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噂の「ふふふ」裏部活動

天才の外村君と内罰と外罰と学習曲線(プラトー)

 1.


 その高校の運動部の中で、最も人気があるのは野球部だった。もちろん、それなりに実力があるからで、部員の数はかなり多い。新人部員だって、毎年、けっこうな数が入って来る。

 それだけの数がいると、実力者を見極める作業もそれなりに大変になって来る。一軍と二軍、誰をレギュラーにして、誰を補欠にするべきなのか。この辺りは、顧問の先生の腕の見せどころかもしれない。そして、新入部員達のピッチャーとキャッチャーの選抜は、この野球部では少し珍しい制度を執っているのだった。

 まず、入部後、二週間くらい経った辺りで、新入部員達にピッチャー候補とキャッチャー候補でペアを組ませる。つまりは、バッテリーだ。そしてその後は、そのバッテリーを一単位とし、ほぼ一蓮托生でベンチ入りを目標に切磋琢磨させる。

 ペアで評価される為、どちらか片方が駄目でも、ベンチ入りは難しくなる。逆に優秀な相手と組めれば、とても有利になる。つまり、誰と組めるかがとても重要になってくるのだ。それだけで全てが決まる訳ではないが、これに失敗すれば、少なくともピッチャー及びにキャッチャーとしては、大きくマイナスになる事は確実だ。

 野球は個人技ではなく、チームプレイ。その中でもピッチャーとキャッチャーの関係は特に重要になって来る。

 顧問の発言によれば、そんな制度を敷いているのは、だからなのだという。確かにある程度は、効果があるだろう。だがもちろん、この制度には実力のある者を埋もれさせてしまうというデメリットもあるのだ。しかも、場合によっては、本人にほとんど落ち度がないなんて事もある。

 後関正は、キャッチャー候補の一人だった。彼が組んだ相手は、一部から天才と呼ばれるほどの外村有というピッチャーで、その外村は小学校時代に軽く野球をやった程度の経験者であるにもかかわらず、ピッチャーとして早くからその才能を発揮した。高身長で、締まった筋肉。その長い腕から振り下ろされるようにして投げられるスピードボールは、慣れるまではレギュラー陣でさえ、打つのが難しかった。しかも外村は吸収力が高く、教えた球種も直ぐに身に付けてしまう。

 つまり、基本的な身体能力が高い上に、センスも光っていたのである。新入生の中では、突出した存在だったと言って良い。一部から、天才と評価されるのも無理はなかったのかもしれない。

 だから、当初、後関はそんな外村と組めて幸運だと思われていた。後関は基礎的な実力は安定していたが、これといって特に際立った点はなかったからだ。しかし、それから直ぐに後関は幸運だとは思われなくなっていった。原因は、外村のその性格である。

 そもそも、顧問が後関と外村をペアにしたのは、後関の控えめな性格に注目をしたからだった。普通、外村のような恵まれた資質を目の当たりにすれば嫉妬するものだが、後関にはそんな態度がほとんどなかったのだ。しかも、外村はかなりプライドの高い男で、単独選手としては優秀でも、チームプレイを行う上ではやや難があった。明らかに自分に非がある場合でも、チームの他のメンバーに対して、「守備が悪い」と非難したり、「なんでもっと点数を取らないんだ」と文句を言ったりするのである。誰かが、その外村の性格をカバーしなければならなかった。そして、後関は当にその役割を担っていた。外村と他のチームメンバーとの間に入り、双方を落ち着けていたのである。

 性格面から考えるのなら、後関以外に外村と組める相手はいなかったのかもしれない。しかし、それは後関にとってみれば、不運だった。野球部のメンバー達のほとんどは、どれだけ実力があっても、外村とは組みたくないと考えていた。外村なんかと組んだら、気苦労が絶えないと思われていたのである。

