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王妃様がインファネースに滞在して五日が過ぎ、街中何処へ行ってもその噂で持ち切りだ。概ね予想通りこの街にいることを隠すつもりは無いようだが、それにしても余りに堂々と街に繰り出しているのは驚きだった。
市民と同じ格好をして外に出るもんだから、王妃様を間近で見たことの無い人達には気付かれずにすっかりと街に溶け込んでいた。西商店街の喫茶店で妖精達と戯れては、東商店街に出向いて人魚の料理に舌鼓を打つ。インファネースを堪能してるようで何よりだけど、王妃様の相手を務めるティリアとヘバックは相当に疲弊した事だろう。
中々のアグレッシブな王妃様に、シャロットと殿下は日夜振り回されっぱなしだ。しかし此方にもそれなりの利点がある。王妃様が所有する白百合騎士団の皆様が防壁建設の護衛に協力してくれるお陰で、冒険者達は魔物狩りに集中でき、インファネースの周りには魔物の姿をあまり見掛けなくなっていた。
「はぁ…… 最近デイジーさんが休憩に来なくなって少し寂しいです」
「店が繁盛している証拠さ。良いことじゃない」
王妃様への献上品を作るのに忙しいデイジーは、休まず店に籠っているようで、最近のリタは一人で紅茶を飲んでいる。でも今日は珍しく西商店街の代表であるティリアが来店してきてはリタと一緒のテーブルへ着いていた。
「まさか王妃様がこの街にいらっしゃるなんて、今だに信じられませんよ」
「街の噂は嘘じゃないさ。アタシの喫茶店にも足を運んでくれたからね。妖精達をいたく気に入られて、今でも足繁く通ってくれるのは光栄の至りなんだけどさ、その相手をするアタシがもう限界だよ。心労で倒れそう」
あぁ、だから此処まで来て休んでいるのか。て、俺の店は休憩所ではないんだけどなぁ……
テーブルに突っ伏すティリアをリタが元気付けている光景を横目で見ていたら、バンッ! と大きな音を立てて乱暴に扉を開け入ってくる一人の客の姿があった。
「ちょっと! 話が違うじゃないのよ!! 」
かなり焦っている様子のデイジーがツカツカと俺に詰め寄ってきては声を張り上げる。
「あっ! デイジーさん、お久しぶりです。もうお仕事は一段落したんですか? 」
「あら、リタちゃん久しぶり。最近ご一緒出来なくてごめんなさいね。色々と頼まれちゃって大変なのよ…… ってその事であんたに言いたい事があんのよ! 」
謝ったり怒鳴ったりと忙しいね。
「どうかしたんですか? 」
「どうもこうもないわ。今しがた作り終えたシャンプーとトリートメントを届けに領主様の館に行ったんだけど…… 何故か中に通されて直接王妃様に手渡す羽目になっちゃったのよ! もぉ、こんな事ならちゃんとお化粧してくるんだったわ」
え? 王妃様が直接受け取ったの? どんだけ楽しみにしてたんだよ。
「デイジーさん、王妃様にお会いしたんですか? 良いなぁ、私なんか一度だけ王都で遠目からしか見たことがないから、どんなお姿をしているのか知らないんですよ。間近で見た王妃様はどうでした? 」
「それはもうお美しくで優しい方だったわ。こんな私でも奇異の眼を向けずに、ありがとうと手を握ってくださったのよ。物腰が柔らかなのに、威厳もある立ち振舞い。一人の女性としてとても尊敬出来る御方だったわぁ」
角刈りのオカマがうっとりしている様子はある種のホラーめいた物を感じる。そんなデイジーに初めて会ってここまで心酔させるとは…… 王妃様、恐るべし! ティリアも、あの王妃様だからなぁ、なんて小さくぼやいていた。
「あっ、そう言えば私もこの間大口の注文を受けたんですよ。服装は私達とそう変わらないけど、凄く質の良い生地で仕立てられたお召し物を着たとっても優しそうなご婦人で、天使さん達が持って来てくれたシルクの生地でドレスと普段着を作って欲しいと頼まれたの。しかも前金で沢山頂いちゃった。あの気前の良さは、さぞや名のある貴族の奥様ですよ! 」
嬉しそうに語るリタに、ティリアとデイジーは呆れた視線を向ける。
「王妃様、此処まで来てたのか…… 」
「リタちゃん…… 知らないって幸せよね」
「えっ? えぇ? 二人ともどうしたんですか? なんでそんな目で私を見るの? 」
着ている服の生地は見抜けても、人そのものまでは見抜けなかった訳か。王妃様の姿をきちんと見ていなかったとしても、噂を知っている者なら察しがつくようなもんだけど、そこはリタだからなぁ。
「あぁ…… 問題は私が作った物で満足してくれるかどうかよ。自分でも試してみたけど、ほら私ってどっちかと言えば短髪じゃない? いまいち実感が湧かないのよね」
どう見たってその角刈りは短髪以外のなにものでもないだろうに。そんなのがサラサラになったとしても分かりづらいよ。
「後日、領主様かシャロットに聞いておきますよ。でも大丈夫じゃないかな? 素人の俺が作った物なんかより、本職のデイジーさんが作った物の方が効果はあると思うし、それにデイジーさんはエルフから調合の技術を習ったんだから、もっと自信を持つべきです」
「そ、そうかしら? 何かそこまで言われると照れちゃうわね…… じゃあ、王妃様がご満足されたかどうか聞いといてくれる? 私はもっと良いものに仕上げられるか頑張ってみるわ」
よしよし、やる気になってくれたようで良かった。こんな事で自信を無くし止めたいなんて言われたら困るからね。
「ライルってさ、人を利用するのは上手いんだよな」
「裏で操る黒幕的な感じですよね? 」
俺がデイジーを煽ててその気にさせている所を見ていたティリアとリタが、こそっとそんな事を言っていた。
リタさん、誰が黒幕だって? そんなに店内は広くないので、もっと小さく喋らないと大抵の会話は筒抜けだ。