そして、かつての恋人
6
一年が経った。私はよりたくさんの人を殺し続けた。戦争は泥沼化していた。終わりは見えなかった。
ただ、一つだけ幸いなことがあるとしたら、核爆弾などの大量虐殺兵器が使われないことくらいだろう。けれど、ここがすでに十分地獄であることに変わりはなかった。
地獄で私は、たくさんの友人を殺した。親を殺した。悲しみは、感じなくなっていく。
ただ、一つだけ気がかりなのは、私は、私の恋人をまだ殺していないことだ。私が今、殺されずに生き続けているのは、そのせいかもしれないと、ふと思う。
まあ、あの泰輔のことだ。今も生きているとは、到底考えられない。そんなことを、私は最近になってよく考えるようになった。
それは、私の悪い予感のようなものなのだと、その時になって知る。
今日の戦場は市街地だった。私が一年と少し前に、買い物に来ていた街だ。ここに来ていたが為に、私はすべてのものに別れを告げなくてはいけなくなった。
そんなことを考えて、それに何の意味もないことを思い出す。
周りを警戒しながら進む。どうしようもなく、私は私がよく通っていたデパートの中にある店に行きたくなってしまった。
建物の中は死角が多く、危険であることは十分わかっている。けれど、久しぶりに自分の胸の内から溢れた衝動を私は抑えることが出来なかった。
建物の中を駆け抜ける。細心の注意と、最高の行動力で、目指す場所へと近づいていく。電気の通っていない建物の中は、とても暗い。色のほとんどわからない世界で、私は私の色も見えなくなりそうな錯覚に陥る。
半時間以上集中力を欠かずに、動き続けて、ようやく目的の場所に辿り着いた。
私の好きだったブランドの店だ。飾られている服たちは、昔のまま放置されていた。奇跡的にほとんど荒らされていなかった。私は、警戒を解かず、ある程度周りを探ってみる。
どうやら、誰もいないようだ。
私は、それを確認すると、疲れた体を休めるために、カウンターの奥にあった椅子に腰かける。
小さく息を吐き、私は少しだけ目をつぶる。すると、鮮やかな色が浮かびあがった。この店の本来の彩りを思い出した。
私がいつも、服を選ぶのに悩んでいると、声をかけてくれた長い髪が綺麗なお姉さんを思い出した。
ああ、あの人も私が殺したんだっけ。急に、思い出すのが空しくなった。
変わってしまったもの、終わってしまったものに心を割いても仕方がない。
私は、今の私でいなければいけないのだ。
それでも、私の中から、彩りのよいこの店の服たちが溢れる。
私は考えることを、思い出すことを止められない。何故だろう。もうとうの昔に、こんなことは思い出さなくてもいいと思っていたのに。
ここの新作の服が出るたびに、通った。自分の好みであってもなくても、とりあえずは試着してしまうほど好きだった。
一度だけ、泰輔を連れてきた時もあった。彼は、恥ずかしそうにそわそわしていた。それを見て、そんな顔も好きだと思った自分がいた。
試着室に入ってしまった後、私がいない店の中で、所在なげに自分の場所を探そうとおろおろしている彼を盗み見ていた。その時は、あのお姉さんが喋り相手に来てくれてどうにか、店から逃げ出さずに済んだみたいだった。
ああ、ダメ。
私、昔の自分に戻ってしまう。
いや、昔の自分に戻りたかったの?
わからない。
けど、これ以上思い出すのは危ないと、私の心が訴える。
でも、同時にもっと思い出せとも訴える。
私は、どの私を信じたらいいのかわからない。
本当に、どうしようもなくなって、頭を抱えそうになったその時、建物内を歩く足音がした。私は、途端に戦場の私になる。耳を澄ませる。ゆっくりと近づいている。
かなり近くだ。私は、こんなに音が大きくなるまで、気づけなかった。
失態だ。けれど、まあ、構わない。どうせ、殺しにきていたのだから。自分から来てくれた獲物を、私は殺すだけ。
一歩一歩、慎重に歩いているのがわかる。あっちも、場慣れしていることが読み取れる。
私の中の血が熱くなる。最近の私は、この命のやりとりに、スリルを感じてきていた。もうすぐだ。あと三歩。それで、敵の体はここに躍り出る。その瞬間に私は、敵を撃ち抜くだけ。
後、一歩。掌に滲んだ汗を拭う。銃を構える。
今だ。
けれど、私は引き金を引くことが出来ず、ポツリと言葉を零した。
「たいすけ?」
素早く動く敵。俊敏な動きで、私の近くまで肉薄する。その極端な動きに、私はついていけない。いや、ついていけないのではない。敵が、恋人だと私はわかってしまっただけ。
そして、この想い出の深い場所で、私は、戦場の私になりきれなかっただけ。
肉薄した敵は、私の腕から銃を弾く。そのまま、私を押し倒し、床に押さえつける。
「智恵、なのか」
呟く声。懐かしい響きだった。けれど、違っていた。言葉を噛みしめるように、発するあのとろさはなくなっていた。
深く低く、唸るような、男の声をしていた。
「うん」
彼に押さえつけられたまま、私は頷く。
「やっと見つけた」
私は、彼の顔をじっと見る。
ああ、彼は強くなった。逞しくなった。小さな切り傷がたくさんあった。視線を下に下げて行く。肩幅が広くなっている気がした。胸板は厚くなっていた。腕は太くごつごつとしていた。身体全部が、戦えるものになっていた。
