42
配達業がこの国に拡がり業務が安定してきた頃、地下の転移門からミカイルがやって来た。
「いらっしゃいませ、ミカイルさん。何か買いにでも来られたのですか? 」
「いや、今日は別件だ。あれから一月半、集落の復興も大方完了し、俺達の生活も大分落ち着いてきた。そろそろこの街に訪れる者達もいよう。その前にここの領主に話をつけておこうと思ってな」
既に俺から領主に話してはいるけど、本人からも直接挨拶はした方が良いだろう。そっか、もうすぐこの街にも有翼―― いや、天使が来るようになる訳だな。
「それで…… タブリス達は上手くやっていけているのか? 」
「はい。仕事も安定してきましたし、まだこの国だけですが情報収集も順調ですよ」
「そうか、そらなら良い」
素っ気ない態度をしているが、気になってしょうがない様子が隠しきれていない。素直じゃないね。
ミカイルは堂々とした足取りで店を出て領主の館に向かって歩いて行った。空を飛ばないのは街の人間に配慮したのだろう。
「ライル様も一緒に行かないのですか? 」
「ただの挨拶だから俺が行く必要もないよ。それより店番をしてないといけないからね」
もう季節は真夏。外は雲ひとつない快晴で日射しを遮るものはない。気温は四十度近くあり外に出るだけで汗が流れてくる。クーラーが効いている快適な空間から何故自分から出なければならないのか。
そんな俺の気持ちを察してか、アグネーゼが仕方ないと言った風な生暖かい目を向けてくる。
あの、その我が儘を言う子供を見るような目は止めてくれません?
ミカイルが領主の所へ訪れた数日後、街の中で天使達の姿が見掛けるようになった。勿論彼等は転移門からではなく、空を移動してちゃんと門から正規の手続きをして入ってきている。
人間と交流していたのは千年も前の事。当時を知る者はもうそんなに残ってはおらず、天使の殆どが初めて見る人間の文化に興味を示す。
特に中央広場の人混みに目を回し、出店の料理に感動したりと大忙しだ。
おおらかで穏和な人達が多いインファネースでは、気難しい天使達相手でもそうトラブルになる事もなかった。その前に他の種族でかなりの耐性がついたとも考えられるけど。
そんな訳で天使達とのファーストコンタクトも目立ったトラブルもなくこの日は過ぎて行った。
あの天使が人間の街へと訪れるようになった。この事実に、国中がインファネースに注目するのは当然で、一目見ようとこぞって街に押し寄せてくる。
その経済効果は凄まじく、全ての商店街が喜びの叫びを上げる事となった…… 俺以外の店はね。
何でだよ!! あれだけの観光客が来て、何で俺の店だけ普段通りなんだ?
「ここの商品ってお土産には適してないのよね。客層を冒険者に絞りすぎたんじゃない? 」
むぅ…… エレミアの言うように土産には向かないかな? たまに売れると言えば、母さんの蜂蜜クッキーぐらいだしな。
「蜂蜜入りのクッキーは売れるのに、どうして蜂蜜自体は売れないのでしょうか? 」
「恐らく単純に値段が高いのかと。蜂蜜は元より値段の張る物では御座いますが、我が主の蜂蜜は相場の倍近くありますから。かと言って安くすれば良いとは限りません。ギルドにも卸している為、金額に大きな差が出来てしまっては、この蜂蜜の相場が崩れてしまいます」
ゲイリッヒの説明を聞いたアグネーゼは、思わず相槌をうってしまい、しまった! という顔をした。
「まだ私をお認め頂けないので? 」
「当たり前です。教会に属する者がアンデッドの存在を認めるなんて有り得ません! ライル様が受け入れているので、見過ごしていますが、そうでなかったら全力で浄化している所です」
立場上仲良く出来ないと言われて困り顔のゲイリッヒに、テオドアが指をさして笑う。
「ゲヒャヒャヒャ! 教会の奴の前じゃ色男も通用しねぇな! 」
「貴方もです! テオドア。またこそこそと覗きなんて不埒な真似をしたら、今度こそ完全浄化しますよ」
ゲイリッヒよりも当たりが強いアグネーゼに、面白くねぇ―― と呟くテオドアであった。
それよりも俺の店だけ出遅れ感が否めない。かと言って今から土産に適した商品を作ってもな。
「はぁ、やっぱりここは落ち着くわねぇ。もう最近忙しくてのんびりする暇もないわぁ」
薬屋のデイジーが久し振りに来店してきたと思ったら、何やら聞き捨てならない事を言う。
ん? それって俺の店は変わらず客が少ないって言いたいの? それとも自分の店は忙しいって自慢しているのか?
「最近インファネースに来る人が増えましたから。リタさんのお店もけっこう繁盛しているんですよね? 」
「そうなのよ! もう休む暇もないらしいわよ? 新しく絹も取り扱うようになった所に、あの有翼人―― 今は天使、だったかしら? がインファネースに訪れるようになって、それを見に余所から人が来るという連鎖で、ここまで人が増えちゃったんだもの。忙しくない店なんてここぐらいよ。あら? 失礼」
「あはは…… えっと、ごゆっくりどうぞ」
痛いところを突かれて苦笑いを浮かべるキッカが、デイジーに紅茶を出してそそくさとその場を後にした。デイジーも失言だったと思ったのか、誤魔化すように出された紅茶をひと口飲んだ。
ちくしょう、別に好き好んで暇してる訳じゃないんだよ。
デイジーの店では酔い治しの薬が珍しくて良く売れているらしい。リタの所では俺が卸した絹を使用した服やドレスが好評で、ガンテの鍛冶屋にはドワーフのドルムがいる事で客足が止まる事はない。その他に宿屋や酒場も客の出入りが激しく、皆忙しくしていた。
う~ん、南商店街が賑かになるのは喜ばしいんだけど、どうも釈然としない。