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「少し狭いですが、ここが客室となっております。本当に部屋は一つでよろしいのですか? 」
エルマンが用意してくれた部屋は、言うほど狭くは無かった。前世で借りていたアパートの一室よりも広いので俺としては何処も問題はない。
「いえ、これだけ広ければ大丈夫ですよ。それに、魔力収納がありますからね、一部屋で十分です」
「あぁ、それなら部屋を使うのはライルさんだけで済むという訳ですか。いやぁ、本当に便利なものですね。ライルさん一人いるだけで店を持たなくても良いのでは? 」
「それも考えた事はありますが、自分が帰れる場所が欲しかったんですよ」
そう、ずっと根無し草で国を渡り歩く行商人でもやっていけたとは思う。だけど、あの旅好きだった善治伯父さんも帰れる場所があるからこそ心に余裕が生まれ、素直に旅が楽しめると言っていた。
「そうですか…… そのお気持ち、良く分かりますよ。帰れる家と、私を待ってくれている家族がいると思えばこそ、辛い旅でも乗り越えられるものです」
これからの事を話し合わなくてはならないのに、何だかしみじみとした空気になってしまったな。
俺とエルマンは互いに咳払いをして場を仕切り直した。
「それで、この後の予定としてはどの様な感じなのですか? 」
「そうですね…… 元首との面会はこれから手続き等を行ないますので、四日から七日は掛かるかと思います。そしたら、ライルさんは私と共に元首の邸で面会する流れになります。それと、今回の内容が同盟という事なので、国務長官と国防長官もいらっしゃるかも知れませんね」
これは大事になりそうだな。まぁ、リラグンド王妃様からの書状だから当たり前か。今更だけど、とんだ大役を任されてしまったな。
「まぁ、そう不安にならずとも大丈夫ですよ。こんなご時世ですから表立って国同士の接触は要らぬ誤解を生みやすいもの。だからこそ同盟の話は秘密裏に行わなければなりません。ライルさんは偶々王妃様の目に止まり、書状を届ける事になっただけの商人という事になります。そこに私と偶然出会い、こうして協力していると向こうに説明する予定です」
「上手く行くでしょうか? 」
「大丈夫だと思いますよ? それに、今回の同盟だってトルニクス共和国は受けるでしょう。リラグンドの持つ転移魔術は非常に魅力的です。軍の派遣もですが、物資さえも距離を無視して瞬時に届けられる。これだけでも十分リラグンドと同盟を組むに値します。断る理由がありませんよね? 」
確かに、現状では転移魔術はリラグンドだけの特権と言っても良い。他にもゴーレム兵や結界の魔道具なんかも他国より進み、こと防衛に関しては頭一つ抜きん出ている。そしてリラグンドも、トルニクスの高い食糧生産力で戦争による飢饉を回避出来る。お互いにメリットしかない話を蹴る愚か者はいない。
しかしだ、あの王妃様がそれだけで終わるとは思えない。近くで話したからこそ分かる。あの人は善人ではなく執政者だ。国の利益に繋がるなら、他人の命を使うのも厭わないだろう。それだけの責任と覚悟を持っている。だからこそ俺はあの人が怖いんだ。
まったく、この世界には怖いものが多すぎるよ。前世では、ここまで政治に関わる事なんて無かったからな。只の会社員だった俺には今の立場ほど荷が重いものはない。
気楽に商売でもしながら母さん達とのんびり過ごす予定だったのに、どうしてこうなったのか…… 儘ならないものだね、人生ってのはさ。前世の歌でそんな風な歌詞があったのを思い出したよ。
取り合えず、アポイントメントが取れなければ話しは進まないので、それまでエルマンのお宅でお世話になる事になった。
クレスからの連絡は、水の勇者候補と出会った所からピタリと止まった。もうすぐ戦いが始まると言っていたから、その準備で忙しいのだろう。此方からの連絡も控えた方が良いかな?
「仲間からの報告では、ラウドリンク平原にて魔王軍との戦争が始まるようですよ」
「そこまで分かるんですか? いったいどうやって情報を集めているんです? 」
「なに、単純な事です。戦争に参加している冒険者の中に、私達の仲眞が数人紛れ込んでいるだけですから」
え? 冒険者の中にも王妃様の諜報員がいるの? それって不味くないか…… 確かギルドは国に属さず、そういう事をしてはいけないとの規約があるって聞いたけど。
「ギルドに露呈したら、ただでは済まないでしょうね。最悪命を落とす事にもなります。ですが、それも覚悟したうえで彼等は規約違反をしているのです。これはリラグンドだけはなく、他の国々も行っていますよ。まぁ、これ迄に露呈して処刑されたなんて話はありませんけどね。全てが冒険者ギルドからの永久追放で済んでいますよ」
冒険者ギルドも年々取り締まりを厳しく行っているそうだが、間諜や国の政策に関わる者が摘発されるのが後を絶たないと言う。まるで鼬ごっこだな。
これは商工ギルドにも言える事ではあるが、冒険者ギルドより規制は緩いらしい。利益を遵守する為、多少は目を瞑ってくれるそうだ。まぁ、バレたらそれなりの罰金を要求されるが、それ以上は何もない。
ギルドの裏話が聞けた所でエルマンの妻であるイレーネが、夕食の用意が出来たと部屋まで呼びに来た。
「ライルさん、家の者に頼んで様々な肉料理をご用意致しました。是非ともトルニクス自慢の牛肉と豚肉を堪能して下さい」
おぉ! あの噂に聞くトルニクスのブランド牛と豚が、ここでやっと味わえるのか。それは楽しみだな。