断罪の刃
クラエスは多くの民を守る為にヴァンパイアとなり、少数の民と冒険者、教会の者達を犠牲にした。
そうしなければ国を存続出来なかったと言うが、私はそうは思わない―― 思いたくない。
「国を想う気持ちは私も同じです。だが! いくら国を、民を救う為だったとしても、王がアンデッドに屈してはならない! そんな国にいて幸せになどなれるものか!! 私は人間の王として、民達を導いてみせる! 」
そう、それこそがまだ人間だった貴方との交わした約束であり、私の指針だ。
「そうか…… ならばこれ以上の問答は無用。己が信念の為、この儂を超えて行け! ユリウス!! 」
クラエスが王座から腰を上げると、奥から青白い肌をした者達が現れる。あれは、騎士団長のバンガスとイリヒクト公爵か? 彼らもまたヴァンパイアとなってしまったのだな。
「お久しぶりです、ユリウス殿下。まさか殿下に刃を向ける日がこようとは思いませんでしたよ」
「殿下、ヴァンパイアというのはなってみれば意外と快適ですぞ? 今一度、考え直して見てはどうです? 」
バンガスが愛用の剣を抜き、イリヒクト公爵は私を引き入れようと誘ってくる。
「あの者達は僕達に任せて、殿下はリリィと共に王を…… リリィ、殿下を頼んだよ」
「…… 了解」
クレスはリリィを残し、イリヒクト公爵の前に立ち剣を構え、レイシアもまた、バンガス団長と対峙する。
「やあ、クレス君。この国で随分と暴れてくれたね? 何時かお礼がしたいと思っていたから、丁度よかったよ」
「僕は冒険者として、害ある魔物から人々を守るだけさ。そして今目の前にいる魔物も例外ではない! 」
「魔物に成り下がるとは、恥を知れ!! 私は貴様を騎士とは認めぬぞ! 」
「フッ、若いな…… 俺は騎士として王に変わらぬ忠誠を誓ったのだ。主がヴァンパイアになろうとも、それについていくのが騎士の忠義というものだ」
クレスとイリヒクト公爵、レイシアとバンガス団長が激突していく中、私とリリィはクラエスを前にして攻めあぐねていた。
ヴァンパイアとなったクラエスの力は如何なる程か?
「どうした? ユリウス。今更臆したか? 来ないなら此方から行くぞ! 」
羽織っていたマントを投げ捨てると、腰には剣ではなく、パンパンに膨らんだ大きな水袋を下げていた。そして、おもむろにその水袋に触ると、中から大量の血液が噴出し、クラエスの身の丈もあろうかという両刃の大剣となる。
「フフ、こうして剣を持ち戦うのは何時振りだろうか? 心が踊る」
血の大剣を持ったクラエスは愉しげ笑ったかと思うと、床を蹴り瞬時に私との距離を詰めてくる。
早い!? 振り下ろされるクラエスの大剣を咄嗟に剣で受けるが、あまりの衝撃で方膝をついてしまう。
なんて重い一撃だ…… 腕がじんじんと痺れる。これはまともに受けてはいけない。先に私の剣が駄目になってしまう。
クラエスは続けて大剣を横に払うが、方膝をつき、まだ腕の痺れが取れない私は、対応に遅れてしまう。避けるのは無理だ、ここはもう一度剣で防ぐしかない。頼む、まだ壊れないでくれよ。
またあの重い衝撃を覚悟していたが、それは来なかった。何故なら私の後ろから一条の光が横を通りすぎ、クラエスに直撃した後、大きく後ろへと吹き飛ばしたからだ。
「…… 殿下、大丈夫? 」
「あぁ、助かった。礼を言うぞ、リリィ」
どうやらリリィが放った魔術のようだ。私は光魔法で体に光を纏わせ、起き上がってくるクラエスに近付き剣を振るう。
「グゥ!? やはり光魔法は堪えるな」
左肩から斜め下へ深く剣で斬った筈だが、ヴァンパイアとなったクラエスには致命傷にもなっていない。その証拠にもう傷が塞がりかけている。
だが私には光魔法があり、後ろには魔術界の異端児とまで呼ばれたリリィがいる。国民の未来の為に、ここで負ける訳にはいかない!
