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風の噂でレグラス王国と魔王軍との戦いの火蓋が落とされたと聞いた二日後、クレスからマナフォンで連絡が来た。
「魔王軍との戦いが始まったとの噂がありましたが、連絡をくれたということは無事なんですね? 」
「あぁ、心配をかけたようですまない。向こうもまだ様子見なのか、すぐに撤退していったよ。ただ、シュタット王国の時とは違って、初日からアンデッドが襲って来ているけどね。それでもこの堅牢な要塞があるので今のところ何も問題はないよ。転移魔術があるから立て籠っていても物資の運送が可能だし、リラグンドから持ってきた結界の魔道具で空からの侵入も防げているから、春までの防衛は余裕じゃないかな? 」
「それは良かった。ですが油断は禁物です。何かありましたら遠慮なく連絡を下さい。またバルドゥインをそちらへ向かわせますので」
「ありがとう。凄く頼もしいけど、今回は越冬が目的で此方から攻めるような事はしないので大丈夫だと思うよ。アロルドなんか俺達が来た意味はあるのか? なんて愚痴っていたくらいだからね」
アロルド? って確か水の勇者候補だったな。レイチェルから聞いた話では、価値観の違いでクレスと頻繁に対立しているらしいが、案外上手くやっていけてるようだ。
話を聞く限り、アロルドの正義は現実的だ。対してクレスの正義は理想的と言っても良いだろう。現実と理想、そりゃ相容れなくて当然だな。でも、どちらも無くてはならないもの。理想があるから現実と向き合えて、現実が厳しいからこそ人々は理想を強く胸に抱く。たぶん二人はお互いに嫌悪し惹かれ合う関係なのではないかと、俺はそう思っている。まぁ本人には言わないけどね。
レグラス王国は守りを固め、アスタリク帝国は着々と連合軍を結成しようと他国へ働き掛けている。この冬は耐え忍び、本格的に動き出すのは春からになりそうだ。
今はまだ魔物から攻め込まれているだけの状況だが、帝国を筆頭に国々が手を取り合えば、そこから本格的な人間と魔物の全面戦争が始まる。きっと大陸全土が死屍累々となるだろう。クレスはそうならないように、勇者候補を全員集めて魔王に挑むつもりらしいが、上手くいくのか心配だな。
だがその前にもう一つの心配事を片付けなければならない。俺は何時ものようにエレミアを伴い、商工ギルドの前に来ている。
恐らくは既に王妃様から運送業の配達範囲拡大の話を聞いていると思われるが、今後の流れをどうするかちゃんとギルドマスターと話し合う必要がある。
「…… どうしたの? 早く入りましょう? 」
商工ギルドの前で突っ立って動かない俺に、訝しげにエレミアが声を掛けてくる。
「いや、どうも此処のギルドマスターは苦手でさ。出来るなら会いたくないなぁ…… エレミアだけで行ってきてくれない? 商工ギルドの意向に従うって事を伝えて、結果だけ知らせてくれれば良いからさ」
「ここまで来ておいて何言ってんの? ほら、行くわよ」
愚図る俺に呆れるエレミアに、物理的に背中を押されて商工ギルドへと入っていく。
エレミアは冗談だと思っているようだけど、本当にギルドマスターのクライドは苦手なんだよ。あの普段から笑っているような細い目で表情が一切変わらないから、何を考えているのか全然分からないので此方は不安が増すばかり。今回エレミアを連れてきたのだって、一対一になりたくないからだ。それほどまでに苦手な人物である。
進まぬ足取りでエレミアに背中を押されつつ入店してくる様子に、受付の人がクスッと笑う。俺がギルドマスターを苦手としているのは最早ギルド内で周知されているので、こんな態度でも皆さん生暖かい視線を向けてくる。
「いらっしゃいませ、ライルさん。ギルドマスターがお待ちかねですよ」
前以てアポを取っているので、受付の流れるような対応でギルドマスターの部屋へと通され中へ入れば、既にクライドがソファーに座って待ちかまえていた。
「遅かったですね。商人として約束した時間は厳守して頂きたいものです。重要な商談は特に…… いくら私を苦手としていても、そこは割りきって貰わないと困りますよ? 」
表情一つ変えないでサラッとぶっこんでくるな。気付かれているとは薄々思っていたけど、態々言わなくてもいいものを…… やっぱり苦手だ。
「申し訳ありません。頭では理解しているのですが、思うように足が進まなくて」
「ふぅ…… ライルさんもですけど、何故私と会う約束をする商人は総じて遅れてくるのでしょうか? 嫌われるような事は何一つしていないつもりなのですがね? 」
見た目と中身のギャップなんじゃないかな? 人畜無害な顔をしているけど、中身は商売の鬼だからね。勘がいい人なら少し話しただけでその腹黒さに気付けるから出来るだけ遠ざかろうとする―― とは口に出さずに笑って誤魔化した。
「ハハハ…… では、王妃様から聞いているとは思いますが、私達の運送業をトルニクスまで拡げる事についてですけど…… 一番の問題である人手不足は、此処の奴隷商とトルニクスで出会った知り合いの商人から鳥獣人達を紹介して貰う事になりました」
「成る程、飛行能力に長けている鳥獣人なら文句はありませんね。しかし、彼等が飛行関連以外の業務を覚えられるかが心配ですね」
「そこは各地のギルドが支えれば良いのでは? 鳥獣人の記憶力についてはどうしようもありませんし、各ギルドへの荷物運搬をさせるだけに止めて、その後の細かい作業はギルド職員が受け持つのは如何です? 」
「そうですね…… 重要なのは空を飛んで荷物を運ぶ事であり、その他の事は私達がすれば良いだけの事。では、鳥獣人達が集まりましたら研修期間を設けるとしましょう。暫くの間は堕天使の皆さんには指導員として何名かの鳥獣人と一緒に普段の仕事をこなして頂く形になりますが、問題ありませんか? 」
「はい、大丈夫だと思いますよ。それとこれから来る鳥獣人ですが、奴隷として雇う形になりますので、契約主はこの商工ギルドにして貰っても宜しいでしょうか? 何ぶん数が数ですので、個人で雇うのは無理があるかと」
流石に何十名もの奴隷を雇う余裕はないし、そこまで責任持てる自信がないよ。
「分かりました。では、鳥獣人達は責任を持って私達の方で契約致します。その代わり、彼等の住む住居は其方で用意してくれますか? 」
「住居ですか? それは構いませんけど、場所は? 」
「南地区に土地を用意しておきますので、堕天使達が今住んでいるような作りの建物で構いません」
それなら魔力支配の力で木造マンションのような物を建てるだけなので、そんなに手間は掛からないな。
その後も思い付く限りの懸念事項を話し合い、この日はお開きとなった。やはり今日だけで全てが決まる訳ではないので、暫く話し合いは続きそうだ。
「では、また日を改めて…… 」
そう笑顔で部屋から送り出すクライドに、心身共に疲れきった俺は元気のない返事しか出来なかった。こんなのがまだ続くと思うと、気が重くなるよ。
『王よ―― 』
『―― 殺すのは無しね』
『…… 御意に』
何だかバルドゥインとのこういうやり取りも慣れてきたな。