03
目が醒めるとヒカリは、歩道に横たわっていた。
都会の夜の街。排気ガスと、人々の喧騒。
無機質なビルが建ち並ぶ、
やけに雰囲気が重く沈んだ街だった。
両手をついて上半身を起こす。
通行人は仮面の様な表情をしていた。
仮面…というか顔がない。
あるべき場所には、影がこべりついている。
のっぺらぼう。
黒いのっぺらぼう。
一体ここは何処なんだろう。
「あ、あの、すいません」
声を掛けてみるが反応はない。
聞こえなかったのかもしれない。
ヒカリはそう思ってもう一度声を掛ける。
「あ、あの!」
黒いのっぺらぼうたちが一斉にヒカリを見た。
体は向けず、首だけを回して。
深淵が彼女を覗き込んでいた。
黒い影に飲まれそうになる。
何だか心を、胸の内を見透かされている気がして…
気付かぬうちにヒカリは、
繰り返し謝罪言葉を口にしていた。
ヒカリはもうのっぺらぼうには話しかけない事にした。
別に聞く必要なんて無いんだ。
自分で調べればいい。
カバンから携帯電話を取り出し、
位置情報サービスを利用しようと試みた。
だが、電源がつかない。
うんともすんとも言わない。
何度試しても、明かりが灯らない。
不思議そうに携帯電話を眺めていると、
手が温かくなってきた。
「熱いっ!!」
手の中の携帯電話がまるで火にかけた様に熱くなった。
地面に落ちた携帯電話はアイスクリームの様に溶けて、液状になって地面に広がった。
「何なのよもう!」
訳が分からなかった。
あの藍染という女が言った様に、
私は絵の世界に来てしまったのだろうか…
しかし、彼女には意識があって、感覚もあった。
ここは何処かの街はずだ。
絵の中のはずがない。
道路を挟んだ向かい側に、ガラス張りのビルがあった。
目を凝らしてよく見てみると、ガラスに
さっきまで居た黒い部屋が写し出されていた。
奇怪な絵画と、それと……
藍染が此方を見てにっこりと微笑んでいた。
あの女……許さない!
私をこんな所に閉じ込めて。
純白の乙女心を汚しやがって。
まだ誰にもこんなに触られた事ないのに!
ここまで怒りに震えたのは初めてかもしれない。
頭に血が上り、顔が火照る。
立ち上がって、大股でビルへと向かう。
小さな拳をぎゅっと握りしめて。
横断歩道を渡っていると、赤い自動車が
凄いスピードでこちらに向かって来た。
明らかにスピード違反だ。
逃げるように、走って横断歩道を渡り終える。
危なかった。
まったく何処見てんのよ。
にしても、本当に変な所だ。
気をとりなおしてビルの方へ向かっていこうとすると…
背中に大きな衝撃を受けた。
ドンっという鈍い音が鳴り響く。
バスドラムの様な重低音。
骨という骨を伝って、全身へと音が広がる。
何が起こったかさっぱり分からなかった。
私の体は宙を舞っていた……
え、何で?どうして?
ヒカリの目に移る光景はスローで再生されていた。
状況を理解できない彼女の脳だけが、高速で働く。
そして彼女はあることを思い出した。
交通事故に遭った人が、皆、口々に
そう言っていたのを思い出した。
事故の瞬間、スロー映像みたいになるーーー
風に吹かれた木の葉の様に舞ったヒカリは、
ゆっくりとゆっくりと地面へと落下していった。
地面に叩きつけられても、
衝撃だけで不思議と痛みはなかった。
いや、あったのだろうけれど、全身が正座をした後みたく
体に感覚がなく痺れていた。
だが、徐々に痺れは取れていき、
入れ替わる様に激しい痛みが湧き上がってくる。
「痛い…痛い、痛い!」
余りの痛みに声を上げてしまう。
首を傾け、自分の体を眺めた。
あぁ、これは見るからに痛そうだ。
ぐにゃってなってるよ……
腕や脚が、変な方向にひしゃげている。
子供が乱暴に扱った人形みたいだ、
とヒカリは思った。
余りの激痛と現実離れした光景に、
笑いすら込み上げてくる。
「はは…なにこれ?」
視界が歪み、やがて瞼が重くなっていく。
寝たら、寝たらダメだ。
死んじゃう…死んじゃうよ…
闇に沈んでいく中で、
彼女は絵のプレートを思い出していた。
プレートにはこう書かれていた。
『横死』
そしてヒカリは絶命した。
目が醒めるとヒカリは、歩道に横たわっていた。
都会の夜の街。排気ガスと、人々の喧騒。
無機質なビルが建ち並ぶ、
やけに雰囲気が重く沈んだ街だった。
でも、見た事がある景色だとヒカリは思った。
両手をついて上半身を起こす。
通行人は仮面の様な表情をしていた。
仮面…というか顔がない。
あるべき場所には、影がこべりついている。
のっぺらぼう。
黒いのっぺらぼう。
黒い…のっぺらぼう?