 やがて後関は、野球部のメンバー達から苦労人として同情されつつ、好印象を持たれるようになっていった。ただし、それだけでベンチ入りできるほど甘くはない。

 そして、後関のその不運は、外村が野球部に退部届を出した事で、決定的なものになった。もっとも、それは顧問に受理されず、外村は休部扱いという事になったのだが。ただし、それから一度も外村は部に出て来てはいないから、退部したも同然だった。ピッチャーに逃げられた所為で、後関のキャッチャーとしての道は閉ざされてしまった。野球部の他のメンバーは後関の境遇に同情したが、誰も後関を助けようとは思わなかった。後関の運動能力は、それほど高いとは言えなかったから、助けられるだけの材料がなかったのかもしれない。

 これは後で分かった話なのだが、外村がそんな風にやりかけていた何かを、途中で放り出してしまう事は、それまでにもよくあったらしい。

 サッカーでもテニスでも、小学校の頃に野球をやっていた時も、始めた当初は熱心にやり、その実力を周囲も認める訳だが、しばらくすると飽きてしまうのか、真面目にはやらなくなる。結果、他の人間と衝突したりして、辞めてしまうというのがいつものパターンなのだそうだ。

 今回は、後関が周囲を宥めていたから、まだ長く続いた方だったらしい。


 2.


 紅白戦だった。

 点数は2対1で、俺のチームが勝っている。七回裏の相手の攻撃。紅白戦だから少し短くて、七回までしかなく、これを守り切れば俺のチームの勝ちだった。

 しかし、状況は2死で1、3塁という軽いピンチ。長打が出れば、同点。または逆転サヨナラでうちの負けが決まる。相手バッターは6番で、俺から見れば格下だった。こいつには、まだ一度も長打を打たれた事はなかったはずだ。

 後少しだと、俺は渾身のストレートを投げた。内角を攻める。バットにボールが当たったが、タイミングがずれていた所為で、ファールになった。

 カウントは、2ボール2ストライク。これで二度目のファール。少し、粘られている。が、ただそれだけだ。こいつは、俺の球についてこれてはいない。しかし、そこでキャッチャーの後関は、一球外して様子を見るというサインを出して来た。俺はそれに首を振る。

 後関は性格は良いが、チキンだ。よくビビッて気弱なサインを出す。恐らく、仮に四球で歩かせても、満塁になるだけとか考えているのだろう。満塁ってのは、実は守り易いから確かに悪い策じゃない。

 が、俺は気に入らなかった。

 良い策だろうが何だろうが、俺のプライドが許さない。こんな格下くらい、力でねじ伏せられなくて、どうするんだ?

 拳に力を込める。

 また、後関は外すサインを出して来た。俺はそれに首を振る。

 ――嫌だ。

 こいつは、格下だ。

 しかし、それでも後関は同じサイン。俺はもう何も答えなかった。その代わり、投球モーションに入る。フルモーション。ランナーなんか気にしない。どうせ、こいつを三振にすれば終わりだ。

 俺はイメージする。バッターが空振り、チームメンバーは喜び、そして、後関は自分の間違ったリードを反省するのだ。

 「もっと、俺の力を信頼しろよ」

 と、俺は笑って言う。後関は少しだけ悔しそうにしながらも、それでも笑ってそれに「ああ、その通りだな」と、返すだろう。

 が、結果はそうはならなかった。

 後関のリードを無視して俺が投げたのは、一番好きなストレート。外角低めにボールは伸びていった。

 バッターがバッドを振るのが分かった。俺は悪い予感を覚える。タイミングが合っているような気がしたからだ。

 ――そして、金属音が鳴る。

 快心の打撃音。気持ちの良い音だった。俺はショックを受けた。その音は打たれたという事を、嫌という程に強調している。

 ボールは、レフトとセンターの間にライナーで飛んでいった。俺はそれを見つめながら“走れレフト! 俺なら、絶対に捕れるぞ!”と、そう念じるように思った。しかし、レフトは間に合わなかった。それどころか、後ろにボールをこぼして長打コースになる。センターがカバーに入っていたが、無駄だった。ランナーが二人帰り、相手チームに2点入る。それで俺のチームの負けは決まった。サヨナラ負けだ。

