敵情視察 1
「…… 気を付けて、もし少しでも危険を感じたら此処へ戻って来て」
リリィが珍しくその眠たそうな目の奥に、不安の色を浮かべていた。
「大丈夫よ…… 兄様にも口酸っぱく言われているから…… それにタブリスもいるし…… 」
リリィとは初めて会った時から何処か親近感が沸き、今では友達や仲間以上に親しみを感じている。何より気が合うのよね。
「タブリスさんも無茶はしないようにお願いしますよ」
「うむ、二人共、時間はまだあるらしいから、焦らず気長にな! 」
「こんな事を頼んですまないが、有益な情報を期待する」
まだまだ冷え込む早朝。門の近くでリリィの他にもクレス、レイシア、それとゲオルグ将軍も見送るなか、タブリスは空を飛び、わたしは影の中へと潜る。
影の中に広がる闇に浮かぶ無数の光を一つずつ確認するように、わたしはひたすらに歩く。地面など見えないけど、なぜか地に足をついている感じがする。そんな不思議な感覚も慣れ、光に映し出される景色を見ては次の光へと進んでいく。
わたしも魔王軍の魔物の姿を見てさえいれば、そいつらの近くにある影へとすぐに移動できるのだけれど…… 面倒だけど、こうやって山の方角へ歩いて、浮かんでいる光を一つ一つ地道に確認していくしかない。
そうして何十個目かの光を見て回っていると、何やら移動している光があったので、早足で近づき覗き込む。
「やっと見つけた…… 」
思わずそう呟いてしまったのは仕方ないわよね。光に映っていたのは白い毛に覆われた魔物の背中だった。白銀の体毛に足より長く太い腕を持つ二足歩行の魔物、影の向きで今は背中しか見えないけど、こいつが話に聞いていたシルバーコングね。
わたしに気付いている素振りはないし、このまま後を付けて本隊まで案内して貰いましょう。
闇の中で光を追っていると、辺りが騒がしくなるのを感じる。わたしは慎重に、シルバーコングの影から顔を出して辺りを見回す。
山の木々が倒され拓けた場所に魔物達が屯している。シルバーコング、ガイアウルフ、虫の魔物であるシザーヘッド、それにロック鳥まで…… 見事に統率性のない集まりね。
リリィの話では夜にはアンデッドが攻めて来たと聞いてるけど、何処にいるのかしら? 日が昇っている間、彼等が身を隠す場所がある筈。
まだ切り倒されていない木の影から様子を窺いつつ移動していると、洞窟の入り口を見付けた。ここなら日の光も届かないからアンデッドが潜伏している可能性が十分にある。
後は敵の数なのだけど、ガイアウルフは鼻が利くし、シルバーコングも魔獣にしては知能が高いので気付かれる可能性がある。ロック鳥に関しては知能は優れているものの体が大きいので、この山中では動きに制限がかかる。なのでロック鳥の影から様子を窺うのが良いのかもしれない。
そう決めたわたしは、早速闇の中から一際大きい光を探し、そこから顔を出して敵の数を大まかに数え始める。
思ってたよりもずっと多いわ…… 何も正確な数は求めていないのだから、そんなに気張る必要はないのよね? いや、これは訓練でもあるのよ。ここで逃げては、逃げ癖が付いて後で苦しくなるのだとガストールから聞いた事がある。
ガイアウルフに匂いで怪しまれないよう、複数箇所の影から顔だけを出して魔物や魔獣の数を調査していると、シルバーコング達が頻りに空を見上げては警戒し始めた。それに併せてガイアウルフも空に向かって吠え、シザーヘッドが頭から伸びる鋏をカチカチと鳴らして威嚇する。ロック鳥だけは何処か落ち着いた雰囲気で事の成り行きを見守っている。
恐らくタブリスがこの上を飛んでいるのを魔物達が発見したのだろう。この隙にわたしは出来るだけ速やかに敵軍の規模を調べなければ……
まだ溶けきっていない真っ白な雪の上に影が通ったので視線を空へと移してしまう。そんな事をしている暇なんてないのに、つい反射的に動いしまうのよね。
遠くて良く見えなかったけど、あの翼の数からしてタブリスで間違いないわ。向こうも魔物を発見したようで、周囲を旋回しながら空を見上げる魔物達を挑発していた。
魔物の殆どが空を飛べないと見てかなり強気ね。でもシザーヘッドとロック鳥がいるから完全に安全とは言えないわ。それでも未だにタブリスへ攻撃を仕掛けないのはどうして? シルバーコングは知能が高いと言っても、他の種族に命令を下せる程ではないし他も同様の事が言える。
やっぱり此処にもあのミノタウロスのように魔王から力を授かった魔物がいて、全体の指揮を取っていると考えた方が良いわね。その存在を確認するまで帰れないわ。
それからわたしは敵軍を調査しつつ目的の魔物を探していたら、気付けば魔物の群れから離れてしまっていた。
何でここまで来たのかしら? 魔物の気配を辿って来た筈なのに…… だとすれば群れから離れた者もいるという事ね。
自分の感覚を信じて影移動で魔物の群れから離れ、辺りを探っていると、突然何処からか此方を刺すような視線を感じ、ゾワゾワッと全身に鳥肌が立つ。
何これ? 殺気はなく、ただ視線を向けられた気配でこんなにも震えるなんて…… あの先に何かがいる。その何かは想像に容易いけど、どうしよう…… しっかりとこの目で確認するか、わたしの感覚を信じて一旦戻って報告するか、ここは悩み所ね。
そしてほんの少し悩み出した結論は、このまま調査続行である。
大丈夫よ、わたしには影移動があるし魔力もまだ余裕がある。逃げる事ぐらいは造作もない。