リリィが放つ無数の火球がクラエスの意識を削ぎ、私の剣と光魔法で攻撃を加える。即興とはいえ、中々の連携だ。
しかしクラエス相手にそんな戦い方も長くは続かない。次第に動きを読まれ始め、反撃に出る程の余裕も見せてくる。
「剣速が落ちてきているぞ、ユリウス。もうバテてしまったか? この儂を倒せなくては、アンデッドキングにはとうてい及ばない。そんな事でどうやって国を守ると言うのだ? 」
「ご心配なく、私は一人で国を守るつもりはありませんので」
「フッ、そんなのはただの言い訳だ。弱い王に誰がついていく? 」
「少なくとも、人間をやめた貴方よりかはましだと思いますが? 」
ぬかせ! とクラエスは血の大剣を突き出してきたのを、私は体を横にずらして避ける。だが、クラエスの手にしている大剣の剣身が細く長い縄のような形状に変化して、私の体に幾重にも絡み付いてきた。
そして私を高く持ち上げては床に叩きつけ、また持ち上げては叩きつけられる。
顔、胸、頭、背中と、叩きつけられる度に鋭い衝撃が私を襲い、痛みと衝撃で息をするのも儘ならない。視界が赤く染まる、額か頭でも切ったのだろうか? 生暖かいものがドクドクと流れ出る感覚がある。
「どうした? この程度なのか…… お前の覚悟はこんなものか! 」
意識が朦朧とする中、突然襲う浮遊感。何だ? 何が起きた?
「この私を放って殿下を助けるとは、いやはや、随分と余裕があるね。些か気分を害しましたぞ」
この声はイリヒクト公爵? では、私を助けてくれたのは……
「殿下! 気をしっかり! 貴方はここで終わってはいけない。国を豊かにして、国民達が幸せになれるような国を目指すのでしょう? 」
クレス…… そうだ、私はこんな所で躓く訳にはいかない。ここまでついてきてくれた者達が立ち上がれと腕を取る。止まるなと背中を押してくれる。
「もう、平気だ、クレス。イリヒクト公爵との戦いを邪魔して悪かった。私は大丈夫だ」
私は心の何処かで、まだあの頃の父の心が残っているのではと思っていた。あれほど尊敬していた父が、こんな事になってしまったのを認めたくなかったのだ。
父に刃を向けるのを、無意識の内に躊躇していたのかも知れない。
「そんなボロボロな体で何が出来る? 弱くなったな、ユリウスよ。それではミーティアも浮かばれん」
ミーティア、それは母上の名前。
「は、母上は今、何処に? 」
「母が恋しいか? だが残念ながらもう何処にもいない。お前を城から逃がした翌日、自ら命を断った」
命を、断った? ヴァンパイアになる事を拒み続け投獄された私を、何時も気にかけてくれたのは母上だけだった。
ある日、いつもと様子が違う母上がどこからか持ってきた鍵を使い、私を牢から出してくれた時にこう言っていた。
―― 良いですか、ユリウス。貴方はこの国にとって唯一の希望なのです。生きなさい、そして何時の日かサンドレアを、アンデッドから取り戻すのです――
それが母上の最期の言葉になろうとは……
「あいつも、大人しくヴァンパイアになっていれば良かったものを。恐らく、お前の障害にならぬよう自害したのだろう。母子揃って往生際が悪い」
そう言葉を漏らすクラエスの表情には何も窺えないが、声だけは心なしか寂しそうに聞こえたのは気のせいだろうか?