 「何をやっているんだよ! どうして、あれくらい捕れないんだ!」

 試合が終わった後、俺は敗因のレフトに文句を言った。最後のあれは、絶対に、捕れていたはずの打球だったんだ。だから、あれは間違いなくエラーだ。

 しかし、後関も含めての他のメンバー達は、そんな俺を曇った表情で見つめていた。

 「何とか言えよ」

 と、俺が言うと、レフトではなくファーストがこう言った。

 「外村。お前さ、後関のサインを無視しただろう?」

 俺はそれに返す。

 「したよ。後関のサインが気に入らなかったからな。それがどうした? それくらい、野球じゃよくある事だろう?」

 するとファーストはこう言った。

 「ああ、確かによくある。だけど、お前のあれは問題だ。首を横に振った後で、何も返さず、しかも怒った表情で投げようとした。

 あれじゃ、バッターにお前の球種は丸分かりだったと思うぞ。お前の性格も、お前が一番好きな球種も知られているからな。打ってくれ、と言っているようなもんだ」

 俺はそれを聞いて、文句を言おうとした。レフトのミスを棚に上げて、俺を責めていると思ったからだ。それに、俺の判断は間違っていない。しかし、そこでいつも通りに後関が止めに入った。

 「いや、すまない。あれは、オレのミスだった。外村の性格はよく分かっているから、一度、タイムで間を空けるべきだったんだ。そうすれば、頭が冷えていただろう」

 後関が俺を庇おうとしているのは分かっていた。しかし、その庇う為の理屈が、俺には気に食わなかった。これじゃ、俺の判断が間違いだったみたいじゃないか。

 それで俺は、今度は後関に文句を言おうとした。しかし、そこで奴はこう言うのだった。

 「外村、お前にとっては予想外だったかもしれないが、あいつだって成長しているんだよ。もう、あいつはお前の球を打てないような打者じゃない。

 だから、何も考えないで投げれば、打たれちまうんだ。これからは、もっと工夫していかないと」

 俺はその言葉に愕然となった。

 つまりそれは、俺が成長していないって事を意味していたからだ。断っておくが、俺はちゃんと努力している。毎日、練習だってやったし、知識だって身に付けたんだ。なのに、そういう努力が全て無駄で、あいつに追いつかれたって事か?

 俺の実力は伸びてない?

 俺は確か天才だったはずだ。皆、そう言っていたじゃないか。なのに、どうして努力しても実力が伸びないんだ?

 そう思った俺は、後関の言葉に何も返さなかった。そして次の日、俺は顧問に退部届を出したのだ。理由を訊かれたので、

 「野球は俺には向いていなかったみたいなので」

 と、そう答える。すると顧問は、とても驚いた顔をして、それから「もう少しよく考えろ」と言って来た。そして、顧問は退部ではなく、休部扱いにすると告げた。

 面倒くさかったので、それに納得した振りをしたが、内心では俺はもう退部した気になっていた。部に行かなければ、どうせ同じだ。


 3.


 「そいつは、恐らく天才なんかじゃないぞ。体格的に恵まれている点を除けば、学習曲線の上昇が、極端に前の方に偏っているってだけの話だろう」

 昼休み。

 スクール・カウンセラーの塚原先生が、生徒達との談笑の中でそう言った。そこにいた生徒は、メディア・ミックス部という変な部活動の部長、綿貫朱音と新聞部の小牧なみだの二人だ。共に女生徒である。

 このカウンセリング・ルームを、彼女達は用もないのによく訪ねる。特に綿貫は頻繁で、ほぼ毎日と言っても良い。一応、メディア・ミックス部の顧問は、この塚原先生という事になっているから、一応の筋は通っている気がしないでもないが、綿貫自身は筋なんてほとんど意識してはいなかった。

