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「ありがとうございました。またお越し下さい」
今日、最後の客を見送って一息つく。母さんと暮らし始めて一ヶ月、店の経営と接客にも大分慣れてきた。
驚いた事に、母さんには経営の知識があり、お金の管理等をしてくれている。貸借対照表や損益計算書なんて久しぶりに見た気がするよ。本当なら仕事なんか忘れてのんびりと過ごして貰いたかったのだが、まだ息子の世話になりっぱなしになる歳ではないと積極的に店に出てもらっている。
俺はレジスタから今日一日の精算レシートを出して確認した。う~ん、やっぱり初日と比べるとかなり売上が落ちているな。まぁ、それも仕方ないか。マジックバッグの騒ぎはすっかり落ち着いたし、世界で初かもしれない空間魔術を使った魔道具なので、財布の紐が緩んだのだろう。
空間魔術を施した魔道具がマジックバッグだけというのは、何だか物寂しいので、新しい魔道具を制作した。それは “水袋” と “財布” である。
旅に必要な水を入れる袋にはシーサーペントの胃袋を加工して、空間拡張の術式を刻めば出来上る簡単な物だ。偶々シーサーペントの素材が余っていたので使ったけど、野生の動物や魔獣の胃袋でも問題はない。
拡張された水袋にはかなりの水を入れて持ち歩く事が出来るので、行商人や冒険者達には好評である。しかし、重力魔術は刻める余裕がなく、あまり入れすぎると重くなってしまうので注意が必要だ。
財布も一般的に多く出回っている小袋型で、魔獣の革を使用して空間を拡張しているだけの単純な物になっていて、マジックバッグのように底に手が届かない程ではないので、空間内を把握したり、手元に引き寄せたりするような術式は刻んではいない。
この二つの魔道具は素材も手に入りやすく、術式も空間拡張だけなので、お手軽な値段となっている。後、新しく作った魔道具と言えば、このレジスタかな。初めの内は何がどれだけ売れたのかを伝票のように紙に書いていたんだけど、段々面倒になってきて、つい勢いで作ってしまった。この世界にはレジスタのような魔道具はあるけど、計算機とお金を入れる所だけで肝心のレシート機能が無かったのだ。
当然、俺の知識だけではレジスタなんか作れる筈もない。なのでシャロットに協力を仰いだのだが、マジックバッグや俺が新しく作った空間拡張を施した水袋と財布の量産で忙しく、其れ処ではなかった。
それならばと、シャロットの許可を貰ってギルの “知識支配” のスキルを利用して、機械工学の知識を読み取らせてもらい、知識を得たギルとアルクス先生の協力のもと無事にレジスタは完成した。外見は他の店によくある計算の魔道具とそっくりなので目立つ事はない。
その他の品もエルフの里から集めたワイン、ブランデーと胡椒、味噌に醤油、それらを店に出している。ちゃんと商工ギルドに必要な分は卸した後でね。
人魚達との取引は今も続けていて、此方は調味料やマジックバッグを、向こうからは海産物と魔物の素材や魔核を、最近ではウイスキーやブランデーといったアルコールの強い酒も要求してくるようになった。何でも、体の中からカーッと一気に熱くなるのが良いらしい。
俺の方も、人魚達に干物や乾燥昆布を作って欲しいと頼んでいる。魔力支配の力でも作れるのだが、自然に作った物と比べると味気ない感じがするんだよな。原因は今も分からない、俺の気のせいかもしれないけど。
そんなこんなで、忙しい一ヶ月だったよ。俺はそんな事を振り返りながら二階へと上り、ダイニングキッチンで料理をしているエレミアと母さんに精算レシートを見せた。
「うん、元手を考えれば十分ね。だけど、マジックバッグは仕方ないとして、蜂蜜の売り上げが少ないわね。やっぱり高過ぎるのがいけないわ」
精算レシートを見た母さんは眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。
「だけど、その値段でギルドに卸しているから下げられないんだよ」
値段が高過ぎるのは分かってはいるんだけど、ギルドに卸している金額よりも安く売ったらギルドの方も、それじゃ此方も安くしても平気ですね―― なんて言われかねない。いや、あのギルドマスターなら絶対にそう言ってくるに違いない。
「ならいっそのこと、蜂蜜を売るの止めれば良いんじゃない? 」
話を聞いていたエレミアが突然そんな提案をしてきた。
「ん? それは蜂蜜は諦めて、別の物を売るということ?」
「ううん、そうじゃなくて。蜂蜜だけでは売れにくいのなら、蜂蜜を使った何かを売れば良いんじゃないかな…… 例えば蜂蜜入りクッキーとか。ほら、クラリスさんが作るクッキーは美味しいから売れると思うのよね」
成る程、それなら蜂蜜は少量しか使わない分安く出来るし、クッキーなら量も多く作れるので、甘味に飢えている女性冒険者の皆様に売れるかもしれないな。
手頃な値段で甘味が味わえるうえに、クッキーだから保存もきくので旅先で保存食代りにもなるかも。うちは菓子屋じゃないけど、旅に便利な雑貨屋としてのコンセプトからは、ずれてないと思うので大丈夫だろう。それに母さんの蜂蜜クッキーは本当に美味しいからね。
俺とエレミアの強い推しで、母さんが作る蜂蜜クッキーを売り出すことが決定した。やったぜ! と喜んでいる俺達を見て、母さんは小さく笑っていた。
「どうしたの、母さん? 何だか嬉しそうだね」
「ええ、凄く嬉しいわよ。息子と一緒に暮らせるだけでなく、こうしてお店まで持てたもの。幸せ過ぎて怖い位だわ」
一緒に暮らすようになってから、あんなに痩せこけていた母さんは、顔色も肉付きも良くなり、すっかり健康体そのものだ。でも元気になったのは嬉しいのだけど、隙を見付けては俺に食事の世話をしようとしたり、着替えを手伝おうとしたり、挙げ句の果てにはお風呂まで…… もう子供じゃないし、一人でも大丈夫だからと言ってるんだけど、困ったような顔をするだけで返事は無し。
ちゃんと分かってるよね? はぁ、何だか館にいるときよりも過保護になった気がするよ。