一体ここは何処なんだろう。
「あ、あの、すいません」
声を掛けてみるが反応はない。
聞こえなかったのかもしれない。
ヒカリはそう思ってもう一度声を掛ける。
「あ、あの!」
黒いのっぺらぼうたちが一斉にヒカリを見た。
体は向けず、首だけを回して。
深淵が彼女を覗き込んでいた。
黒い影に飲まれそうになる。
何だか心を、胸の内を見透かされている気がして…
ヒカリは違和感を覚えた。
恐怖よりも先に何かわだかまりがある。
喉元まで出かかっているが…
分からない。
ヒカリはもうのっぺらぼうには話しかけない事にした。
別に聞く必要なんて無いんだ。
自分で調べればいい。
カバンから携帯電話を取り出し、
位置情報サービスを利用しようと試みた。
だが、電源がつかない。
うんともすんとも言わない。
何度試しても、明かりが灯らない。
不思議そうに携帯電話を眺めていると、
すぐに手放した方がいい気がして来た。
地面に携帯を置くと、熱したフライパンに
置いたバター様に溶けて広がった。
何なの?さっきから。
まるで予知能力でも手に入れたみたい。
訳が分からなかった。
あの藍染という女が言った様に、
私は絵の世界に来てしまったのだろうか…
でも、私には意識がある。
感覚もある。
しかも、ここは何処かの街だ。
絵の中のはずはない。
道路を挟んだ向かい側に、ガラス張りのビルがあった。
目を凝らしてよく見てみると、ガラスに
さっきまで居た黒い部屋が写し出されていた。
奇怪な絵画と、それと……
藍染が此方を見てにっこりと微笑んでいた。
あの女……許さない!
私をこんな所に閉じ込めて。
純白の乙女心を汚しやがって。
まだ誰にもこんなに触られた事ないのに!
ここまで怒りに震えたのは初めてかもしれない。
頭に血が上り、顔が火照る。
立ち上がって、大股でビルへと向かう。
小さな拳をぎゅっと握りしめて。
横断歩道に足を一歩踏み出した。
しかし、ヒカリは横断歩道の途中で立ち止まる。
既視感を覚えた。
何でだ。前にも、こんな事があったような…
ヒカリが思案に耽っていると、
視界の端に、赤い物体が見えた。
危ない!
そう思った時には既に宙を舞っていた。
さっきと同じ、スロー映像で……
さっき?さっきって?いつのこと。
痛みがじりじりと湧き上がってくる中で、
ヒカリは記憶を取り戻した。
私はさっき、こういう風に死んだんだと。
同じ様に、この街に動揺して、
あの女の顔を見て頭にきて、
赤い自動車に轢かれて、
宙に舞って、落ちて、苦しんで。
死んだ……
消え行く意識の中で、必死に体を動かす。
動くたびに痛みが増し、手足がもげそうだ。
「伝えない…と…わたし…に…」
ヒカリは手を伸ばした。
あの女の思い通りにはなりたくない。
このまま閉じ込められている何て嫌だ。
私は…私は…!
動いていた体は徐々に生命力を失くし、
ピタリと動きを止めた。
そしてヒカリは絶命した。
目が醒めるとヒカリは、歩道に横たわっていた。
都会の夜の街。排気ガスと、人々の喧騒。
無機質なビルが建ち並ぶ、
やけに雰囲気が重く沈んだ街だった。
でも、見た事がある景色だとヒカリは思った。
両手をついて上半身を起こす。
通行人は仮面の様な表情をしていた。
仮面…というか顔がない。
あるべき場所には、影がこべりついている。
のっぺらぼう。
黒いのっぺらぼう。
黒い…のっぺらぼう?
手をついて体を起こそうとした時、
ぬるぬるした液体が手に触れた。
「何だろう、これ」
手には赤黒い液体が付着している。
鉄臭い…血?
手を置いた辺りの地面を注視すると、
赤黒い血がべったりと付着していた。
「きゃあ」
短い悲鳴をあげてしまった。
慌てて口を押さえる。
だが、周りののっぺらぼうは気にしていなかった。
血は不思議な流れ方をしていた。
棒の様に伸びた血が複数あった。
四本の血の棒が平行に並び、
その上からばってんが描かれていた。
「あっ……」
ヒカリは思い出した。
自分に起こった悲劇を。
横断歩道を渡ろうとして死んだんだ。
しかも、2回も。
それに気づいて私は立ち上がって、
道路から遠ざかる。
「車が入ってこれない所に行けば…」
ビルとビルの間の隙間へと入っていく。
室外機が幾つも並んでいて、
鼻をつく生ゴミの様な臭いがした。
でも、これだけ狭ければ入ってこれない。
振り返り、車が飛び込んで来ない事を確かめる。
車は入ってこない。
ほっと胸を撫で下ろし、隙間に視線を戻す。
ギョっとした。目を見張った。
髭、髪をだらしなく伸ばし、
ボロ布を体に巻いただけの見るからに
不潔そうな老人が包丁を持ってヒカリを睨んでいた。
「あんさんも…わしのを奪うのか!?