母上…… 出来ることなら、母上にも私が治める国を見て欲しかった。
「母の死を聞いて、戦う意欲が失せたか? 所詮お前の覚悟とはその程度か。ミーティアは無駄死にだな」
「うるさい…… 民の期待を、母の想いを裏切った貴方に、そんな事を言う資格はない! 何が民の為だ、国を存続する為だ、貴方は逃げたんだ! アンデッドキングに勝てないからと、ただ逃げただけじゃないか!! 私は違う、私は決してお前のようにはならない! 必ずお前を倒し、王として国をあるべき形へと戻してみせる!! 」
もう迷わない。父はヴァンパイアになったときに死んだ。今そこにいるのは、魔物に身を落とした哀れな罪人。私の剣で、その罪を断じてくれよう!
私は残っている魔力を全て剣へと集中させる。剣身が眩く光り、ヴァンパイア達が不快に目を細めた。
しかし不思議な事に、私には眩しいと感じない。これ程強く輝いているのに関わらず、全く目に負担とならないのだ。クレス達も目を見開いて私を見ているので、ヴァンパイアだけが眩しく感じているようだ。
「むぅ…… 不快な光だが、お前の未熟な剣など全て防いでくれるわ! 」
クラエスの剣技は私よりも優れているのに加え、ヴァンパイアとなった事で体力、筋力共に全盛期を超えている。そんな相手に正面から挑んでも当たりはしないだろう。そう、私だけだったらな。
突如、クラエスの足下と左右の空間に魔術陣が浮かび上がり、中から見るからに頑丈そうな太い金属製の鎖がクラエス目掛けて伸びていく。
「なっ!? 何だこの鎖は! くっ、中々の強度だが、こんなもので儂を押さえることは出来んぞ! 」
「…… 土魔術で強度だけを高めた。完全に動きを止められなくても、ほんの少しだけでいい」
流石はリリィ、そのほんの少しが勝敗を分ける。私は尚も光輝く剣と共にクラエスへと走る。鎖を破り大剣を振りかぶるがもう遅い、既に私の範囲内だ。
そして港町でコンラッド伯爵を倒した時と同じ、魔核がある心臓部分に剣を突き刺す。
あの時のように剣先から固い何かが砕ける感触が手に伝わり、もうクラエスは助からないと確信した。
だがそれがいけなかった。まだ倒しきってはいないのに、私は魔核を破壊した事で安心して気が緩むという失態を演じてしまったのだ。
気づくと、クラエスの血走った眼が私に向けられ、腕が迫りくる。まさか相討ちを狙っているのか!? ヴァンパイアの力なら私の頭を拳で砕くのは容易い筈。
あぁ、マリアンヌ。必ず生きて帰ると約束したのに…… 愚かな私を許してくれ。そしてクレス、後は頼んだ。ライル君と共にアンデッドキングを打ち倒してくれ。
目を瞑り、来るであろう痛みに備えていたが、私を襲ったのは激しい痛みではなく、ひんやりとした感触だった。
目を開けて確認してもまだ信じられない。クラエスが私の頬に軽く手を添えていたのだ。僅かな力を振り絞ってすることがこれなのか?
「馬鹿者が、自分の安全が確認できるまで気を抜くなと教えた筈だぞ。全く、お前と言うやつは、最後まで面倒をかけさせる…… ユリウス、この国を、頼んだ、ぞ」
灰となり崩れるクラエスに、私は叫んだ。何をと言われても覚えていない。ただとにかく感情のままに叫んだ。ぼやける視界にクレスとレイシアが駆け寄ってくるのが見えたが、今はそれどころではなかった。視界の歪みはより一層激しくなり、流れ出る涙は暫く止まりそうもない。
最後の最後にあんな手を使ってくるなんて、狡いですよ、父上……
―― ワハハハ! ユリウスよ、これは卑怯ではない。最後に気を抜いたお前が悪いのだ。いいか? 勝ちを確信した時こそ、大きな隙ができるもの。決して忘れてはならぬぞ――
幼き頃、稽古をつけれくれた在りし日の父上を思い出す。あの時の父上は、してやったりと無邪気に笑っていたな。
今度は絶対に忘れません。だから…… 安心してお休みください。




