。
あまりの怒りで俺の中で箍が一つ外れたような気がした。どんな理由であれ、感情で物事を決め進めるのは大体後で後悔してしまうのが世の常なのだが、だからと言って今更抑えるつもりも止まるつもりもない。
取り合えずその鳥野郎をぶっ殺してから後悔するなり反省するさ。
そう心に決めていると、ふと俺に突き刺さる視線を感じて意識を外に向けてみれば、クレス達が驚いたような、それでいて何処か怯えているような目で俺を見ていた。はて? いったいどうしたんだ?
『まさか無意識なのか? お前の激情が籠った魔力を周囲に撒き散らせば、恐ろしくもなるだろうに。お前がこれ程に感情を露にするとは珍しいな』
ギルの言葉を聞いて、俺から圧縮された膨大の魔力が漏れ出ているのを気付き、直ぐ様引っ込める。
はぁ…… ここは一旦落ち着こう。今暴れたって無意味だ。この感情は鳥野郎とその仲間に全部ぶつけよう。だからそれまで心の奥に貯めておかないとな。