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カルカス湿原―― ヴェルーシ公国とリラグンド王国の間に位置する淡水によって湿った草原で、大小いくつもの湖沼が点在し、海へと続く大きな川が蛇行しながら流れている。足下が悪く、動きにくいこの湿原が間にあったからこそ、公国と王国はこれまで大きな争いは起こさず、小競り合いだけに収まっているとレイチェルは言う。
「王国と公国は対立しているの? 」
ゲイリッヒが馭者を務める馬車の中で、レイチェルの話を聞いていたエレミアが質問をする。
「表立って対立しているとは言えないけど、仲は良くないわ…… ヴェルーシ公国には四人の大公が国を治め、運営している珍しい政治体系なの…… その大公の一人とリラグンド王国の貴族派代表であるボフオート公爵が裏で繋がっているなんて噂もあるわ…… 」
ボフオート公爵って、確かシャロットの母親が死ぬ原因を作った奴だよな。何でそんな噂が?
「ヴェルーシ公国は元々王国だったの…… それが王の圧政により貴族が反乱を起こし、当時公爵だった四つの家が国を治める事になった。それが公国の始まりだと言われているわ…… そんな歴史背景と貴族派の思想が原因でこんな噂が流れているんだとわたしはそう思う…… 真偽の程は定かではないけど」
噂については分かったけど、何故リラグンド王国とヴェルーシ公国の仲が悪いのか?
「それについては過去から続く因縁のようなものがあるらしいとは聞いているけど、あまりよく知らないの…… 昔から仲が悪いのをズルズルと今まで引き摺ってる感じね…… 何かにつけて此方に文句を言ってくるの。最近では、ジパングとの交流に対して抗議していたわ…… 」
「え? なんで? 」
いきなりジパングが出てきたから驚いて無意識に言葉が漏れてしまった。
「ヴェルーシ公国が大陸の真東にあるのは知ってる? 彼等は東の海にあるジパングと最も近い国である公国を差し置いて、最初にジパングとの貿易を成功させた王国、強いてはインファネースに納得がいかないと言ってきたの…… 今では公国もジパングとの貿易を始めているけど、王国に先を越されたのが気に入らないみたい…… こんな小さな事の積み重ねで長年いがみ合って、元が何だったのか忘れてしまっているのよ…… 」
呆れたとばかりに深い溜め息を吐くレイチェル。元貴族が支配する国、ヴェルーシ公国。中々に癖の強い国のようだ。あれ? だとするとインファネースで商売をしている俺達が国内に行っても大丈夫なのだろうか?
「入国禁止ではないけど、あまり良い顔はされないかも…… 」
うへぇ、面倒だな。インファネースから来たと黙っていたいが、身分証明の為に国境の検問所、街や都市に入る時にも商工ギルドのギルドカードを門兵に見せなければならない。その時に俺が今現在何処で店を開いているのかが分かってしまう。
「だいじょぶだって! 別に襲ってくる訳でもないんでしょ? 」
「そうそう、女王様の言う通り! もし襲ってきてもあたしが返り討ちにしてやんぜ! 」
「おっ! やる気だねぇ~ こりゃあたしも負けてらんねぇな!! 」
二人の妖精が蜂蜜酒を片手に物騒な事を言っている。頼むからそれだけは止めてくれ。それとパッケ、何で馬車の中でアンネと一緒に酒なんか飲んでるんだ? 仕事中なのにガストール達といなくて良いの?
「全然へいきだって! それよりなんかおつまみ的な物を出してよ~ 」
はぁ、妖精に真面目に仕事をしろなんて無理な話だったか。
道中、小規模なゴブリンの群れに襲われたが、馬車の守りはゲイリッヒがいるので、ガストール達は心置き無く動き回りゴブリン達を仕留めていった。
「こんなに楽な護衛依頼はないな」
「そっすね。護衛対象をあまり気にしなくても大丈夫なんて、まず普通じゃあり得ないっすから」
暗くなってきたので適当な場所に野営の準備をして、夕食をご機嫌な様子でガストール達は食べている。
まぁ、本来俺達に護衛は必要ないからね。そこらの魔物が相手ならゲイリッヒ一人でも充分だろう。
「でも、ガストールさん達のお陰で私達はのんびりと旅が出来ます」
そんなアグネーゼの言葉に、照れ隠しなのかガストールは乱暴に頭を掻き、ルベルトはヘヘヘッと鼻の下を擦る。グリムは…… うん、全く表情が読めん。
夜の見張りはガストール達に任せ、俺達は結界の魔道具を発動させたマジックテントで就寝する。勿論男女別で用意してある。
「兄様と一緒に眠れると思ったのに…… 」
いや、流石にそれはちょっとね。不満気なレイチェルとエレミアをアグネーゼが宥めてマジックテントに押し込む。エレミア、お前もか…… 。
「それでは、見張りは頼みましたよ」
「おぅ。俺達に任せてゆっくり休むんだな」
「おやすみっす! 」
俺はもうひとつのマジックテントに入り、ゲイリッヒが敷いてくれた布団に入り込む。因みにパッケは魔力収納の中でアンネと一緒にぐっすりだ。ほんとに妖精って自由だよな。
翌朝。一回も起こされる事もなく朝を迎え朝食を食べていると、なんと夜中にブラックウルフの強襲があったとガストールが話してくれた。何で起こさなかったと聞いたところ、微妙な表情を浮かべる。
「いや、だってよ…… そこのゲイリッヒとレイチェルで殆ど片付けちまって、俺らの出番なんかありゃしなかったぜ」
「凄かったっすよ! 周りは暗闇で視界なんてほぼ無いのに、どんどん仕留めていくんすから! レイチェルの嬢ちゃんの闇魔法は圧巻っす!! 」
はい? ゲイリッヒは分かるけど、レイチェル? 寝てたんじゃないの?
「わたし、あまり寝つきが良くなくて…… だから少し外の風に当たろうと思ったら、ブラックウルフが来たの…… 魔法の実践訓練には丁度良かったわ」
おいおい、危険な夜更かしだな。エレミア達は寝てて気付かなかったのか?
「一応私が側いたけど、特に問題はなかったわよ? 」
「も、申し訳ありません。私は、気づきませんでした」
あ、エレミアも起きてレイチェルと一緒だったのか。アグネーゼが申し訳なさそうに縮こまっているけど、夜中だったんだから仕方ないよ。俺も気付かなかったしね。
エレミアの話では、レイチェルはだいぶ闇魔法を使いこなしているみたいだ。だからと言って、危険な行為には変わらない。
「レイチェル、あまり勝手な行動は控えてほしい。何かあってからじゃ遅いからね」
やんわりと注意すると、レイチェルは嬉しそうに微笑む。
「うん、分かった…… ごめんなさい、兄様」
本当に分かってる?