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牛獣人ヴァンパイアが岩のような血の塊に覆われた両腕で地面を穿つ度、戦場に地鳴りに似た音が鳴り響く。
「避けるのは得意のようだな。だが、そんななまくらで俺を斬れるかな? 」
血でコーティングされた両腕が再びギルに向かって迫り来る。それを大剣で弾くが、信じられない事が起こった。
折れたのだ…… ミスリルで作られた大剣がそれはもうポッキリと。
マジか! 混ざり気のないミスリルだぞ? あの岩のような両腕、どんだけ堅いんだ?
牛獣人ヴァンパイアは畳み掛けるようにパンチを繰り出す。折れた大剣を捨てて、体を捻らせ躱すギルだったが、一発だけ避けきれずにガードした腕の上から食らってしまう。
倒れこそしなかったが、数メートルは飛ばされながらも踏ん張った跡がくっきりと地面に残された。
「フム…… これは少々面倒になったな。さて、どうするか」
攻撃を受けた手が痺れるのか、軽く振ってギルは思案する。周囲には冒険者達の目があるので、龍形態は出来るだけ控えて貰いたいところである。ミスリルよりも丈夫な素材で新しく武器を作るか? でもミスリル以上となると限られてくる。アダマンタイトは手持ちには無い。
いや待てよ? 確か、封印の遺跡でムウナの体と戦った時に回収したギルの素材がまだあった筈だ。
魔力収納内を調べたら予想通り、ボロボロだがギルの鱗と爪が残っていた。しかし、この量では普通サイズの剣しか作れない。ギルには大剣が望ましいのだけど…… 今回はそれで我慢して貰うしかないか。
『ライル、たりないのなら、ムウナ、つくる、よ? 』
どうしようかと悩んでいると、ムウナがそんな提案をしてくる。あぁ、そう言えば昔にムウナはギルと争い、その肉を食べて遺伝子を取り込んだのだったな。食べた生物の器官や肉体を造り出せるムウナの特性を利用すれば、厄災龍と恐れられたギルの鱗や爪、牙といった素材が容易く手に入る。
『ムウナ、頼めるか? ギルの爪を一つ造ってほしいんだ』
『わかった、すぐ、つくる』
良し、これでミスリルよりもずっと頑丈で切れ味もいい大剣が作成出来るぞ。問題は完成するまでに時間が掛かるって事だ。それまで何とかギルには牛獣人ヴァンパイアを抑えつつ持ちこたえてほしい。
『ギル、俺が今から新しい武器を作るから、そのヴァンパイアを他の所へ行かせないようにしてほしいんだ』
『ほぅ、新しい武器か。良かろう、請け負った』
幾らギルでも人化形態のまま、しかも素手でヴァンパイアの相手は厳しいだろう。早く、それでいて慎重にギルの鱗と爪を魔力支配のスキルで加工していく。刃や剣身等の構造はスキルを通じて世界の記憶から引き出す。
アルクス先生が昔に教えてくれた。この世界は生まれてから今日迄の全てを記憶していると。スキルはその記憶から特定の知識を引き出す鍵である。
俺の場合は、魔力支配で解析した術式、遺伝情報、物質の構造等、スキルに関わる事柄を世界の記憶から取り出す事が可能である。これが、スキルとは知識への鍵であるというアルクス先生の教えだ。魔力支配で調べたものを全部覚えてなんてられないからね。俺はそこまで記憶力が良い方ではないから、必要な時、こうしてすぐに思い出せるのは便利で有り難い。
「武器も無しに俺を倒せるものか! もう諦めて潔く死ぬか、抗って無様に死ぬか、好きな方を選べ! 」
「フッ、貴様こそ、我の手で殺される栄誉を与えてやろう」
