ヒュリピアの休日 前編
朝、海水浸かる部屋で目覚めた私は、何時ものように調理場へと向かう。
「あら、おはよう、ヒュリピア。今日は早いのね? 」
「うん、今日は朝から人間の街に行こうと思って」
調理場に集まる姉さん達に挨拶を交わしながら料理をする。これが今の人魚達の朝の仕事。火がなくても調理が出来る魔動コンロとオーブンがある広い調理場、これを作ってくれたのが一人の人間だった。
その人間の名はライル。彼と初めて出会ったのはなんの変哲もない海の上。私が昼食にしようと魚を追っていた時、いきなり目の前に網が現れ、強引に引き揚げられちゃったの。
その時の私はもう怒りに怒った。だってお腹空いてたし、魚逃げられちゃうしで機嫌は最悪だったから。しかも聞けば漁師じゃないって言うのよ。そんな素人に私が捕まったなんて、人魚として情けなくてまた腹が立ってきた。
ライルの第一印象は変な人間、それだけ。両腕がないのに網を操るし、片目だけなのに私以上に目が良い。
人間と関わるなと女王様から言われてたけど、この場合はしょうがないよね? でもエルフを連れているし、悪い人間じゃないかも? そう思った私は、逃げられた魚の代わりを要求したけど、出てきたのは貧相な魚だった。ま、素人ならこの程度ね。
だけどその後に出てきた物に私は吃驚する。それは温かくて、中に魚の身が入っている茶色い液体―― 味噌汁という料理だった。
まだ湯気が出てる容器を恐る恐る両手で持つと掌にじんわりと伝わる熱に感動し、ひと口飲んだら体の中から温まる感覚が癖になる。初めての味だけど、不味くはない。むしろ美味しい。
私達人魚は火を好んで使わない。火を起こすのも、薪を集めるのも大変だし、どう調理すれば良いのか誰も分からないから食事は生ばかり。流石に冬は厳しいからお湯を沸かして飲んで温まっているけど、沸かすだけでも一苦労なの。
そんな現状を振り返り、ついライルに愚痴を溢したんだけど、帰ってきた言葉は信じられないものだった。
火を使わなくても料理ができる魔道具があるって言うの! それが魔動コンロ、私達人魚の食生活に革命を起こした道具よ。
でも海水だらけの私達の住み処にそれを置くのは錆びない金属が必要らしい。だから私は女王様にそれはもう必死になって頼みまくった。近衛隊長のリヒャルゴは怪しんでいたけど、エルフを連れた人間と聞いた女王様は興味を持ったみたいで、話を聞いてくれると仰ってくれた。
そして約束通りライルとエルフの女性―― エレミアを私達の住み処へと案内したわ。
女王様と何を話したのかは分からないけど、許しを貰ったライルは想像以上の調理場を作ってくれて、エレミアには料理を沢山教えて貰った。
そのどれもが初めてで、美味しくて、温かい。皆が料理の虜になり、今では様々な食材でどう調理するかと夢中になっている。
これでもう冬の寒さに凍える事もない。そう考えるだけで自然と笑みが浮かんでくる。料理は楽しい。たまに失敗もするけど、それすらも可笑しくて皆で笑う。
その後、ライルとは魚や魔物の素材を渡す代わりに、色んな調味料や料理を教わった。昆布とかいうあの何処にでもある海藻を煮ただけで、ただのお湯が美味しくなるなんて、まるで魔法みたい。出汁っていうんだって。これを教わった私達は色んな物で出汁を取り、合わせたりして今も研究している。
一人の人間が私達の生活を一変させた。なぜ人間との関わりを断ったのか、少し分かった気がする。人間による影響はこれ程のものかと身をもって体験したからだ。今回は良い方向にいったけど、悪い方向にだっていくこともある。人間との付き合いは細心の注意を払わないと、すぐに此方が食いものにされてしまうと女王様が仰っていた。
あの時の私はまだライルしか人間を知らないから、その危険性を理解しておらず、より人間への興味が強くなっいくばかり。
まぁ、そのせいでまた人間に捕まっちゃったけど、ライルのお陰で助かったし、言うほど人間も酷くはなかった。
そしてそれを切っ掛けに私達はライルの住む街にだけと交流する事になり、海の物以外の食材、初めての調味料、新しい料理が増えて、これ迄以上に楽しく充実した毎日を送っている。
皆での朝食を済ませた後、私はライルから貰ったマジックバックを肩から下げ、海に飛び込んだ。
目指すはインファネース、ライル達が住む街だ。あの街も不思議で、私達人魚の他にもドワーフ、エルフ、妖精が一緒に暮らしている。しかも彼等を連れてきたのはライルだって言うのよ? ほんとに何者なのかしらね。
半分程進んだ所で、岩場に上がって休憩をする。
ジジジとマジックバックのファスナーを開けて、中から水筒を取り出し、軽く振ってからクルクルと回して外した蓋の中に、水筒の中身である今朝作った味噌汁を入れて飲む。具には豆腐とワカメ、魚の粗で取った出汁が良い味を出していて、海で冷えた体を内側から優しく温めてくれる。やっぱり料理は良いものだ。
十分に休憩を取ってから、私はインファネースに向けて泳ぎ出した。




