終戦への一石 4
「おい…… クレス。あの赤い霧は相当危険だぞ? 本当に突っ込んでも平気なのか? 」
アラン君の不安は尤もだ。自らの血を纏い姿を変貌させたバルドゥインは、体から赤い霧を吹き出しながら魔王軍へと歩みを進めていき、その赤い霧が近くの魔物まで届くと急に苦しみだし、体の至るところから血を噴出させて地面に力なく倒れた。魔物から出た血は霧状に変化してまた別の魔物へと流れていく。そうして霧が包む範囲はどんどん拡大していく様子は、まるで疫病が感染していくかのようだ。
赤い霧に包まれ、踠き苦しみ倒れていく魔物達を前に、僕達は敵でありながらも同情せずにはいられなかった。
前以てテオドアからバルドゥインの力は聞いているので、あの霧は魔物だけを狙っていると分かってはいるけど、あんな恐ろしい光景を見せられたのでは、アラン君のように尻込みしてしまうのは仕方ない。
「流石は兄様ね…… あれを付き従わせるなんて…… 」
「むぅ、あの攻撃は厄介だな。他のヴァンパイアも同じような事が出来るのだろうか? そうであれば早めに対策を練るべきだ」
「…… 後でライルと相談するべき。…… バルドゥインはライルに心酔しているようだから、聞けば対策法ぐらい簡単に喋ってくれるかも」
リリィの言葉に成る程と納得するレイシアとレイチェルを見たアロルドが、呆れた様子で僕に話し掛ける。
「なぁ、何でこいつらはあんな光景を前にして冷静でいられるんだ? 」
僕は明確な答えが出せずに曖昧に笑うしかなかった。
このままバルドゥインが一人で魔物を壊滅する勢いを見せるが、向こうも黙ってはいない。いくら強かろうとバルドゥインは一人。赤い霧が届かない魔物達は、バルドゥインを無視して僕達へと突撃してくる。
「来たぞ! 陣形を崩さず迎え撃て!! 」
魔法部隊と弓兵部隊が決死の様子で迫り来る魔物に魔法と矢を放ち、敵の数を減らしていく。そろそろ頃合いだな。
「良し、僕達も行くぞ! 先ずはバルドゥインが発生させたあの赤い霧を目指すんだ!! 」
「正直あの中を突っ切るのは嫌なんだが、しょうがないか」
「せめてマスクが欲しいところだが、ハンカチで代用するとしよう」
しょうがないと諦めたアロルドと違い、アラン君は自分のハンカチで口を覆い、少しでも霧を吸わないようにしていた。
人間に害は無いと聞いているけど、魔物の血を吸い込むのはやっぱり抵抗はあるものだ。
「皆、用意は良いか? じゃあ、出撃だ!! 」
僕の号令でレイチェルが作り出した黒狼が一斉に走り、その横をインファネースから届けられたゴーレム達が、僕らを守るように追従する。
バルドゥインを避けてきた魔物をゴーレムがビームサーベルで斬り裂き、難なく赤い霧の中へ入り、速度を維持したまま突き進んでいく。
霧を抜けた先には、トロールとマーダーマンティス、シールドアントにシューターアントが待ち構えていた。
シールドアントの鉄壁の守りが行く手を塞ぐ中、シューターアントの蟻酸が容赦なく僕達に降り注ぐ。
「何のこれしき! 」
先頭で走る黒狼に乗ったレイシアが、鎧に装着した魔宝石に魔力を込めると、そこに刻まれた術式が発動する。
半透明の防壁がレイシアから発生し後ろの僕達を包み込み、シューターアントの蟻酸を弾いていく。
「どうだ! リリィに強化して貰った防壁は、固さも範囲も前とは比べ物にならん。このまま押し通る!! 」
僕はゴーレムに命令して、行く手を阻むシールドアントを無理にどかして出来たその隙間を黒狼で駆け抜ける。
すると、横から複数のマーダーマンティスが自身に生えた二対の大きな鎌を降り下ろす。
それもレイシアが防壁の魔術で防ぐが、そう何度も防ぎきれるものではない。現にレイシアの余裕は無くなっていた。これ程の大きな防壁を展開し維持するのは魔力をそれなりに消耗する筈。あのミノタウロスまで持つかどうか。さっきのシールドアントで殆どのゴーレムはまだ僕達に追い付いていない。
だが、そんな不安を打ち消す一筋の光が僕達を襲うマーダーマンティスを痺れさせ黒焦げにする。
「クレス、雑魚共は俺様が殺るから構わず進め! オラオラァ!! 痺れるような熱い体験をしたい奴は俺様の前に出な! 」
不敵な笑みを浮かべたテオドアは、再び自分の体を魔術で雷に変化させてマーダーマンティスに飛び込んでいく。
テオドアの魔術は魔力消費が激しいと聞くが、レイスの特性で殺しきる前に魔物の魔力を吸収しているらしい。魔力で構築されているレイスは、僕達と違って魔力が無くなると消滅してしまうので注意が必要だ。ライル君が傍にいるならテオドアも気兼ねなく魔術を発動し続けられるのだが、今は時折元に戻ったりと魔力の節約をしている。
テオドアのお陰でマーダーマンティスの群れを突破し、お次はトロールの妨害に遭うが、その巨体と遅い動作ではレイチェルが闇魔法で作った黒狼の速さについてこれず、僕達はトロールの股下を通ったりしながら先を進む。力も強く丈夫なトロールとまともに相手をしている時間はない。
次に僕達を襲うのは大きな蜘蛛の頭部に女性の上半身が生えたアラクネだった。
アラクネは鋼のように固く細い糸を、指の先から出して此方を絡み取ろうとする。あの糸に捕まってしまったら最後、体を拘束され逃げ出す事は困難。
ここまで来ると、流石にリリィ達の顔にも余裕は無くなる。魔力の温存も大事だが、ここで苦戦する訳にもいかない。僕達も加勢するべきか…… そう思い聖剣を召喚しようと魔力を込めると、僕達の後ろから赤い霧が追い抜き、アラクネを包んでは結晶のように固まり動きを封じた。
もうバルドゥインが追い付いて来たらしく、ただならぬ気配が後ろから迫ってくる。味方だと分かってはいるが冷や汗が止まらないよ。
そんなバルドゥインから逃げるように黒狼は速度を上げ、次々と血の結晶によって固められていくアラクネ達の横を通り過ぎていった先に、ミノタウロスの群れを発見する。
その群れの中心には、周りのミノタウロスよりも頭一つ大きいあの異質なミノタウロスがいた。
「見つけたぞ! あれがクレスの言っていたミノタウロスだな? 」
「やっとぼくの出番か。早く終わらせて領地に帰りたいね」
アロルドとアラン君が聖剣を召喚するのを見て、僕も自分の聖剣を出して戦いの準備をする。
「周りのミノタウロスは私達に任せよ! クレス達は大将の首を取る事に専念するのだ!! 」
レイシアが盾に仕込まれたマナトライトを広げ、リリィが杖を構え、レイチェルは追加の黒狼を作り出す。
僕はここまで付いてこられたゴーレムに彼女達を守るよう命令して、光魔法による光速移動であの異質なミノタウロスまで一気に距離を詰め、聖剣を振り下ろす。
僕の聖剣とミノタウロスの斧がぶつかり火花が散る。それはまるで僕達の戦闘開始を伝える合図のようだった。