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はてさて、公爵様直々に会いに来てくれた訳だが、いったいどんな用があるのだろうか? しっかし、貴族で美食家だと聞いていたからてっきり領主と同じようにふくよかな体型をしているもんだと勝手に想像していたが、全然違うな。
年からくる白髪に、短く綺麗に整えられた白い髭。顔には様々な苦労があったと思わせる皺が刻まれ、服の上からでも分かる程の引き締まった肉体から発せられる気迫に、流石は公爵だと思わず唸る位だ。
「あの、それで私に会いたかったとは? 何か公爵様に失礼な事でもしたのでしょうか? 」
「いや、そうではない。むしろ逆だ。君があの味噌や醤油をインファネースに持ち込んだのだろう? 一応レインバーク卿の為に言うが、これは私が独自に調べて分かった事で、彼は君の事は何一つ喋ってはいない。勿論私も公にするつもりは毛頭ない」
そうか、領主が俺の事を話した訳ではないのか。まぁそうだろうなと思っていたけど、それを態々言ってくれるとは中々に優しい人のようだ。
「味噌と醤油も素晴らしいが、あの炭酸というのは全ての飲み物に革命をもたらすものだ! 口の中で弾け、喉を刺す爽快な飲み心地! 飲み慣れた普段の飲み物が全く新しく刺激的なものへと変貌するあの魔道具は正に時代を変える発明と言っても過言ではない!! 初めて飲んだ私の驚きと感動が分かるかね? 君はそれほどの事をしたのだよ。ジパングの主食である米を使用した料理も君がインファネースに伝えたと調べはついている。そして今回の祭りに出されているわたあめにかき氷、たこ焼にイカ飯。なんて独創的なのだ! ここまで食事に対する情熱が強い君を知り、私が会いに行かない訳がない!! 」
お、おぅ…… 何かいきなり語り出したね。
「今やインファネースでは珍しい食材や未知の味に溢れている。それは君の影響によるものも少なくはない。どんな人物か是非会って色々と話が聞きたかったのだ」
「すまないであるな、ライル君。グラトニス卿は食べ物となると、吾輩以上の執着心を見せるのでな。抑えきれなかっのだ…… グラトニス卿、今日は顔合わせだけの約束であるぞ。積もる話は後日時間を取ると言った筈では? 」
まだ話し足りないのか、途中で言葉を挟んできた領主に不満気な顔を向けるマセット公爵。
「むぅ、そうであったな。今は祭りを堪能しようではないか。では、お互いに時間を取ってじっくりと語り合う時を楽しみにしているぞ」
「そういう訳であるから、近々館へ呼ぶのでその時は宜しく頼むのである」
領主とマセット公爵は言うだけ言って離れて言った。何だったんだ?
「えっと…… 要するにライルと話したかったって事? 」
「たぶん、そうなんじゃないかな? 取り合えず領主に呼ばれたら行く事にするよ」
思わぬ出会いに戸惑いつつも、見回りをしながらエレミアと二人で祭りを楽しんでいると、そろそろ花火が打ち上がる時間が近付いてきた。
打ち上げ場所は東商店街から船を出して海の上から打ち上げる予定だ。火薬を使用している訳ではないから、船からでも安全に花火を打ち上げる事が可能である。
俺とエレミアは東商店街へ向かい、花火を見ようと集まってくる人達の整理をしなくてはならない。
空高く打ち上げるので、街の中でも外でも花火は見る事は出来るが、初めて見るからには障害物が少ない開けた場所で見たいと思うのは皆同じのようで、東商店街と隣接している港には多くの人達が集まっていた。
それを各商店街の代表商店が混乱を避ける為、協力して誘導整理を行なう―― のだけれど…… 何あれ? 肉眼で確認できる程の距離にある海上に何かステージのような足場が浮かんでいる。
誰が用意したんだ? あんなの何も聞いていないぞ。そう不思議に思っていると、突然ステージ上を明るく照らす光が出現した。あれは光魔法? いや、精霊魔法だ! だとすると、妖精の―― アンネの仕業か!? もしかして秘密の特訓ってこれの為?