 因みに、塚原先生はこの現状を、もうほとんど諦めている。何を言っても、恐らく綿貫には効果がない。

 「学習曲線って何ですか?」

 小牧がそう尋ねる。塚原先生は、淡々とそれにこう返した。

 「文字通り、人が学習で成長する経過を曲線で表現したもんだよ。急激に実力が身に付く時期もあれば、伸び悩む時期もある。普通はS字型になると言われているが、個人差があって、最初に急激に実力が伸びる人間もいれば、しばらく経ってから実力が伸びる人間もいる。

 日本は早くから実力が伸びる者を高く評価しがちだが、これはあまりよくない傾向だと私は思うな。そこで奢りが生まれれば、問題を生むだろう」

 それを聞くと綿貫が言った。

 「ああ、“神童も大人になればただの人”ってやつですかね?」

 「まぁ、それとも関係はあるだろうな。

 実際、有名なスポーツ選手なんかでも、初めは他の人より下手だったって場合が少なくないらしいぞ。恐らく、そういう人は、学習曲線の延びが、後半に位置しているのだろう。

 もしかしたら、早くにプラトーを経験しているお蔭で、その後、実力が伸び悩んでも、それを乗り越える術を身に付けているのかもしれない」

 塚原先生が説明を終えると、小牧が質問をした。

 「“プラトー”って何ですか?」

 「プラトーってのは、実力停滞時期の事で、元来は、高原の意味だな。ほら、高原ってのは山の上にあるけど、平らだろう? そこから実力停滞の時期を、プラトーって言うようになったのだな」

 「プラトー…」

 そこでそう呟いたのは、綿貫だった。彼女は腕組みをしている。その様子に塚原先生は、悪い予感を覚えた。

 「綿貫。まさかお前は、何かまた良からぬ事を企んでいるのじゃないだろうな?」

 綿貫はそれに抗議するように言う。

 「良からぬ事ってのは、何ですか? わたしは、良からぬ事を企んだ経験なんて、一回もありませんからね」

 「どの口が言うんだ、どの口が…」

 その後で、小牧が綿貫を庇うように言う。

 「でも、塚原先生。このままいけば、誰にとっても不幸な結末になるのじゃないですか?

 野球部は外村君っていう逸材を失い、後関君はキャッチャーの夢を閉ざされ、そして女子マネージャーは悲しむ」

 実はこの話の出所は、女子マネージャーだった。今回、話を持って来たのはこの小牧なのだが、彼女は学校の噂話に精通していて、収集及びにその拡散が得意だ。それで、野球部の女子マネージャーが、努力家の後関が不幸になるのが許せないと憤っている話を、耳にしたらしい。

 「何を言っているんだ? レギュラーを狙っている他の野球部部員達が喜ぶじゃないか。ライバルが減る」

 塚原先生がそう応えるのを受けて、小牧は「先生」と一言諌めた。すると、塚原先生は口調を変えてこう続ける。

 「分かっているよ。冗談だ、冗談。

 まぁ、ある意味じゃ、その外村って男生徒も被害者みたいなもんだろうしな。早熟な所為で天才と呼ばれていい気になって、プライドが高くなったところに、プラトー… 実力の停滞期がやって来て、その停滞に耐え切れず、脱落する。

 それを理解し、諭し支えてやれる人間がいれば話は別だが、そういう相手を作れるような性格はしていないみたいだしな」

 それに綿貫が頷く。

 「その問題もありますよね。本人の性格。自分の所為だと認めたがらないというか…」

 塚原先生もそれに頷く。

 「ああ、外罰傾向が強いってのも、成長を阻害する要因になるな。内罰の悪い面ばかりを強調する人もいるが、私はそうは思わない。

 内罰は成長に役に立つよ。成長には多かれ少なかれ、自分を傷つけるって要因があるのだから」

 そこで小牧が言った。

 「また分からない言葉が出て来た。何ですか? 外罰と内罰って?」

 「それくらいニュアンスで分かれよ。漢字は表意文字だぞ、小牧。外罰的ってのは、何か問題が起こった時に、自分以外の何かの所為にする性格傾向で、内罰的ってのは反対に自分の所為だと思う性格傾向だ。

