暴虐の牙 7
「どうした? 何が見えたんだ? 」
小型望遠鏡を覗いたまま固まっている僕を心配し声を掛けるグランさんに、何も言わずに望遠鏡を手渡す。
それを黙って受け取り、ミノタウロスの集団を確認したグランさんは張り上げそうになる声を抑え、目を見張り汗が頬を伝う。
「…… っ!? 何だよあれ。見た目は少し大きいだけのミノタウロスなのに、ひと目見ただけで全身に鳥肌が立っちまったぞ」
「グランさんもですか。それでは、あれが指揮官と見るべきでしょうか? 」
「親玉なのは間違いなさそうだが、指揮官と言われるとな…… 本来、ミノタウロスってのはお世辞にも知能が高いとは言えない。とても軍隊を纏められるとは思えないな。たぶんあのヴァンパイア達が作戦やらを考えているんじゃないか? 」
なるほど、魔物は基本強さで優劣を区別すると聞く。魔物達への命令はあの異質なミノタウロスがして、他の細かい事はヴァンパイアが担当していると考えるのが妥当な所ではある。
ヴァンパイアと軍を支配している者は確認できたけど、他に何か分かるかもともう少しだけ調べる事にした僕は、グランさんから小型望遠鏡を返して貰い、もう一度ミノタウロス達を覗いた。
しかし、それがいけなかった。レイシアから余計な事は考えないよう言われていたのに、ここまで上手く行きすぎて油断してしまったのかも知れない。
あの異質なミノタウロスがどうしても気になり観察を続けていたら、突然ミノタウロスの目が此方を向いた。まさか、距離も離れているしレイチェルの魔法で僕達の姿は闇に覆われて見えない筈だ。気のせいだとも思ったけど、確実に僕と目が合っている。
そしてミノタウロスは徐に立ち上り、その巨体に見合う程の斧を持ち上げたと思ったら、大きく振り上げた。
「危ない! 皆、急いでこの場所から離れるんだ!! 」
突然大声で叫ぶ僕に、グランさん、レイチェル、リリィの三人は何かしらの危機を察知してその場を離れた瞬間、大きな音と一緒に地面が爆ぜ、飛び散った土が僕に降り注ぐ。
「くそっ! 何がどうなった!? 」
「ミノタウロスの集団から斧が飛んできたわ…… 向こうに気付かれたみたい…… 」
この異変に周囲の魔物達も目を覚まし騒ぎ出す気配が暗闇から伝わってくる。このままではすぐに囲まれてしまうだろう。流石に万を超える魔物を相手に生きて帰れる自信はない。
「くっ、リリィ! 急いで転移魔術を!! ここから撤退する! 」
リリィの腕なら魔術を発動するのにそう時間は懸からない。これだけ離れていれば接近される前には逃げられるだろうと高を括っていたのが悪かった。ズシンッ! と地面が揺れたかと思えば、大きな影が目の前に立っていた。
まさか、ここまで一気に跳躍してくるなんて…… どんな脚力をしているんだ。あの見るからに重そうな斧を遠投してくる膂力もそうだが、何もかもが規格外だ。
ブシュー と鼻息を荒くしたミノタウロスが地面を抉り突き刺さっている斧を抜き、その黄色く光る両目で僕達を見回す。
「人間ドモガ、コンナ所マデ来ルトハ、殺サレニデモ来タノカ? 」
ミノタウロスが言葉を!? 言葉を話す魔物の種類は少なく、ミノタウロスはその中に含まれていない。それなのに、眼前の魔物は多少聞き取り辛いけど確かに喋っている。
「まさか、キング種なのか!? 」
グランさんの驚愕する言葉に、ミノタウロスは鼻で嗤った。
「ソンナノト一緒ニスルナ。俺ハ魔王様カラ力ヲ授カリ、キング種ヨリモ強キ者ヘト進化シタノダ」
魔王から力を? それも魔王のスキルなのか? 魔物を支配するだけじゃなく、強化も出来るのか。
「おいおい、どうしたんだよ急に…… って、何で人間がここに? 」
「いや待て、こいつどっかで見たことがあるぞ。サンドレアで俺達の邪魔をした人間の一人だ! 」
「あっ! 本当だ!! テメェのせいで俺達は国を手に入れ損なっちまったじゃねぇか! その結果がこの様だ。ミノタウロスなんかにいいように使われてよ…… お前らさえ来なかったら、俺達の王が魔王となって、ヴァンパイアが繁栄していた筈だったんだ! 」
サンドレアで討ち溢したヴァンパイアであろう三人が、僕に怨み言をぶつけてくる。
「いいように使われる? 君達は魔王に支配されているのは分かるけど、どうしてミノタウロスに従うんだ? 」
つい口から出た僕の疑問に、ヴァンパイアの一人が答えてくれた。
「あぁ? 確かに俺達は魔王に逆らえねぇ。だがな、こいつみてぇに進んで魔王に忠誠を誓う奴には、自分の力の一部を分け与えるんだ。そうすっと信じられねぇくらい強くなるだけじゃなく、そいつの命令にも逆らえなくなっちまうんだよ! 」
魔王の支配力の一部を与えられたという事か。それならあの異様な気配にも納得だ。
「余計ナ事ハ言ウンジャ無イ。次、勝手ニ喋ッタラ殺ス」
「へ、へへ…… わ、悪かったよ。分かったからそう睨むなよ」
ミノタウロスに睨まれたヴァンパイアが怯えている。無理もない、このミノタウロスには絶対に逆らえないのだから。例えこの場で自害しろと命令されたら、本当にしてしまう程の強制力があるのだと、ギルディエンテが言っていたのを思い出した。
徐々に松明を持って集まってくる魔物達に、グランとレイチェルの顔に焦りの色が浮かぶ。しかし、ここまで会話で時間を稼ぎ、斧の投擲によって中断された転移魔術がもうすぐ発動するというところで、ヴァンパイアの邪魔が入ってしまう。
「おっと! 何をする気か知らんが、黙って見てると思うなよ! 」
「リリィ…… !! 」
ヴァンパイアの鋭い血の爪が魔術発動寸前のリリィに振り下ろされる。それをレイチェルが腕に絡めさせた黒い蛇の頭を伸ばし、リリィの服を噛ませて無理矢理に引き寄せた。
誰もいなくなった空間を切ったヴァンパイアは忌々しそうに舌打ちをしてレイチェルを睨む。
これはかなりまずい状況だ。ヴァンパイアの三人は明らかにリリィを警戒している。これじゃ、魔術を発動させる暇がない。僕もリリィを守りに行きたいけど、目の前のミノタウロスが威圧してきて簡単には動けそうもない。何かしら行動すれば、即座に斧で叩き斬られそうだ。
そもそもこんな事になったのは僕の責任だ。ここは腹を括るしかないか。
僕は聖剣を召喚し、この異質なミノタウロスと対峙する。聖剣が放つ眩い光が辺りを照らす中、いざ戦闘が始まるその時、上空から思いがけない乱入者が降りてきた。
「王の御心を乱す愚か者共は貴様らか? 一匹残らず駆除してやろう」
その乱入者は血走った赤い目で睨み、牙だらけの口からは怒りの籠った底冷えする声が放たれる。
これには僕達だけじゃなくて魔物達も声を失い、唖然とするしかなかった。
この恐ろしい人は、いったい何処の誰なのだろうか? 少なくとも味方には見えないね。