「ずっと、探していた」
そうだ、私は勘違いしていた。彼は、弱い人間ではなかったのだ。弱い部分はたくさんあったけれど、夢を追う姿だけは、誰よりも強い力を携えていた。私は、何よりその部分に惹かれていたはずだった。
それなのに、昔の私は、その部分を忘れて、彼の分まで自分のためになんて思ってしまった。
彼は強い。自分の夢のために、この現実を必死で生きている。こんなにも真っ直ぐに自分を信じて生きている。私なんかよりもよっぽど、しっかりと自分のために生きていた。
私はこの一年以上をどうやって生きて来たのか。どれだけ弱かったのか。
「私も探していた」
「うん」
彼は頷く。けど私は、間違えたんだよ。だから、間違えたまま貫かなくてはいけない。そうしないと、殺してきた人たちが困ってしまう。
「あなたを、殺すために」
私は、身体をバネのように弾けさせて、彼を吹き飛ばす。不意打ちだったのか、彼は軽く飛ばされる。今度は逆に、私が、彼を抑えた。
彼は、抵抗しなかった。私は、彼の首に手をかける。彼の顔は暗くてよく見えない。見たくない。
「ぼくは、智恵と会いたいから探していた」
言わないで。私の瞳が熱くなる。手に力が入らない。
「ぼくは、自分のために生きた。智恵と会いたいから生きた。その二つのために、ぼくの前を阻む人を殺した。とても辛かった。ねえ、智恵はどうなんだい?」
優しく問いかける彼。その優しさが辛い。
この人は、今、自分が殺されようとしているのがわかっているのだろうか。いや、この人は、ちゃんとわかっている。わかっていて、こんなに優しいことを言うのだ。私を咎めるでもなく、怒るでもなく、優しく優しく諭すように言葉を口にするんだ。心が裂かれそうだ。
私は初めて、優しさが一番鋭利な刃物なのだと知った。
瞳の熱さが限界を超す。涙が頬を濡らしていく。
「わたしは、生きるために、いっぱい殺した。私を助けようとした稔くんが、目の前で殺された。だから、彼みたいになりたくなかったから、誰かを助けるなんか考えちゃいけないって思った。だから、助けるんじゃなくて、私がみんなを殺してあげようって思った」
「うん、それで?」
「私が、みんなを殺してあげることで、みんなが救われると思った」
彼の顔を見る。微笑んでいた。私は彼の首にかけていた手を外す。
「相手が、もし私を助けようとして死んでしまうなら。もし私を殺して一生悔やんでしまうなら」
微笑む彼の顔が気に障る。彼の唇に自分の唇を重ねる。彼の顔を歪めたくて、貪るように吸いつく。彼の顔が歪む。満足感が私を支配する。私は彼が欲しい。
「私が、相手を殺してしまえばいいでしょ? そうすれば、相手は私を殺したことで、悔やまなくて済む。悩まなくて済むでしょ?」
そう言いながら、私は彼の唇から首筋へと舌を這わせる。ぴくりと動く彼の手が可愛い。
「そう考えて、みんなを殺した?」
彼がまた、微笑みを携えて私に問う。私は、ムキになる。首に這わせた舌で、彼の耳を食らう。舌で歯で痛いくらいに齧りつく。
彼の耳から鉄の味がする。彼の口から、声が漏れる。
「殺したよ。いっぱい殺した。愛ちゃんもよーこも、お父さんもお母さんもみんな」
「そうか、辛かったね」
本当に腹が立つ。私は、彼の乳首を服ごしに摘みあげる。あられもない声をあげる彼。微笑みはいらない。
「みんないっぱい、私の事を怨んで逝った。けどね、辛くなんかないんだよ。私のことを恨んで魂だけになってしまっても、恨んだ分私の傍に居てくれるんだから」
「うん、やっぱり辛かったんだね」
涙が止まらない。くそっ、こんなにも彼を犯しているのに、本当に侵されてるのは私の方だ。
「いいの。それでもいい。居てくれるんだから」
「ほんとうに?」
「それで良い」
「絶対に?」
「それがイイ」
もう一度、彼の唇を襲う。今度は、全部を貪る。唇も口内も、全てを私のものにする。彼の好きにはさせない。私は私の好きにさせて欲しいんだ。
「もう、楽になりなよ」
そう言って、今までずっとされるがままだった彼は、身体を起こして私をきつく抱きしめた。
決壊する。
今までずっと留めてきたものが、溢れだす。
私は声をあげて泣く。
子どものように泣き喚く。
もう止まらない。
もう止まれない。
私は彼が好きだ。
「たいすけ、たいすけ、たいすけ、たいすけ……」
何度も、何度も彼の名を呼ぶ。意味のない行為。けど、そこにはやっぱり意味があるのかもしれない。
「もう、大丈夫」
彼は、私の唇を求める。私はしがみつく。きつくしすぎて、彼の背中に傷を作る。温かい液体が私の手を侵す。
ああ、心の中が漂白される。うん、私は、ずっと泰輔のことを待ち望んでいた。こんなにも激しい衝動があった。
けどね。私は、やっぱり、今更自分を曲げられない。もう、遅すぎたんだよ。口付けが終わる。私は口を開く。
「大丈夫じゃないの。もう私は自分を変えられない。だから、私はあなたを殺したい」
彼を犯しながら、彼の手元に落ちている銃を私は密かに拾っていた。
その銃を彼のこめかみに押し付ける。
彼は、少し驚いて、私の顔を見て、また微笑みながら口を開く―――
おわり




