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完成した魔道具は無事に人魚達の手に渡り、四つの拠点へと設置された。
元から国一つを覆う程の効果範囲だったので、想定していた漁場よりも広範囲になったのは嬉しい誤算だった。お陰で魔物達は落ち着きを取り戻したが、人間に危害を加えなくなった訳ではない。なので漁師達には引き続き今まで通り魔物避けの魔道具を使用して貰っている。
まだ完全とは言わないが、あれから少しずつ漁獲量は増え、例年並みの水準に戻りつつある。人魚達も、一部ではあるが魔物の暴走で海が荒れるのを防げて満足していた。これで他の海域管理に集中出来ると喜んでいたな。
だが、俺がアルクス先生と研究所に籠って半月、世界は大きく動き出そうとしていた。
黒騎士や堕天使達の情報によれば、魔王が奪った元トルシア王国にとんでもない数の魔物や魔獣が集まったそうだ。黒騎士が言うには、もうそろそろ何処かの国へ攻め込むだろうと予想をつけていた。
トルシア王国から来る難民達で手が一杯な様子の帝国だけど、今の魔王軍が落とせる程国力は低下してはおらず、よって次の標的になるとは思えない。とすると近くの別の国が犠牲になってしまう。
あの魔王の事だ。攻め落とすだけでなく、また国民達を帝国へ誘導して動きを封じてくるかも知れない。
黒騎士はそうなる前にどうにか避難を呼び掛けたい所だが、そう簡単な話ではない。要は魔王が攻めてくる前に国を捨てて何処かの国へ、国民全員ひ亡命しろと言っているようなもの。
何もせずに国を捨てる王はいないし、国民も生まれ育った土地から易々と離れる事なんて出来るのだろうか? こればかりは、論理とか命とかよりも感情が優先されやすい問題である。
生きて故郷を取り戻すまで戦うか、国と共に死を選ぶかは人それぞれ。いくら帝国が大陸一の大国だとしても、人の心まではどうにも出来ない。
それでも、帝国は手をこまねいているだけではなく、トルシア王国との国境にある砦を魔物達から奪い返すのに成功した。
「今さらではあるが、国境の砦を魔物から取り戻した。それは小さな一歩かも知れんが、帝国にとって意味のある大きな一歩である」
マナフォンの向こうから聞こえる黒騎士の声には、覚悟とそれに隠れて怒りの感情が垣間見えた。五百年前の魔王軍は、真正面から突撃してきたのに対して、今期の魔王は小賢しくも厭らしい絡み手を使ってきたのが余程気に入らないようで、黒騎士は完全に魔王を倒すべき敵と定めたようだった。
連絡してくれたついでに、光の属性神に選ばれた勇者候補であるクレスの考えを伝えておく。
「ほぅ、それは面白い。誰か一人が勇者になるのを待つより、勇者候補の七人で力を合わせると? 確かに、何時選定されるやも分からん勇者を待つよりは手っ取り早い。そのクレスという勇者候補に伝えてくれ。帝国は何時でも迎え入れるとな」
「分かりました。必ず伝えておきます」
ふぅ、これでクレス達は問題なく帝国に受け入れてもらえるだろう。後は次なる魔王の標的と、他四人の勇者候補の居所だな。教会の宣言では勇者候補は全員選ばれ存在も確認されている事にはなっているけど、何処の誰かはまでは言っていない。
それなのに、どうやってクレスは他の候補者を探して力を貸して貰えるように説得するのかね? カルネラ司教に聞けば候補者が誰か教えてくれるだろうか?
「あ、あの…… ライルさんにお客さんですよ」
カウンター裏で黒騎士との通話を終え、そのままカルネラ司教に連絡しようかと迷っていると、キッカが困惑した様子で顔を出してくる。
俺に客? いつも元気なキッカが困惑するような相手なんて、一人しか思い当たらない。はぁ…… 正直相手にはしたくないけど、居留守なんか使ったら後で余計に面倒な事になる。
「ありがとう、すぐに行くよ」
俺の返事を聞いたキッカは表情を和らげ、安心している。まったく、偉い立場なんだから頻繁に外を出歩かないで貰いたいね。こちとら庶民なんだから扱いに困るんだよ。
護衛のアレクシスを侍らせ商品を物色しているフードを被った不審者に、無意識に溜め息を漏らしながらも近付いていく。
「殿下、王族である貴方がこの様な一般の店に来られては困りますよ」
「フン…… 俺が何処に行こうと勝手だ。いずれこの領地を治めるのだからな」
「すみません、ライル君。どうしても南商店街の視察に行くと聞かないもので…… それに、今日はシャロット嬢がお忙しくしていて殿下も暇なんですよ」
シャロットが殿下の相手も出来ない程忙しくしているだって?
「何か問題でも起きたのですか? 」
「いえ、それが―― 」
「――マーカス伯爵が王都から戻ってくるとマナフォンで連絡があったそうだ。その出迎えの用意で館の中は忙しなくなっている。俺の時は何もなかったのにな」
アレクシスの言葉にコルタス殿下が不機嫌そうに言葉を被せる。いや、サプライズか何か知らんけど、前もって連絡していない殿下の自業自得なのでは? そんな台詞が喉まで上がってきたが、どうにか飲み込んだ。
「そ、そうでしたか…… やっと領主様がお戻りになるのですね。思ったより長く王都にいたので心配していましたよ」
「あそこには勇者候補が二人もいるうえに、ここと同じ結界の魔道具で守られている。魔物の被害は先ず無いと見て良い。問題は内部に巣くう貴族派の害虫共だが、今マーカス伯爵に危害を加えてインファネースを荒らすのは得策ではないので、何もしてこないだろう。道中もここへ来たがっている冒険者に護衛を任せるようだし、そんなに心配しなくても大丈夫だ。それよりあれから商品は増えたのか? 見たところ代わり映えしてないようだが、本当に商売する気はあるのか? 」
おいおい、もっと良く見てからものを言って欲しいですね? ちゃんと新しい商品だって増えてますよ。まぁ売れているかは別としてだけど……
「父上の判断により、これからインファネースは各国への結界魔道具を本格的に輸出する事にした。勿論、国内で販売されている物よりも価格は控えめにする予定だ。諸外国が魔王の軍勢を抑えている内はこの国も安全だからな。是非とも他の国には頑張って貰いたいと考えているのだろう」
「やっぱり、領主様が王に信頼されているから、その様な大役を賜ったのですか? 」
「それもあると思うが、一番の理由は海路と空路があるからだな。陸路はもう駄目だ。魔王の手下や凶暴化した魔獣が闊歩している状態の中、進んで遠出する商人はまずいない。なら比較的まだ安全だと思われる海路、そして堕天使達によって新たに開拓された空路を利用して確実且つ安全に魔道具を届ける事が可能なインファネースに頼むのはもう必然とも言える」
他国に強力な結界魔道具を売りつけて、この国の盾になって貰おうという腹積もりか。これも立派は戦略なんだろうけど、それでちゃっかり儲けを出そうとしている所とか、強かと言うべきか、ずる賢いと言うか……
「それじゃ、領主様がお戻りになったら、殿下達は王都へ帰還なさるのですか? 」
「あ? 馬鹿を言うな。魔王の脅威が去るまで帰らんぞ。第一、王都よりここの方が安全なのは一目瞭然だろ? 」
「素直にシャロット嬢が心配だと言えば宜しいではありませんか」
「黙れ、アレクシス。余計な事を言うんじゃない」
まぁ、何せよ殿下達はこのままインファネースに居座るつもりのようだ。