牛獣人ヴァンパイアの猛撃が止まらない。あんなの一回でもまともに当たったら、普通の人間は体がバラバラになってしまうだろう。しかしギルは、その卓越した動体視力と運動能力によって、素手でいなしている。
だんだんと苛立ちを募らせる牛獣人ヴァンパイアの様子が手に取るかのように分かる。ああいう様子はもう何度も見てきたからね。
それでも何時かは限界が訪れる。人化しているギルは謂わば力を抑えている状態だ。力も去ることながら体力もだいぶ下がっている。それまでに新しい武器をギルに作って渡さないと。
「どうした? さっきから動きが鈍くなっているぞ? もう疲れたか? 」
肩で息をして、額から汗が流れるギル。方や牛獣人ヴァンパイアはまだまだ余裕の表情だ。
時折、ギルは素手で反撃を試みるが、牛獣人ヴァンパイアには効いていないようだった。
くそっ、さくっと作ってやりたいが、奴のあの両腕に対抗するには、ここで手を抜く訳にはいかない。もう少しだけ待っててくれ。
焦る気持ちを胸の奥底に追いやり、集中する。ギルの鱗と爪が粘土細工みたいにグニャグニャに混ざり合い、一つの形に変わっていく。
もう少しだ、あとちょっとで完成する。そんな時、ギルの顔面に牛獣人ヴァンパイアの血の岩を纏った腕でモロに殴られてしまった。
顔を強打され、倒れたギルはそのまま起き上がれずにいた。
『ギル! 大丈夫か!? 』
魔力念話で話し掛けるが応答は無し。もしかして気絶でもしているのか?
止めを刺さんと、牛獣人ヴァンパイアがギルに近寄っていく。ここは一旦作業は中断して助けに入ろう動き始めると、光を纏った者が牛獣人ヴァンパイアの脇腹へと突進してきた。
光速の体当たりを食らい、吹っ飛ぶヴァンパイア。あの光魔法はクレスか? そう思ったが、光が収まり姿を表したのはユリウス殿下であった。
そうだった、ユリウス殿下も光魔法のスキルを持ってるんだったな。と言うか、総指揮官が率先して前に出るなんて…… 助かったけど、またマリアンヌさんに泣かれてしまうな。
「来い! 獣人のヴァンパイアよ!! 」
「グゥ、今のは光魔法か。くそっ、流石にそれは効く。お前はクレスとか言う冒険者か? それともユリウス王太子か? まぁどちせよ殺すのには代わりないがな」
ユリウス殿下と牛獣人ヴァンパイアの戦闘が始まる。だがユリウス殿下とあのヴァンパイアでは圧倒的な体格差がある。そんな条件下で良くユリウス殿下は善戦しているが、勝てる図が見えない。
「光魔法さえ注意していれば、貴様なんぞ雑魚同然だ」
ヴァンパイアの血で出来た岩の拳を紙一重のところで躱すし距離を取るが、血液操作で長く鋭利になった角をユリウス殿下に向ける。その瞬発力の高い突進に、ユリウス殿下は避けきれずに横腹に掠り傷を負ってしまう。しかし、牛獣人ヴァンパイアの攻撃は終わらない。地面を蹴り、瞬時に方向転換を行いユリウス殿下に迫って行く。
あれは不味い、続け様にあんな攻撃をされてしまっては、ユリウス殿下では避けられない。他の冒険者と同じように串刺しになってしまう。
防壁の術式を刻んだ宝石で守りたいが、武器の作成に集中している為、間に合わない。幸い、ユリウス殿下とも魔力で繋がっているので、即死さえ免れたのなら俺のスキルで治せるが、それも運次第だ。
迫り来る角にユリウス殿下は覚悟を決めたのか、真っ直ぐとヴァンパイアを凝視する瞳には、諦めも絶望も宿ってはいなかった。赤く染まった鋭い角がユリウス殿下を貫かんとしている所に、黒い影が二人の間に割り込んできた。
「やれやれ、力を制限して戦うのは骨が折れる」
「なっ!? 貴様…… 俺の突進を止めただと? 」
