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ここで商売を始めて二日が経過した。前線から送られる負傷兵の数は日に日に増えていくばかり。よく醤油煎餅を買いに来ていたあの志願兵も、今は前線で戦っているのだろう。
治療の甲斐もなく、戦場復帰が困難と見なされた者はオーギュスト砦へ引き返し、替わりに新たな志願兵がこの前進基地にやって来る。
人の入れ替りが激しい此処では固定客など出来はせず、馴染みの客と言えば、管理責任者のカッシアーノ卿と、常駐している兵士ぐらいだ。たまに珍しい味噌と醤油を買いに給仕の人も来る。
「う~む、この結界を張る魔道具は倉庫の守りに丁度良い。見張りを立てても何故か物資の数が報告書と異なる場合が多くて困っていたのだ。だが、夜だけでもこの魔道具で結界を張るようにしてから、そういう事がなくなって助かる」
余程嬉しいのか、簡易テーブル席で大福と緑茶を楽しむカッシアーノ卿。彼は餡子の素朴な甘さと餅の柔らかな感触を気に入ったようで、良く買いに来てくれる。ただ何分お忙しい身なので、持ち帰っても食べる暇もないと言っていた。
だから直ぐに食べれるようにと簡単にテーブルと椅子を作って置いたところ、それが功を奏したのか、前進基地で常駐している兵達の小休憩地のようになっていた。まぁ半分はエレミア目当てなんだけどね。中には力ずくで連れて行こうとする輩もいたが、敢えなく返り討ちにあい、今も神官達のお世話になっている。
自業自得とは言え、この忙しい時に貴重な人員を減らしてしまったのは事実。何か言われるかと覚悟していたが特に何も言われず、むしろエレミアの強さに素直に感心していた。
カッシアーノ卿曰く、力で何かを欲しようとするのなら、力で抵抗されても文句は言えないのだそうだ。
この場合、エレミアを力で得ようとした奴の実力不足だったという訳で、此方にはお咎めは無し。でも、もしエレミアを連れ去るだけの実力があれば、そのままエレミアは…… 国が変われば法律も常識も変わると言うが、その中でも帝国は別格だな。まるで世紀末にでも迷いこんだみたいだ。
「あの~…… まだやってますか? 」
暗くなってきたし、そろそろ店仕舞いでもしようかなと思っていた所に、弱々しく声を掛けられる。声のした方へ顔を向けると、そこには両目に大きな隈を浮かべ、如何にも寝不足ですと言っているようにフラフラと揺れている神官服を着た女性が佇んでいた。
若干頬が痩せ、生気が薄い。しかし、通常ならば余裕がある修道服の中から、二つの立派な丘が激しく自己主張をしている。おぉ、ナイスバディな神官様だね。年は二十過ぎくらいかな? これで健康的な顔なら文句なしの美女なのに、惜しいね。
「あの? どうかなさいましたか? 」
おっと、思わずジロジロと不躾だったかな?
「あぁ、すみません。神官様のお客は初めてでしたので、思わず…… 失礼致しました」
「いえ、此方こそこんな時間に申し訳ないです。あっ、申し遅れました。私は兵士達の治療の為、教会から派遣された神官のアグネーゼと申します。過分では御座いますが、この基地での神官達を束ねる役目を仰せつかっております」
「これはどうも、私はつい最近ここで商売を始めさせて頂いおります、商人のライルと言います。どうぞご贔屓に」
軽く頭を下げ、再び彼女へと頭を上げると、何やら驚いた表情を浮かべていた。はて? 一体どうしたというのだろうか? 後ろを振り向き確認しても、特に驚くようなものは何も無い。
「あ、あの…… もしや貴方様は、カルネラ司教様が仰っていたあのライル様ですか? 」
「はぁ…… ? カルネラ司教様とは懇意にさせて頂いておりますが…… もしかして、カルネラ司教様に例の魔物の事を報告した神官というのは、貴女なのですか? 」
「は、はい! そうです! あぁ、カルネラ司教様から伺っております。彼の神に選ばれし人間であらせられると…… 感激です! 話を聞いてからずっとお会いしたいと思っておりました」
おぅふ…… いきなりテンションが上がったな。先程までの疲れたきった顔は何処へやら、目もキラキラと輝き出した。
「あ、あの、此処では何ですので、馬車の中で話しませんか? 」
「あっ! 失礼致しました。つい興奮してしまって、恥ずかしい所をお見せしてしまいました。それではお言葉に甘えまして、お邪魔させて頂きます」
アグネーゼを馬車の中に案内すると、その広さにまた感激して興奮していた。その様子をエレミアは怪訝な顔で見詰めている。
「この中で寝泊まりしているのですね? テントより快適そうで羨ましいです」
「どうぞ、お掛けください。こんな物しかありませんが」
俺はアグネーゼに席を勧めて、魔力収納で取れた果物を食べやすいようにカットして出した。女性だし、煎餅や饅頭だと年寄りっぽいから、果物の方が良いよな?
「あっ、どうもお構いなく…… 」
「それでは早速お聞きしたいのですが、アグネーゼさんがカルネラ司教様に報告した魔物について詳しく教えてくれませんか? 」
「はい、喜んで―― と言いたいのですが、私も治療していた兵士達から聞いただけでして、そんなに詳しくは無いのです」
そう言ってアグネーゼが話してくれた内容は、砦で聞いた報告書と大して変わらなかった。
「その魔物が現れた時、魔物以外の者を見たとか聞いてはいませんか? 例えば、紫色の髪をした女性や青い短髪の男性とか」
「カーミラやそれに属する者達の事ですね? 私もその可能性を考え、情報を集めてはいるのですが、魔物以外の目撃情報は今の所ありませんでした。ここで得られる情報では限りがあります。もっと詳しく調べるには直接前線に行ってみないと…… お力になれなくて申し訳御座いません」
ガックリと肩を落とすアグネーゼに慌ててフォローする。
「いえいえ、それは仕方ない事ですよ。アグネーゼさんは治療の為に来たのであってオーガと戦う為ではありませんので、前線に行く必要はありませんよ。ところで、その魔物は今も戦場に現れているのですか? 」
「はい、負傷した兵達から聞いた話では、今でも時折現れるそうです。そしてある程度暴れた後、何処かへ去っていくと」
う~ん、一体カーミラは何がしたいんだ? 帝国に攻め込む訳でもないし、オーガにも被害が出ているみたいだし。これじゃあ闇雲に戦争を長引かせているだけだ。
もしかして…… それが狙い? 帝国とオーガの戦争を早く終わらせたくない理由でもあるのだろうか?