敵情視察 4
思い出すのよ、レイチェル。アンネは何と言っていた?
―― 良い? 信じる力が魔法となるとは言ったけど、やっぱり何の根拠も無しに無条件で何もかもが信じられる人間はそういないと思うの。だから自分が使える属性の性質を調べたり、認識することも大切なのよ。じゃあ、闇で何が出来るかって事よね? そうね…… 例えば闇を絵の具に例えて見ると分かりやすいかも。どんな色でも、黒色が混ざれば他の色は消えて黒一色になっちゃうでしょ? それと同じなの。闇の黒は全てを呑み込み、みんな黒一色にしちゃう。それがどういう意味が分かる? 貴方の闇の前では、どんな魔法も無力になるって事。そこまで闇魔法を扱えるようになったら、もうレイチェルを傷付けるのは難しくなるわね――
話を聞いた時は全然想像出来なかったけど、あのミノタウロスが似たような事をしているのを見て、わたしも何となく理解出来た。後は自分と闇魔法の可能性を信じるだけ…… 大丈夫、わたしなら出来るわ。
強く心に思い浮かべるのよ、黒い絵の具に塗り潰されていく様を…… 周りの景色が夜の闇に溶けて消えていく様を……
集中していく内に、闇で作った狼達と腕に絡ませていた蛇が崩れ、わたしの近くに集まってくる。
あのミノタウロスみたいなのでは駄目。それだとタブリスも巻き込みかねない。見境なく吸い込まず、触れるものだけに限定した壁を想像する…… 闇に決まった形はない。それは他の属性にも言える事だけど、こと闇に関しては形態の自由度が他の属性よりも高く優れている。扱う者の裁量次第で何にでも形を変える事が出来る。
「小娘め…… 何をする気かは知らんが、それを私が黙って見ていると思うな! 」
スキュムの高濃度な魔力で作り出した空気の塊がわたし目掛けて飛んでくる。
ここで集中を切らせてしまえば、また最初からやり直しだ。せっかく後少しで魔法を発動できるところまで来たのに……
「ウォォオオオオ!!! 」
諦めて避けようとしたその時、タブリスがわたしの前に飛び出て、その身で風魔法を受ける。タブリスに当たった空気の塊は一気に爆ぜ、彼の肉体を容赦なく切り刻んでは吹き飛ばす。
わたしのすぐ横まで飛ばされたタブリスの手足は千切れかけ、他の箇所も無惨に切り裂かれていた。
「タブリス!! 」
「オレの事はいい! それより今発動しようとしている魔法を完成させるんだ!! 何をしようとしているかは分からんが、それが此処から逃げる最善の方法なのだろう? 」
タブリスの耐久力には目を見張るものがあるわ。頭の傷は完全に脳まで達している筈のに、彼は平気で喋っている。話には聞いていたけど、ここまでとは…… いえ、今はそんな事に意識を割いている場合ではないわ。タブリスが与えてくれたこの時間を無駄にしては駄目。
スキュムの魔力が高まっていくのを感じる。すぐにまた別の風魔法が襲ってくるわ。それまでの短い時間で、わたしの闇魔法で防ぎきらないと、今のタブリスとわたしでは確実に助からない。
焦る気持ちを抑え、不可能を可能にするという魔法の力を信じて…… 魔力を練る。
「何をしても無駄だ! 私の風で細切れになって吹き飛ぶがいい!! 」
今度の風魔法はさっきまでとは威力も範囲も桁違い。雪と大地を巻き上げながら暴風が押し寄せてくる。
「な、何!? 私の風を防いだだと? 」
ふぅ…… 何とか間に合ったようね。闇の向こうでスキュムの驚愕する声が聞こえる。
今わたしの前には、わたしとタブリスを包むように拡がる黒い半球状の壁がスキュムの魔法を呑み込み闇に溶かす。
「これは、何とも凄まじいな…… あの風魔法を完全に無力化したのか」
「タブリス、その体は元に戻るの…… ? 」
「あぁ、多少時間は掛かるが大丈夫だ」
「わたしを抱えて飛べるまでどのくらい掛かりそう…… ? 」
「そうだな…… 片腕と翼さえ治ればいいから、五分といったところか」
五分…… それまでスキュムの攻撃からこの闇魔法で防ぎ続ける必要がある。逃げる時の魔力も考慮すれば、結構ギリギリね。
「もしかして、魔力が持たないのか? 」
「平気よ…… って言ってあげたいけど、だいぶ厳しいわね…… 出来るなら早めに治して貰いたいわ…… 」
わたしの苦しそうな顔を見たタブリスは緊張した面持ちで、善処する―― と一言告げては黙る。きっと一秒でも速く体を治そうとしているのだろう。
「人間の小娘が! 魔王様により強くなった私の攻撃を防ぐなんて、絶対にあってはならない!! 」
怒りの声を上げるスキュムが、続けざまに風魔法をわたし達へ放ってくる。その度にわたし達を覆う壁が呑み込み闇の中へと溶かす。
しかし、それと同時にわたしの魔力も失っていく。正直、もう立っているのも辛い……
魔法では埒が明かないと思ったのか、今度はあの金属のような嘴と爪でわたしの壁を破壊しようと接近してくる気配を感じる。生憎とこの壁の中からでは外の様子が見えないのが難点ね。これは改良の余地がありそうだわ。
「おい、この闇の壁は魔法でなくとも防げるのか? 」
「問題ないわ…… わたしに任せて、タブリスは回復に専念して…… 」
闇の壁はお世辞にも厚いとは言えない。でも、そんなのは関係ないの。全ては闇に溶け、わたし達へと届く事はないのだから……
その証拠にスキュムの嘴も爪も、幾ら振るわれようが闇へと吸い込まれてここまで来る様子はない。ただ、魔法は消せるけどスキュムの肉体を闇へと溶かす事は、今のわたしでは無理みたいね。スキュム自身に宿る魔力に、わたしの魔力が負けているのが原因だわ。
悔しいけど、こうして攻撃を防ぐしか出来ない。それも残り魔力が少ないから何時まで持つか…… スキュムが魔法や爪等の攻撃を壁に放つ度に、わたしの中の魔力がどんどん減っていき意識が遠くなっていく。
怪我をした右肩と左足が熱くなる反面、体は徐々に冷えていき、集中力が散漫になって壁の維持が困難になる。
まだなの? タブリス…… もうこれ以上は逃げる分の魔力さえ残らないわよ?