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「まさか、あの男が貴方と接触を図るとは思わなかったわ。しかも、闇の勇者候補が裏ギルドにいたなんて…… 影移動とは、足取りが掴めないのも当然ね。それにしても、ゼノが直接動く程に貴方は重要な立場にあるみたいね。私の見通しが甘かったと言うしかないわ」
俺は領主の館で、王妃様にドワーフ達のウェットスーツについての報告をしたついでに、昨夜の出来事を話した。
「それで、裏ギルドはカーミラの情報を集めて貴方へ伝えると約束したのね? 只者ではないと知っていたけど、まさかここまでとは…… より一層貴方には注意が必要のようね」
ハハ…… もう愛想笑いしか出来ないよ。
「まぁ、その事は済んだ話ですので…… 今はサンドレアとの貿易路の確保に専念致しましょう。それで、このウェットスーツはどうでしょうか? これをドワーフに着て頂ければ、海底の作業も可能になります。それでも海の中で自由に動けるという訳ではありませんので、人魚達には作業をするドワーフの護衛をして頂きます」
「これでドワーフ達が懸念していた海底での工事が可能となる訳ね? 後は交渉次第で彼等が引き受けてくれるかも知れないわ。それと温かい空気を送る魔道具の開発もしなくてはならないわね。まぁ火と風の魔術を組み合わせるだけの簡単な術式だから、そんなに手間は掛からない筈。これなら想定していたよりも早く着工に移せそうね」
見本のウェットスーツと空気を送る魔道具の術式が記されている紙を見て、王妃様は顔を引き締める。きっと頭の中では随分の先の事まで考えておられるのだろう。
「これからヘバックさんに連絡して計画を立て直すわ。後は私達に任せてライル君はゆっくり休んで頂戴。このウェットスーツの開発と裏ギルドの事で疲れているでしょうから」
「御気遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えてさせて頂き、のんびりと過ごしながら王妃様達の成功を祈っております」
とは言ったものの、そうゆっくりとはしてられない。まだまだしたいことが沢山あるからね。
先ずはレイチェルに、闇の勇者候補が使って見せたあの影移動とやらを教えないと。同じ闇魔法の使い手であるレイチェルもきっと出来る筈だ。実際に経験したから分かるけど、あれは便利な魔法だから覚えておいて損はない。
マナフォンでレイチェルを店に呼び、領主の館から帰ると既にデイジーとリタと共にテーブルで紅茶を飲む彼女の姿があった。随分と早い到着だね。
「兄様が呼んで下さっているのだから、最速で向かうのは当然だわ…… 待たせるなんて論外よ…… 」
今更だけど、妹が俺を過大評価し過ぎていて身の危険さえ感じるのは、俺の勘違いだと思いたい。
それはともかく、俺はレイチェルに闇の勇者候補が使っていた魔法、影移動について教えた。
「影から闇、闇から影と移動する魔法…… ? 初めて聞くわね…… 兄様が言うのだから信じるけど、どうやれば良いのか想像も出来ないわ…… 」
「なら、ここはあたしの出番って訳ね! 精霊魔法でも似たような事が出来ると思うから、それでイメージを掴めば大丈夫なんでない? とにかく魔法は創造力と信じる心があれば不可能な事なんてないんだからね!! 」
そこまで言うのなら、レイチェルはアンネに任せよう。もしレイチェルが影移動をものに出来たら、かなり重宝され、もう家の中で腫れ物のような扱いは受けないだろう。
「そんなもの、兄様に会った時から気にならなくなったわ…… だから兄様が気に病む必要はないの…… わたしは今のままでも満足よ…… でも、この影移動を使えるようになったら、何処にいてもすぐに兄様の下へ駆け付ける事が出来る…… 絶対に覚えてみせるわ…… 」
ムンッ、と両手拳を胸の前で握り、何時になくやる気が漲っているレイチェルだった。
アンネがレイチェルの指導をしてくれるのは丁度良かった。これで心置き無く酒作りに集中出来るからね。何せ米の精米歩合で全く違う味になるから調整が難しいのなんの。花の甘さと酸味を如何に調和させるのかが、この花酵母を使った酒の肝である。まぁ使っている花酵母が違うので、前世で飲んだあの味にはならないけど、出来るだけ近付けたい所ではある。
それからは、アンネとレイチェルは魔法の習得に専念し、俺は花酵母を使った甘い酒作りに取り組んだ。
魔力支配で発酵速度を上げ、精米歩合を細かく刻み、何度もやり直しながら理想の味へと近付けていく。
その間も、王妃様とヘバックはウェットスーツを持ってドワーフ達を説き伏せ、見事協力を取り付けた。その勢いのまま人魚との交渉も上手く運び、今月中には工事が始まる予定なのだと、ヘバックから送られてきたメールに書かれていた。
あれから本当に俺から手を引いたようで、裏ギルドに監視されている気配はないとバルドゥイン達は言う。
『なんだよ、俺様が夜の散歩に出ていっている間に、そんな面白そうな事になってたなんてよ…… 』
『夜の散歩って、どうせまた何処かで覗きでもしていたのでしょ? これだからアンデッドは卑しいのです』
自分一人だけが蚊帳の外だったのを愚痴るテオドアに、アグネーゼの容赦ない言葉がぶつけられる。
『アグネーゼさん。こんなのと一緒にアンデッドを一括りにしないで欲しいのですがね? 』
『俺達は覗きなどしない。そんな低俗な事をすれば王の品格を損なう恐れがあるからな。テオドア、お前も王の忠臣ならもっと相応しき言動を心掛けよ』
『いや、殺戮狂のお前に言われたかねぇよ! 』
もう冬も終わり本格的な春がくる。これからの魔物はより活発に動き出してくるだろう。しかし、それは此方も同じ。厳しい冬を越えたレグラス王国が守りから攻めに転じる時期に合わせ、アスタリク帝国も集めた同盟軍と共に動き出す。
テオドア達が魔力支配内で騒がしくしている時、人類の反撃が静かに始まろうとしていたのを、俺はまだ知る由もなかった。