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「兄様、ごめんなさい…… あまり情報を集められなかった…… 」
影移動で俺の部屋に帰ってきたレイチェルが落ち込んで俯いている。
「いや、情報なんて一日じゃ大して集まらないものだから。レオポルドが逃げようとしていた場所がヴェルーシ公国だったのが分かっただけで十分だよ。それに何より、レイチェルが無事で良かった」
「兄様…… 」
前世では妹や弟がいなかったから分からなかったけど、俺って結構甘やかすタイプの駄目兄貴なのだろうか?
『うむ。自覚している分まだましな部類だと思うが? 』
ギルの言葉に顔が赤くなるのを感じる。しかし、恥ずかしいけど止める気はない。
「それより長よ、あの骨人間が何故ヴェルーシ公国に? この国の貴族派という連中と繋がっているとの噂もあるし、何ともきな臭い」
「王の邪魔になるのなら、その国を滅ぼせば良いだけだ」
おい、バルドゥイン。それだと魔王と変わらないじゃいか。でも、タブリスの言うようにヴェルーシ公国は何をしようとしているんだ? 物騒な噂の幾つかは真実だと裏ギルドのマスターも言っていたし、そんなヤバい国が隣にあると思うと安心して暮らせないね。
嫌な予感しかしないから、一応王妃様にもメールで報せておくか。
王妃様は今サンドレアとの貿易路確保の工事に、ドワーフと人魚と共に海へ出ている。時々経過報告として送られてくるメールには、比較的深くない海域を選びドワーフ達に魔道具を設置して貰っているらしい。俺も忠告したけど、人魚達にも深く潜り過ぎると生きて戻って来れる保証はないと言われたようだ。
海で生活している人魚は、深海の恐ろしさが身に染みているので、知識だけの俺の言葉なんかよりずっと重みがあったのだろう。王妃様は何も言えずに素直に従ったのだと、メールに書かれていた。
着工して数日。まだまだ工事は始まったばかりだが、そう時間も掛けてはいられない。これが上手くいったのなら、他の国との貿易路の確保もしないと。何時までも他国との貿易を疎かにしてはインファネースの経済が滞ってしまう。
それはこのリラグンドだけでなく、インファネースと貿易をしている各国にも多大な影響を及ぼす。手遅れになってしまったら、例え魔王を倒せたとしてもまたすぐに別のピンチが襲ってくる。
なので今王妃様が取り組んでいるのはとても重要な事で、魔王問題と平行して行わないといけないのだ。決してデイジーが作る新しいシャンプーとリンスの原料が欲しい訳ではない…… たぶん、きっと。
等と思い耽っていると、王妃様から返信があり、今から此処へ来るようだ。相変わらずフットワークがお軽い事で。
「それで? ヴェルーシ公国がカーミラと繋がっているとは、どういう事なの? あんな簡潔な文章では良く分からないから、口頭で詳しく聞かせて頂戴」
船から転移魔石で領主の館へ、そして館の地下から俺の店下にある地下市場へ来た王妃様が、二階の応接室のソファに座っている。
「正確にはまだ確証に至ってはおりません。ただ、カーミラの部下が持っていた逃走用と思われる転移魔石を解析してもらったところ、ヴェルーシ公国にある町が見える広野に繋がったというだけです」
「そう…… その解析したという転移魔石は誰が所持しているのかしら? 」
「今、と言いますか…… ずっとリリィが所持しています。座標を解析して複製した転移魔石なら、一つ私が持っていますが? 」
「なら、それを私に預けてみない? 部下を使って隅々まで調査してあげるわよ? 」
それはとても有り難い申し出ではあるのだけれど、もう裏ギルドに頼んだ後なんだよね。
その話を聞いた王妃様の顔があからさまに曇った。
「そう、出遅れてしまったわ。裏ギルドが動いているなら、私達が行かなくとも良いわね」
「申し訳ありません。王妃様は今貿易路の確保でお忙しいと思いまして…… 」
「別にライル君を責めている訳ではないのよ。ただ、あまり裏ギルドを信用しない事ね。彼等は決して誰かの味方にはならない。条件さえ整えば平気で裏切ってくる者達よ」
「はい。ご忠告痛み入ります」
今はまだお互いに利害関係が一致しているから協力はしてくれている。しかし、何時足下をすくわれるか分かったもんじゃない。
「裏ギルドについて、王族や国の中枢達が認めているとの噂もあるけど、それは間違いよ。確かに彼等の力を借りる事はあるけど、信用はしていない。私達も可能ならば裏ギルドなんか無くなって欲しいとは思っているの。でも、一国が相手するには余りにも大き過ぎる組織。何時しか裏ギルドの存在は大陸の中で暗黙の了解のようになってしまった。国と裏ギルド、互いに隙を窺い、利用し合う関係が数百年も続いている…… 私はね、そんな歴史を貴方が変えてくれるのではないかと、そう思っているの」
「へ? わ、私がですか? いや、そんな大それた事なんて…… 」
「まぁ聞いて頂戴。貴方を調べ、そして出会ってから今までの功績、それらを考慮して私なりに出した結論―― いえ、そこまでの確信はないけど、貴方はそう遠くない未来に何か大きな事を成す予感がするの。自慢や見栄ではないけど、王妃として様々な国と外交して培ってきた私の勘がそう告げるのよ。貴方には隠そうとしても隠しきれない何かがある。これ程気になったのはシャロットちゃん以来だわ。そしてその二人がこのインファネースにいる。何も起こらない筈がないじゃない? そういう訳で、私はライル君とシャロットちゃんには大いに期待しているのよ」
何もかもを見透かすような瞳でこちらを見詰める王妃様に、俺は薄ら寒いものが背中をかけ上がる感覚に陥る。圧倒的に開いた経験の差を見せ付けられたみたいだ。王妃様を前にすると自分の浅はかさが浮き彫りになるのではと恐ろしくなる。
そんな王妃様が期待しているという事実に、もう恐縮しすぎてガチガチですよ。
『フッ、王の偉大さを感じとるとは、流石は他国の王妃と誉めてやろう』
『ライル様はこの世界が誕生してから初めて生まれた人間の調停者ですからな! その特別な気配は隠しきれるものでは御座いません! 』
うぅ…… 人の気も知らないではしゃがないでくれるかな? 内と外からのプレッシャーで押し潰されてしまいそうだよ。
ともかく、王妃様が言っていたように裏ギルドとの付き合いは自分が考えている以上に慎重に行かなくてはならない。それには先ず此方の情報収集能力を強化しないと、これからも後手に回り続ける羽目になってしまう。これをどう解決するかが、目下の課題だな。