 外罰の方が変に思い悩まず、ストレスも溜まらなくて良いように思える。それに次に挑戦しようって気分を作るって効果もあるらしい。しかし、外罰に頼ってばかりだと感情のコントロール能力を育てられないし、他のメンバーと衝突し易いって問題もある。逆に内罰の場合は、深く思い悩んでしまうが、自分のミスを認める事で、他人と上手くやれるし、それが成長に繋がる場合もある。ただし、場合によっては深刻なうつ状態に陥ってしまう事もあるから、要注意だ」

 それを受けると小牧は言う。

 「まぁ、つまりは、バランスが重要って感じですかね?」

 「平たく言うと、そうだな」

 その二人の会話を聞き終えると、「内罰と外罰ねぇ」と綿貫は呟いた。

 「ところで、小牧。その外村君は、後関君に今は、どんな態度で接しているの? やっぱり、野球部を退部した事で、後ろめたいとかあるのかしら?」

 「ああ、その話も噂になっていたわよ。それが、ちょっと救いようがない話でさ。何でも外村君は、悪口を言っているらしいのよ、後関君の。逆恨みというか、何というか… 流石、外罰的な性格の持ち主よね」

 「ふーん… 悪口ねぇ」と、それに綿貫は返す。

 「で、内罰は、人の成長に役に立つのだったっけ、確か」

 そして、そう言った後で、綿貫は何かを思い付いたのか、こう続けた。

 「ねぇ、小牧。野球は個人技じゃないから、自分の失敗が他人に迷惑をかける。確かに、外罰的性格の彼には向いていないかもしれないけど、逆を言えば、その性格を治すのに野球は使えるって事でもあるのじゃないかしら?

 性格とまではいかなくても、少なくとも意識を変える事はできるかも」

 それを聞くと小牧は、「へ? まぁ、そうかもしれないけど、それがどうかしたの?」と、そう返した。

 その会話に、塚原先生は「はぁ」とため息を漏らして頭に手をやる。

 「綿貫よ。私が何を言ったってお前は止まらないのだろうが、過激な事だけは止めておけよ」

 それから、そう言った。それに対し、綿貫は悪戯っぽく笑うと、「みんなが、仕合せになれる事をやるだけですよ、わたしは」とそう返した。しかし塚原先生は、それを聞いてますます不安そうな表情を見せるのだった。


 4.


 後関は気に食わない。

 絶対にあいつは、俺の事を恨んでいる。そうに決まっている。それは別に構わない。確かに俺は、あいつに対して酷い事をやったかもしれないからだ。バッテリーを組んでいたあいつを、俺は裏切ったのだろうと思う。

 俺が野球部にいた頃、あいつが俺の為に、色々とやってくれていたのは分かっている。トレーニングもメニュー作りから手伝ってくれたし、他のメンバーから俺を何度も庇ってくれた。だから、裏切った俺を恨むのは当然だろう。

 しかし、それなら黙っていないで、俺をもっと責めれば良いんだ。どうしてあいつは、何も言って来ない?

 多分あいつは、陰険なんだ。

 何も言わないで、それで俺が苦しむのを、楽しんでいるんだろう。

 だから、俺はあいつが嫌いだ。だからいつも俺は、あいつの悪口を言っている。あいつの悪口を言うと、皆は信じられないって顔をするが、それはあいつの本性を分かっていないからだろう。

 あいつは隣のクラスだ。同じクラスじゃなくて良かったが、それでも休み時間なんかに顔を見る事はよくある。だから俺は、休み時間に教室の外に出るのをなるべく控えるようにしているんだ。

 どうして、俺がそこまでしなくちゃならない?