街の住民も観光客も揃って唖然としている中、ステージの中央に小さな人影が浮かんでいる事に気づく。
「みんなー!! 祭りは今日で終わりだよ! という訳で、最後にあたし達の歌を聞けー!! 」
その小さな人影から発せられるとは思えない程の大音量が港中に響きわたる。恐らく音の精霊の力を借りて、拡声器のように自分の声を大きくしているのだろう。声を聞いて分かったけど、あれは確実にアンネだ。というか歌うの?
集まっている人達も歌? と揃って疑問符を浮かべる様子も気にせず事態は進んで行く。ステージ上にはアンネの他にも沢山の妖精達が飛んでいた。たぶん街中にいる妖精が集まっているんじゃないか? しかもそれだけじゃなく、ステージの周りを囲うように、海から人魚達が顔を出している。
その光景にざわざわと騒ぎ出す人達だったが、突然鳴り響く音楽に言葉を止める。
それはこの世界では初めて聞く、だけど俺にとっては懐かしくも聞き慣れた音楽。
妖精達が音の精霊で放つドラムとベースとギターの音は、調和のとれた一つの音楽へと変わり、それに乗せてアンネの歌が港全体を包む。
アンネ達の音楽は、俺の前世で有名だった所謂“夏うた” というやつだ。前に魔力念話を利用して色々と前世の音楽を聴かせた事はあったけど、俺の曖昧な記憶からここまで正確に再現出来るものなのだろうか?
「やれやれ、派手にやりおってからに」
ふと気付くと隣にギルが訳知り顔立っていた。
「ギルは知っていたのか? 」
「あぁ、あの羽虫が我のスキルでお主の知識から前世の音楽を読み取って教えてくれと頼まれてな。断ろうとしたのだが、他の羽虫共を引き連れて我の寝床で日夜騒ぎ立てると脅してきたので、仕方なく協力した次第だ」
成る程、一度聴いた音楽をギルの “知識支配” のスキルで俺が思い出せない所を世界の記憶から引き出してアンネに教えたのか。そして祭りの最終日にゲリラライブをしようと、妖精達を連れてあの秘密の特訓とやらをしていたと。人魚までも巻き込んでいるのは驚いたが、もともと人魚も歌うのが好きな種族だからアンネに協力したのだろう。
妖精達の精霊魔法の音と、アンネの力強い歌声が忠実に前世の音楽を再現されているが、そこに人魚達の透き通るような声のコーラスによるアレンジが加わり、なんとも言えない幻想的な雰囲気が漂う。歌詞も日本語から此方の言葉に訳され、これはもう俺が知るものじゃなく別物に変化してしまっているな。
明るく照らす海上ステージで、妖精と人魚が歌うという現実離れした光景に誰もが口を閉ざし、ただ見入るばかり。しかし、一曲、二曲と進んでいくにつれて、周囲は段々と盛り上がっていき、いつしかライブ会場のような騒ぎになる。
「みんなー! 盛り上がってるー? 残念だけど、これが最後だからよろしくー!! 」
アンネ達の最後の曲が始まる頃には、周りはもうすっかりと熱狂の渦が出来ており、聴衆の興奮は最高潮に達していた。
人間も、エルフも、ドワーフも、人魚も、天使でさえも、アンネ達の歌で一つとなっている。こんなのはインファネース以外ではあり得ないだろう。それでも前世の音楽が世界を越えて、種族が違う者達の心を一つにした瞬間に、俺の心は感動と興奮で震え上がった。
そんな奇跡のような時間も終わりを迎える。最後の曲が鳴り止むと同時にアンネが腕を空高く振り上げた瞬間、タイミングを見計らったかのように、海でスタンバイしていた船から光の筋が空へと登って行き、大きな音と共に色とりどりの大輪の花が咲いた。