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『ちょっとライル! 地中からなんか出て来たんだけど!?』
『相棒、あれがバルドゥインって奴か? 想像してたのと違って、華奢な感じがするな』
アンネとテオドアからの魔力念話を受けて、俺もハニービィの視覚を通し確認したバルドゥインの姿は、背こそ高いが全体的に細い。猫背な姿勢を正せば百九十はある長身にスラッとした手足がやけに目立つ。服装は黒のレザーパンツに袖の無いレザージャケットだけ。露出している肌は青白く、灰色の髪はまるでけんざんのように鋭く尖り、前髪は後ろへと流している。
そんなバルドゥインの第一印象は異常、その一言に尽きる。パッと眺めただけではゲイリッヒが言っているような危険人物とは思えないだろうが、あの真っ赤に充血した目を見れば否が応でも分かる。頭ではなく心で理解させられてしまう…… あれは俺達の常識外にいる存在だと。こう言うと本人に怒られるかも知れないけど、ギルやムウナと同類な気配を感じる。
二千年も眠っていたとは思えない程に強大で圧縮された魔力をその身に宿しているのが視える。隣にいるエレミアも俺と同じものが視えているのか、顔から血の気が引いていた。
派手な登場のわりに、その後じっと佇む異様な光景に誰もが目を離さず動けない中、ガーゴイルだけは違った。知能も低ければ危機管理能力も低いみたいで、近くにいるガーゴイル達がバルドゥインへ向かって飛んでいく。
何をしてくれちゃってんだよ、下手に刺激してどうするんだ。そんな意味を込めて俺は青い体毛を持つウェアウルフのウォルフへと視線を移す。
「あ? 何見てんだよ…… 仕方ないだろ? あいつらは簡単な命令しか受け付けない」
だったらすぐにでも攻撃を止めるように命令を送ってほしい所だが、もう手遅れだ。向かってくるガーゴイルを見て、バルドゥインが動き出した。
ゆっくりとした動作で露出している左肩を右手、右肩を左手の爪で引っ掻き、深く抉る。
うげっ! 自分の体によくもまぁ躊躇なくあんな自傷行為が出来るもんだな。
抉った両肩から止めどなく流れる血が指先まで両腕を包み込み、鋭利な爪を持つ赤黒い腕へと変貌した。血を纏わせて腕を強化する方法は、サンドレアでのヴァンパイアが使っていたのを見た事があるが、あそこまで禍々しくは無い。
そしてすぐ近くまで迫って来ているガーゴイルに、あの血走った目で睨むと、その場から消える―― 正確に言うと消えたように見えただけなんだけど―― 次にバルドゥインの姿を捉えた時には、既に何体かガーゴイルを、その爪で切り裂いていた。
俺はバルドゥインを初めて見るから、今の彼が寝起きの悪さで暴走している状態なのか判別がつかない。
「ゲイリッヒ、あれはどっちなんだ? 」
「申し訳ありません。ここからでは私も判断が難しく…… 」
えぇ…… ? もっと近付かないと分からないの? でも、もし暴走状態だったのなら、このまま放っておくわけにはいかない。トルニクス共和国存続の危機だからな。
その後、もう何体かのガーゴイルを呆気なく仕留めたバルドゥインに、新たな変化が起きる。
両腕をコーティングしていた血液が今度は全身に広がり、別の形へと変化する。
あれは…… アンデッドキングとなったヴァンパイアが使っていたのと同じで、全身を血の鎧で固めるやつだな。ただし、変化した姿はアンデッドキングより身の毛もよだつおぞましいものだった。
あれは鎧というより、血の筋肉を纏っているかのようだ。割れた腹筋と盛り上がる胸筋がいやに肉々しく、筋張った手足には刃物を思わせる爪が伸びている。
唇は無く歯が剥き出しになり、鼻も削がれた感じで穴だけが空き、頭には太くねじれ曲がった角が二本、眼だけは変わらず真っ赤に充血し、背中からは悪魔を彷彿とさせる羽が一対生えていた。
今期の魔王よりも魔王らしいその姿に、冷や汗が止まらず背中がビッショリと濡れる。
何だ、アレ…… 怖すぎなんですけど!? 恥ずかしながら足の震えが止まらないよ。
「何なんだよ! あんな奴が埋まってるなんて聞いてねぇぞ!? 」
「ねぇ…… これってヤバくない? 私、あんなのに勝てる自信ないよ? 」
「カーミラ様は掘り起こしたものは可能ならば持ち帰り、無理なら捨て置けと仰っていた。あれはどう考えても俺達の手に余る。即刻ここから退避するべきだ」
ウェアウルフ達も、バルドゥインに怯えて逃げ腰になっている。もしかして、これもカーミラの狙い通りだったのか? もし掘り起こしてもバルドゥインが眠ったままなら持ち帰り、目覚めたとしても、国一つを滅ぼし魔王に有利な状況に持っていける。
なんて、考え過ぎか。そもそもカーミラが二千年前に眠ったバルドゥインの存在や寝相の悪さを知っているとは思えない。ウェアウルフ達が言ったように、偶々地中深くに発見した魔力反応に興味を示しただけってのが有力だな。
っと、そんな事を悠長に考えてる暇はなかった。どうすればアレを止められる?
空中でガーゴイルを虐殺していくバルドゥインを、ハニービィを通して観察するが良い案は浮かばない。それどころか戦闘力の高さに恐怖が増すばかりだ。
その時、背後からウェアウルフの雄叫びが空気を震わせる。すると、バルドゥインへ向かっていたガーゴイルが踵を返して離れていくではないか。もしやと振り返れば、ウォルフ達がしたり顔で俺達を見ていた。
「悪いが、ここでお別れだ。俺達の速さならあの怪物から逃げられる。お前らも精々足掻く事だな」
くっ! 確かにウェアウルフのスピードと魔力さえも消せる隠密なら、バルドゥインから逃れられるだろう。対してこっちはどうだ? 冒険者達とエルマン、それから馬と馬車を魔力収納へと入れて、アンネの精霊魔法で逃げられない事はないが、それだとこの国を見殺しにするのと同じだ。
『ライル? あたしの勘違いなら良いんだけど…… 何かそっち見てない? 』
え? …… アンネの念話に恐る恐るウェアウルフからバルドゥインのいる方へ顔を向けると、ハッキリと俺の方をガン見しているのが分かる。
あ、これは不味い。そう思ったのも束の間、バルドゥインが凄まじいスピードで飛んできては、俺の目の前に土埃を上げながら着地した。
うわぁ…… スッゴイ見詰めてくるんですけど!? 間近に来られると恐怖が倍増だね! ゲイリッヒ、元同僚だったんだよな? なら早くコイツをどうにかしてくれ!!