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あまり冬らしくないリラグンドの冬も過ぎ、もう季節は春へと突入した。少し肌寒かった気候から外で長く歩けば汗ばむようになった。ここから一月もせずに短い雨季に入り、それが過ぎればあの茹だるような暑い夏となる。
対して最北端のレグラス王国は春になりやっと雪が溶け出した頃だと、クレスからメールを貰っている。相変わらずの長文だが要約すると、ある程度雪が溶けたら防衛戦から電撃戦へと移行するらしい。
ここには前世の世界みたいに戦車はなく、代わりに勇者候補が敵の第一線の一部を集中的に攻撃、突破する。レイシアとリリィがいる後衛に敵の後続を対処させ、クレス達はそのまま後方深くまで攻め込み敵陣を分断させる。
そしてメールの最後に、近頃レイチェルがリリィの所へ顔を出していると綴られていた。
その事についてレイチェルに問い質してみると、もっと影移動を上手く使えるよう此処とクレス達がいるレヴィントン砦とを頻繁に往き来しているらしい。ついでに闇魔法の練習がてらその電撃戦に参加すると言い出した。
勿論俺は止めるように説得したのだが、
「このままではわたしは兄様の足手まといになる…… 魔力量はすぐに増やせないけど、魔力操作と魔法制御は訓練次第で何処までも伸ばせる…… それには実践を積むのが何よりも効果的だと、シュタット王国で実証済み…… お願い…… 」
なんて真剣な表情で言われては断固反対とはいかず、レイチェルを信じて送り出すしかなかった。
そしてレヴィントン砦の雪が溶け作戦決行が近付くと、レイチェルはタブリスを伴ってレヴィントン砦へと影移動で向かって行った。え? 信じて送り出すとは言ったけど、誰も一人で行かせるとは言ってないよ?
「クレスのメールでは本人を含めて勇者候補が三人もいるんでしょ? 心配しすぎよ。シュタット王国の時だって何事もなく乗り越えたんだから、今回も大丈夫だと思うけど? 」
「それは違うよ、エレミア。シュタット王国の時はバルドゥインとテオドアがいたからこそ被害も少なめに抑えられたんだ。電撃戦となれば、レヴィントン砦自慢の防壁は役に立たない。ならレイチェルの安全を考えて少しでも戦力を増やそうと思うのは兄として当然の考えなのでは? 」
キリッとキメ顔で言ってみたけど、エレミアは可哀想な人を見るような目を向けてはフッと鼻で笑う。
「要するにただの兄馬鹿って事でしょ? 昔の兄さんと一緒。私も一人で外に出る時はあれこれと心配されたものだわ。だけど妹としてはもっと信用して貰いたいものなのよ。過度に心配されてしまうと、兄さんにとってそんなに私って頼りないのって悲しい気持ちになってたわ。きっとレイチェルも同じ思いをしている筈よ。だから適度に見守るのも、兄として必要なんじゃない? 」
むぅ、同じ妹としての立場から言われるとなぁ…… そういうものなのだろうか? だとしたら俺は知らずにレイチェルに悲しい思いをさせてしまっていたのか? しかし兄歴の短い俺としてはどうしても構いたくなってしまう。あぁ、どうにもならないこのジレンマをどうしたら良いんだ。
『別にどうもしないで良いんでない? んな事より、もっと花酵母酒を造りなさいよ! 故郷の皆にお土産として持っていくにはまだまだ量が足りないんだからね!! 』
だったら自分で飲む分を減らせば良いんじゃないか? アンネはさも簡単に言ってくれるけど、酒一つ仕込むのは大変なんだからな。魔力支配の力で比較的短期間で造れるとしても楽なものじゃない。まったく、こっちは真面目に悩んでいると言うのに……
でも、エドヒルを兄に持つエレミアがそう言うのだからあながち間違っているとも言えない。考慮する余地は十分にある。将来、兄様ウザいとか言われたらショックで立ち直れないかも知れないからね。今の内に嫌われないようにしないとな。
話は変わるが、王妃様が着手している貿易路の安全を確保する工事だが、人魚達のサポートもあり特に問題なく予定通りに進んでいる。この調子なら夏が終わる頃には終了しているだろうと見込んでいる。インファネースとサンドレアの港町を繋ぐ海域はそれなりに広いと記憶しているが、思ったより早い印象を受ける。いや、実際に比べる対象が無いから勝手な想像でしかないんだけどね。
ドワーフ達も海中での作業に慣れてきたらしく、もう王妃様が付きっきりで様子を見る必要もなくなり、今ではヘバックに任せて別の事をしているようだ。今度は何をしようと言うのかね?
そして今一番の気掛かり―― 俺としてはレイチェルが一番の気掛かりだけど、この際脇に置いておく―― であるレオポルドが持っていた転移魔石の座標近くにあった町についてだけど…… あれから数回、裏ギルドのマスターからメールがあった。
その内容によると、どうやら町全体ではなく一部が既にカーミラの手中に収まっているようで、それらしき人物も確認したらしい。その人物とは、いやに影が薄く何も特徴のない男で、これほど記憶に残りづらい者は逆に珍しくて怪しいとメールには書かれていた。そしてその男の後をつけた者の何人かが行方知れずとなったのだとか…… これはもう如何にもな展開だな。
その影が薄いという者にも心当たりはある。気配は勿論、魔力さえ隠してしまうあのウェアウルフ本人かその仲間だろう。予め彼等の情報は渡してあるから、その男がウェアウルフである可能性が高いと裏ギルドでも警戒はしていたけど、結果はご覧の通り。
―― このままじゃ裏ギルドの面子は丸潰れだ。ウェアウルフだか何だか知らないが、舐められっぱなしは面白くないね――
裏ギルドマスターのゼノから送られてきたメールの最後にはそう書かれていた。この文章だけでも、かなり機嫌が悪いと伺えるな。
何はともあれ、裏ギルドとウェアウルフとの対立が本格的に始まった訳で、暫くは様子を見て続報を待とう。