 そんな事を思いもする。

 馬鹿馬鹿しい。こんな事なら、野球部になんか入るのじゃなかった。

 気を付けていても廊下なんかで、後関に会うことはある。そんな時、あいつは俺の目を少しだけ見た後で、視線を逸らす。俺はあいつが何か言うのじゃないかと少し思うのだが、決まってあいつからは何もない。そのまま無言で、離れていく。

 やはり陰険だ。

 文句があるのなら、言えばいい。

 まぁ、もういい。どうせ、これから先、俺の人生で、あいつと関わることはないだろうから。互いに無視し続けて、一生、話しすらしないだろう。だから、これは、それだけの話だ。それだけの。

 気にするのは、馬鹿だ。無駄だ。意味がない。

 しかし、ある日、そんな事を思っていた俺にある奇妙な手紙が届けられたのだった。

 初め俺は、それをラブレターだと思った。古風にも下駄箱に入れてあって、薄いピンク色をしたいかにもな封筒に入っていたからだ。ところが内容は、イタズラとしか思えないようなものだった。

 『お前の相棒が、熱を出して、苦しんでいる』

 たったそれだけ。しかも、印刷されたものだった。恐らく、筆跡を隠す為に、パソコンか何かで作ったのだろう。

 ふざけている。

 意味が分からないし、そもそも相棒ってのは誰の事なんだ?

 ……後関か?

 相棒といったら、俺には後関しか思い当たらなかった。もっとも、正確には相棒じゃなくて、過去形で“相棒だった”だし、そもそも後関が苦しんでいたところで、俺には何の関係もないのだが。

 一応、隣のクラスを覗いてみると、後関は席にいなかった。どうやら、手紙の内容は正しいらしい。後関は風邪を引いて学校を休んでいるんだ。

 俺はそれで少し不気味に思った。

 恐らく、誰かのイタズラなのだろうが、それにしたって目的が分からない。あいつを裏切った俺への非難だろうか?

 そう考えるのが一番、妥当だ。

 もしそうだとしたら、暇な奴がいるものだ。これは、気にしたら負けという類の話なのかもしれない。俺は手紙を丸めてゴミ箱に捨てると、もう忘れる事にした。

 しかし。

 それから、似たような手紙が俺の元へ届けられるようになったのだ。そして、その内容は当たってもいるようだった。相棒がテストで悪い点を取るだとか、突き指しただとか、どれもくだらないものばかりだったが、後関の身にはその通りの事が実際に起こっていたのだ。

 俺は何とか、こんなふざけた事をやっている犯人を見つけたかったが、どんなにがんばっても突き止められなかった。例えば、早く登校して下駄箱を張っても現れず、俺が諦めて教室に行くと、机の中に手紙は入っていたりするのだ。そんな感じで、様々な手段で、しかも行動を読んでいるかのように、俺を避けて手紙は届けられるものだから、調べるのが難しかったのだ。

 手紙はその他にも、着替え用のロッカーの中に入っていた事もあったし、家の郵便受けに入っている事もあった。どうやったのか、いつの間にかカバンの中に入っていたなんて事も。

 知り合いの三城って奴から届けられた事もあって、俺はその時、手紙を渡して来たのがどんな奴だったのか三城に尋ねてみたのだが、その時三城は、顔がよく見えなくて分からなかったと、そんな変な事を言って来た。

 「なんだよ、それは?」

 俺がそう追及すると、

 「いや、印象に残らないっていうかさ、とにかく、よく分からなかったんだ。まぁ、オレが覚えられなかったのだから、女の子からでないのは確かだよ」

 三城はおどけた感じでそう答えて来た。こいつは、女好きで有名な軟派な野郎なんだ。あまり好きじゃない。

 「ああ、そうかよ」

 少しだけ、もしかしたら手紙を書いているのは後関本人かとも思っていたのだが、違うのかもしれない。

 それからも、後関のピンチを知らせる手紙は俺の元に届けられ続けた。意味が分からなかったが、そのうちに慣れてきた。ただ、不気味ってだけだ、こんなもん。実害はない。あいつのピンチを知ったって、俺にはどうにもできないし。

 そして、そんなある日、俺はこんな噂話を耳にしたのだった。

 『相棒を救えなかった神様が、その昔、この近くにいたらしい』

 俺は馬鹿馬鹿しいと思いながらも、それがどうしても気になってしまった。


 5.