わしの人生も居場所も何もかも、奪うんじゃろ!!」
言っている意味が分からなかった。
「な、何を言っているの?」
「奪うんじゃろうが!許さん、絶対に許さんぞ!」
老人の手が震え、街灯の光を反射させた
包丁がヒカリを嘲笑うかの様に光る。
「違うよ、私は何もしないよ!」
脚が震えている。
怖くて怖くて、震えが止まらない。
あの、老人の握った鋭利に光る包丁が、
歯の根が合わない程、怖いのだ。
「わしは、わしを護るんだああああ!」
老人は包丁を突き出し、真っ直ぐ走ってくる。
ヒカリ目掛けて、真っ直ぐに。
逃げる暇もなかった、ヒカリは脇腹を刺された。
生理よりも何百倍も痛む、鋭い痛みがした。
傷口から、真っ赤な血が溢れ出す。
止めどなく、源泉の様に。
「いやああああああああ!!」
頭がおかしくなりそうだった。
何度も、痛みを味わって、死んで。
「もう死にたくない!死にたくない!死にたくない!」
涎を垂らしながら必死に叫ぶ。
「助けて!お父さん!お母さん!カイト!ユキ!!」
お願い…誰か助けて。
温かい涙が頬をつたう。
老人がまた私に近づき、胸を刺した。
にたにた笑いながら、真っ黒な歯茎を見せながら。
1回、2回、3回…何度も、何度も、振り下ろす。
皮を裂き、肉を裂き、骨を砕く。
痛みは、途中から無くなった。
というかもう、痛いのか、痒いのか、
暑いのか、寒いのか、分からなかった。
そしてヒカリは、また絶命した。
目が醒めるとヒカリは、歩道に横たわっていた。
都会の夜の街。排気ガスと、人々の喧騒。
無機質なビルが建ち並ぶ、
やけに雰囲気が重く沈んだ街だった。
でも、見た事がある景色だとヒカリは思った。
両手をついて上半身を起こそうとした時、
地面の赤いマークが目に入った。
四本の棒にばってんが描かれている。
そして彼女は横断歩道を渡ろうとして
死んだことを思い出した。
車を逃れるためにビルの隙間に入ろうとして、
足を止めた。
ビルの壁にばってんが描かれていた。
そして老人に刺されたことを思い出した。
刺された時の事を鮮明に思い出し、
彼女はその場で嘔吐した。
「ここも、ダメだったのね…」
口の端を手の甲で拭った。
ビルの隙間から逃げるように離れて、
建物の中に入っていく。
玄関はロックされておらず、
エントランスは不気味なくらい森閑としていた。
照明が灯っておらず、人の気配がまるでない。
注意深くあたりを見渡し、
人がいない事を入念に確認する。
革張りのソファーの裏。
ガラステーブルの下。
受付台の中。
どうやら、一階は無人のようだった。
念には念を入れて、
一階一階調べていく。
二階からは会社のオフィスが続いていた。
デスクがあり、コピー機があり、
膨大な量の資料があった。
六階に上がった時、揺れを感じた。
嫌な予感がした。
横揺れはどんどん大きくなっていき、
もはや立っていられない状態になる。
がたがたと大きな音を立ててビルが揺れる。
地震だ。
上からは瓦礫が雨の様に降り注ぎ、
足元には罅が入り、今にも真っ二つになりそうだ。
その時。「ドーン」という大きな音がして
視界が大きく傾いた。
ビルが倒れる。
何か掴まなきゃ、と慌てて手を伸ばすと
デスクの足に触れた。
縋るような思いで、それを両手でがっしりと掴み、
身を小さくする。
だが、「ガァー」と引きずるような音がして
ヒカリはデスクとともに、ビルの外へ投げ出された。
無数の瓦礫とともに落ちていく中で彼女は察した。
恐らく、ここでは私は死ぬ運命なんだと。
藍染に死の刹那を魅せる為に、
私は何度も死ななければならないと。
どうやっても逃げられない。
彼女は自ら目を閉じた。
そして彼女は…絶望した。
また、彼女は目を覚ます。
辺り一面、赤黒い印の付いた世界で。




