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徒歩と気温で熱くなった体をアイスクリームで内側から冷やして休憩した後、俺達は北地区にある領主の館を目指して歩き出す。
館までは、北商店街か貴族街を抜ける道の二通りある。貴族街へは一般の者は入れないので商店街を通るしかないのだが、ここには貴族御用達の店が並んでいるので何だか近寄り難くて、領主の館に向かう用事がある時はもっぱらアンネの精霊魔法に頼り避けてきた。
しかし久しぶりに足を踏み入れてみれば、前に来た時のような不躾な視線は感じないので疑問に思っていると、アグネーゼがある箇所を見詰めながら言う。
「恐らくは、彼等がいるからではないでしょうか? 」
アグネーゼの目線を追った先には、純白の翼を背に生やした天使達が優雅に佇んでいた。
彼等と目が合うと軽く手を振ってきたので、此方も軽く会釈をして応える。
北商店街は他の商店街とは比べて冒険者や住民の客が少なく静かで落ち着いた雰囲気をしている。それが天使達にとっては過ごしやすく気に入ったのだろうというのがタブリスの見解だ。それを裏付けるように、街に来ている大半の天使はこの北商店街にいる。
そのお蔭なのか、貴族達は天使に目を奪われ俺には気づいていない様子。いや、気づいていても無視してるのかも。そりゃ両腕のない奴より、翼を生やした美しい天使に目を向けた方が何倍も有意義だろうな。
ふぅ…… やっと着いたよ領主の館。久し振りに歩いて向かったけど、こんなに遠かったかな? もしかして前より体力が低下してる?
「普段は店番でカウンター内に座りっぱなし、移動は馬車かアンネ様の精霊魔法、戦う事があっても後方支援で自分が動く時には魔力で体を浮かせての立ち回り。そりゃ体力も低下するわよ」
「殆どご自分で動く事が少ないのですね。心なしか少しふくよかになりました? 」
えっ!? 言われてみれば最近楽ばかりして運動らしい事なんてしてなかったからな。確かにちょっと太ったか? いや、俺はまだ十六才、きっと成長期なんだ。そうに違いない。
『相棒、んな事言って現実から目を背けてっと、領主みたいな体型になっちまうぞ? 』
『長よ、これからはオレと鍛錬に勤しもう。さすればそのだらしない体もすぐに引き締まる筈だ! 』
前世でも、油断するとお腹周りに肉がついてきてズボンのウエストがきつくなっていたな。こんなところまで今世に引き継がなくても良かったのに…… ダイエットでも始めようかな。
気付きたくなかった現実にテンションが下がりつつも、ドアノッカーを魔力で操る木腕で打ち鳴らすと、中からメイドさん達が扉を開けて出迎えしてくれた。
あのドアノッカーは魔道具であり、叩くと玄関近くにあるメイドの待機部屋に伝わる仕組みになっているので、こうした素早い対応が可能である。因みにその術式はシャロットが発案してアルクス先生と作ったそうだ。
一人のメイドに応接室へと案内され、中に入ると既にマセット公爵達が席について待っていた。
「おぉ! ライル君、待っていたよ」
「ブフ、暑い中ご苦労であったな」
マセット公爵がとても嬉しそうに顔を綻ばせる横で、領主とシャロットが苦笑している。
「いえ、公爵様と対談する機会は滅多にありませんので、光栄です」
エレミアとアグネーゼもそれぞれ軽く挨拶をして、席に腰掛け対談が始まる。
「聞けば此度の祭りに出ていた屋台は、ライル君とシャロット嬢の二人が考えたものだとか。是非とも話を聞かせてはくれまいか? 」
「はい、わたくし達に答えられる範囲であれば」
シャロットが何でも話せる訳ではないと暗に伝えると、マセット公爵は深く頷き理解を示してくれた。
「それは勿論、無理に聞き出そうとは思っておらぬよ。これはただの好奇心からくる私の我が儘なのだからね。では、早速聞きたいのだが―― 」
マセット公爵の矢継ぎ早の質問に、俺とシャロットが答えていく。その内容は全て食に関することだった。祭の屋台に出していたわたあめやアイスクリームの作り方、米を使用した料理、人魚達が独自に作った調味料、味噌と醤油の出処、ジパングの酒と食文化等々、次々と出ては止まらない。
「成る程、味噌と醤油はジパングの他にエルフも作っていたのか。だから今まで出回らなかったのだな。しかし、ジパングも人魚と同じ様に魚を生で食べるとは…… 私も一度試してみたのだが、腹を壊してしまいそれ以降挑戦しておらん」
エレミアでさえも許否した生の魚を、話を聞いただけで食べようとするなんて、中々のチャレンジャーだね。
「未知なる食材と料理を求めるのは冒険と同じで危険が伴うものだよ。今は若い者に任せているが、昔はよく大陸を廻っていたものだ」
昔を思い出しているのか、公爵は懐かしむように目を細める。
「しかし、この歳になってもこうして新しい味や変化に出会えるのだから、食とは本当に刺激的で素晴らしい。特にこの炭酸というのは凄い。どうやったらこんな事を思い付くのか…… やはり若い者の着想は面白いな」
公爵は炭酸入りのワインを飲んでは感嘆の溜息を溢す。
「お気に召しましたのなら、その魔道具の設計図と術式の写しをお渡しいたしましょうか? 」
「なに? いや、くれると言うのなら有り難く頂戴するが…… 本当に良いのか? 」
「はい。独占販売などは考えておりませんので問題は御座いません。むしろこの国だけではなく大陸中に広めてもらいたいです。そうすれば、別の誰かがまた新しい味を作り出すかも知れませんよ? 」
「商人らしからぬ考えだな。いや、だからこそか…… ライル君、私の領地に来る気はないかね? 破格の待遇を約束しよう」
いきなりの申し出にこの場にいる全員が目を丸くするが、公爵の真剣な面持ちに冗談ではない事を察して何も言えなくなる。領主とシャロットが無言で俺の返答を待っている中、ゆっくりと口を開く。
「公爵様直々のお誘い、大変光栄ではありますが、辞退させて頂きたく存じます。夏は暑くて外に出るのも億劫ではありますが、私はこの街が好きなんです。なので、出ていけと言われるまで離れる気はありません」
「ブフゥ、吾輩もライル君を手放す気はないであるぞ」
「お父様の言う通りですわ。ライルさんが望むのなら、わたくし達がお守り致します」
そんな俺達の様子を見た公爵は、怒る事もなくフッと微笑んだ。
「なに、駄目元で誘ってみただけだ。それに、公爵である私が勧誘したという事実があれば、他の者も誘いづらかろう。ライル君、私が君に辿り着いたように、いずれ他の者達も君の存在に気付くのは時間の問題、中には強引な手を使ってくる者もいるのでな。その前に策を練る必要がある」
そうか、公爵はその為に断られると分かっていながらも俺を勧誘した訳だな。他種族を引き入れたりと色々派手に動いてたからね、何時かはそんな日が来ると覚悟はしていた。いくら領主でもずっと隠し通すなんて無理な話だ。
「ご心配には及びません。ライル様に手を出す者がいれば、私―― いえ聖教国が総力を挙げて排除致します」
「私達エルフだって黙っていないわ」
「ほぅ、聖教国が? まさかそこまでの人物だったとはね…… これは本気で引き抜く必要があるかな? 」
冗談めかして言っているが目が本気だよこの人。権力者の恐ろしさを垣間見た気がする。