敵情視察 5
五分…… 一般的には短い時間だが、今のわたしにとっては永遠とも思える程に長く感じる。
傷から流れる血は温かさを失い、傷口の熱はすっかりと冷め、ひたすらに体温が低下していくばかり。
寒さで震える体力さえもう残ってはいないわたしの事情など構いもしないスキュムは、怒り任せで乱暴にわたしが作り出した闇の壁を破壊せんと狂ったように攻撃を加え続ける。
タブリスにはギリギリだと見栄を張ったけど、本当は五分も持たない。既にわたしの魔力は底を突きかけている。正直、立っているのも辛くて、今すぐにでも意識を手放して楽になりたい気分だわ。
それでも諦める訳にはいかないの。わたしには帰る場所があるから…… 待ってくれている人がいるから…… 必要として貰いたい人がいるから……
「ヌゥウウ!! 鬱陶しい闇め! 」
壁の向こうでスキュムの魔力が膨れ上がる。流石にあんな魔力が込められた魔法を放たれたら、持ち堪えられそうもないわね。
チラリと横目で隣のタブリスを見る。体中の至る所に大傷を負ったタブリスは、目を瞑り回復に専念している。傷口が脈動し、少しずつ塞がっていく様子が伺えるけど、肝心の片腕と翼が治るのはまだのようね。
その間にもわたしの魔力は減り、練りに練られたスキュムの魔力から魔法が発動しようとしている。見えなくとも気配で分かるわ。
ふぅ…… いいわ。わたしも覚悟を決めようじゃない。
ここで魔力が尽きようとも、寿命が縮もうとも、体に後遺症が残ろうとも構わない。兄様とお揃いになるのも悪くないわね。それとあわよくば家から勘当され、晴れて貴族を辞められるかも知れない。どちらにしても、わたしに損はないわ。さぁ、来るなら来なさいよ!!
不思議と気分は高揚していた。別に自棄を起こした訳ではないけど、何もかもを吹っ切って気分はスッキリして、口角が上がるのを抑えられない。
貴族の令嬢としては端ないけど、わたしは下品に足を開いては右足を少し後ろへ下げて踏ん張る体勢を取り、両手を前に押し出す。
迎え受ける覚悟も用意も整った時、壁の向こうから巨大な魔力のうねりが大波の如く押し寄せてくる。スキュムの風魔法が発動したのだろう。
わたしが作り出した闇の壁とスキュムの魔法が衝突する。闇が魔法を呑み込んでいくので、壁の内側にいるわたしには衝撃は全くと言っていいくらいに皆無。しかし、これ迄とは比べ物にならない程の魔力が削られていく。
足の力が抜けて方膝を付くが、それでも意識だけは手放さないよう下唇を噛み耐える。魔力はとうに限界を迎え、気力だけで持ち堪えている状況へ、更にスキュムの魔法の威力は高くなる。
無理に魔法を維持し続ける為、わたしの体は悲鳴を上げて内側から崩壊していく。目、鼻、口、爪の間から血が流れ出て、頭が割れる程の痛みが襲ってくる。
「ごほっ!! 」
堪らず咳き込むと、夥しい量の吐血が地面を赤く染め上げ、粘り付くような熱い感覚が額から顔全体へと伝わってくる。両手の甲に浮かび上がる血幹から血が噴き出しているから、たぶん額に膨れ上がった血幹も内側から破裂して血液が顔に流れ落ちているのだろう。
その血が目へと入り視界が赤く、そして意識も遠くなっているのか暗くもなっていく。
そろそろ本当に危険かも…… 知らなかった、魔力が尽きても魔法は維持出来るし、限界を超えて使い続けるとこんなにも体に負担を掛けるのね。貴重な体験だわ…… これでまた一つ勉強になった。
あぁ…… きっと今のわたしは血塗れで見苦しい姿になっているわよね? こんな姿、兄様には見せられないわ……
あれほど響いていた心臓の音も、今はちっとも聞こえてこなくなり、全身の力が抜けて、まるで糸が切れた人形のように何の抵抗も出来ず前のめりに倒れる。
それでも不思議と意識は保ったままで、どんどん近づいてくる地面を眺めていたら、突然の浮遊感と共に視界が地面から遠ざかっていく。
「何とか間に合った―― とは言えないが、どうにか生きているな」
そうか、タブリスが治した右腕でわたしを担ぎ、再生した翼で闇の壁が消えた所で空へと退避したのね。
「だいぶ乱暴な扱いになるが、後で文句は言わないでくれよ? 今はあいつから逃げるのが先決だからな! 」
そんな事を言わなくとも分かってるわ。そう答えて上げたいけど、もう一言も喋る体力さえ残ってはいない。
しかし、此処からが問題で、あのスキュムから無事に逃げられるだろうか? 必ず後を追ってくる筈だわ。安全が確定するまで気を失う訳にはいかない。
…… ? おかしいわね、嫌に静かだわ。スキュムかロック鳥が追って来ているのなら、もっと騒がしくなるのに……
「何故かは知らないが、奴らが追ってくる気配はないぞ。どういう事だ? いったい何を企んでいる? 」
そう、そういう事ね。奴にとってわたし達は態々追って始末する程のものではないと…… わたしの闇魔法は厄介だと認識しているけど、あの場で仕留めきれなくとも、これだけの深手を負わせれば開戦するまでわたしは何も出来ない。つまりは向こうも戦力を整うのに時間が必要で、わたしの提案は都合が良かったが、人間と魔物の口約束なんてお互いに信じられる訳はない。だからこそスキュムは闇魔法で自由に敵陣へと侵入できるわたしを殺すか、最悪暫くの間行動不能に出来れば良かったんだわ。
そして奴の狙い通り、わたしは重症で動けそうもない。でもね、わたしもタブリスも生きている。完全に負けという訳ではないわ。
彼処で見て経験した魔物の勢力とスキュムの存在と能力、この情報を持ち帰られた事は大きい。例えそれが奴の力の一端でしかないとしても…… どうせまだ本気の力を隠しているからと、余裕を持ってわたし達を見逃したのでしょうけど、それは甘い考えだと言わざるを得ないわ。
まぁ、お互いに甘さが際立つ結果となってしまったわね。こんなにボロボロになって…… これじゃ兄様に誉められるどころか、怒られちゃうわ。
そんな事を考えていると目の前が完全に暗くなり、私の意識は闇へと沈んでいった。