驚愕する牛獣人ヴァンパイア。それもその筈、マッチョなヴァンパイアの突進を、見るからに筋力で劣っているギルに止められたのだから。
しかし良く観察すると、ヴァンパイアの額から生えている角を掴んでいるギルの腕は人間のものではなく、赤黒い鱗がびっしりと付いている龍のそれに変化していた。
そしてギルは角を掴んだままヴァンパイアの巨体を持ち上げ、投げ飛ばす。これには投げ飛ばされた本人と側で見ていたユリウス殿下も驚きで目を見開く。
「俺の突進を正面から止めただけでなく、投げ飛ばすとはな…… その力と、奇妙な腕。貴様、人間ではないな? 」
「左様、あんな脆弱な生物と一緒にされては不愉快だ」
いや、人化してるんだから仕方ないんじゃない? おっと、ツッコミを入れてる場合ではない。それよりもやっとギルの大剣が完成した。
全長はミルスリルの大剣と同じ、ギルの身の丈程ある片刃。柄と剣身には鱗を、刃には爪を、全部に厄災龍ギルディエンテの素材をふんだんに使用した。龍形態のギルと同じように、黒を基調とした、血管のような赤い線の模様が剣全体に広がり、見ただけで呪われてしまいそうな禍々しい大剣に仕上がっている。
『ギル、新しい武器だ! 受け取ってくれ! 』
魔力の繋りを通して、魔力収納からギルの目の前で大剣を取り出す。それを手に取ったギルは、確かめるように軽く振りニヤリと笑った。
『うむ、我の鱗と爪で出来てるからか、この手に馴染むぞ』
お気に召したようで良かったよ。あ~あ、楽しそうに笑っちゃって…… でもこれならミルスリの大剣みたいに打ち負ける事はないだろう。本気が出せなくて溜まっている鬱憤を思いっきり晴らしてくれ。
「な、なんだその不気味な剣は…… それに一体何処から? 」
向こうもかなり焦ってるようだ。まぁあんな呪われてそうな大剣が突然現れたんだから無理もない。俺だったら絶対に逃げてるね。
先に仕掛けたのはギルだった。片刃の大剣を担いでいるとは思えない速さでヴァンパイアとの距離を詰め、大剣を降り下ろす。
牛獣人ヴァンパイアは防ごうと血の岩で覆われた腕を上げる。あれほど苦戦していたとは思えないくらい簡単に刃が通り、ヴァンパイアの腕を斬り落とした。
「そんな馬鹿な。お、俺の腕を…… 」
余程自分の能力に自信があったのか、斬られた腕を見て唖然とするヴァンパイア。それが奴にとって最大の失態だった。ギルが腕一本落としたぐらいでは満足しない。振り下ろした大剣を斬り上げ、反対の腕を落としてはしゃがみ回転でヴァンパイアの横をすり抜けると同時に両足を斬り払う。
腕と足を失ったヴァンパイアはどうすることも出来ずに、顔を地面に強打する。たがそこはヴァンパイア、足と腕の切り口から血が伸びて切断された手足に繋げたのだ。
成る程、ああやって斬られた部位を繋げるのか。でもそれをギルが許す筈がない。牛獣人ヴァンパイアの角をむんずと片手で掴み、空高く投げては地面につく前に残っている体を乱切りにした。体がバラバラに斬り裂かれ、あわれヴァンパイアは首だけとなってしまう。
周囲に散らばったヴァンパイアの残骸は、二度とくっつかないよう、ユリウス殿下が光魔法で灰にした。これでもう再生は出来ない。
肺も声帯もない首だけとなった牛獣人ヴァンパイアは、まだ意識があるのか、怨めしそうにギルを睨む。ぱくぱくと開いては閉じる口からは怨嗟の声が聞こえてくる気がした。
「何を言ってるのか分からん。まぁ、興味もないがな」
そんな生首だけのヴァンパイアに、微塵も興味が無くなったギルの無慈悲な剣先が顔に突き刺さる。そこで魔力が尽きたみたいで、生首はサラサラと灰になり風に吹かれて消え去った。