 「今回のコンセプトは、何なのでしょうかね?」

 と、そう部室で質問をしたのは村上アキだった。綿貫朱音は面倒くさそうにこう答える。

 「青春、スポーツ友情ドラマで良いのじゃない? 不思議話を絡める感じの」

 それを聞いて小牧なみだが言う。

 「村上君、もう綿貫はコンセプトを決めるのに飽きているみたいだから、あまり真剣に聞いても意味がないわよ」

 すると綿貫は少し不満げにこう言った。

 「ちょっと小牧、感じ悪いわね。わたしはちゃんと真剣に考えているわよ。どう考えてもスポーツ友情ドラマじゃない、今回は。決まり切っているから、答えるのを面倒に思っただけ」

 「スポーツ友情ドラマねぇ……。

 手紙を届け続けるってのが、少し偏執的な気もするけどー。爽やかなスポーツってイメージじゃない」

 「まぁ、内容は淡白な訳だし、その点は無視してよ。

 で、この計画、今のところは、順調にいっているみたいね……」

 村上がそれに頷く。

 「ええ、小牧先輩が広めてくれた噂話を、ちゃんと外村有は知ったみたいですし。気にしているかどうかは分かりませんが…」

 彼女達はメディア・ミックス部という変わった部活動を行っている。普段は、何かを企画して、部活と部活を連携させて、活動の幅を広げていくというような事をやっているのだが、実は裏の活動として、生徒達の悩みを人知れず解決するという、妙な事もやっているのだ。

 もちろん、悪い事ではないのだが、本人達は楽しむ為にやっているらしいから、不謹慎だろう。良い事をしているとはいえ、悪戯の一種みたいなものだ。問題がないとは言えない。この部活の顧問は、スクール・カウンセラーの塚原先生なのだが、だから彼女もその扱いには困っているようだった。

 「でも外村は、誰がどうしてこんな事をやっているのかは不思議に思っている感じなのでしょう? 三城の言葉によれば、かなり不審に思っていたみたいじゃない。

 なら、あの噂話を聞いて、関連性を疑わないはずがないわ。手紙を書いている相手が誰なのか、その特定もまず不可能でしょうし」

 小牧はそれを聞くと「ケケケ」と笑ってから、こう続けた。

 「まさか、わたし達が協力し合って、後関君の事を調べ上げた上で、その内容を書いた手紙を、色々な方法で届けているとは思わないでしょうから、無理もないわ。

 わたしは野球部の女子マネージャーと知り合いだし、後関君の教室には、村上君の知合いがいる。複数人で協力し合えば、あの程度の話なら、簡単に集められるけど、個人の力では難しい。犯人が個人だと思い込んでいる彼には、まぁ、不思議でしょう。

 こういう犯罪ってのは、組織ぐるみだとほとんどばれないのよね。複数人いるから、あの手この手で色々できるし、嘘の情報での翻弄も可能。しかも目的が不明。普通は分からない。もっとも、組織ぐるみだって事に気付かれたら、そうでもないけど」

 それに「犯罪言うな、小牧」と、そう綿貫が言う。村上が口を開いた。

 「ま、正体不明の所為で、外村有があの手紙をかなり不思議に思っているのは事実だと思いますよ」

 綿貫は言う。

 「それなら、絶対、噂話の方も気にするって。人間だもの」

 それに「そうですかぁ?」と、そう言った後で村上はこう続けた。

 「そういえば、僕の作った“二人組の神様”の噂話のデキはどうです?」

 小牧がそれに答える。

 「それなりに良かったのじゃない? 話しとしても噂話としても、ちょっと不自然だけど」

 綿貫も言う。

 「まぁ、的は外していなかったと思うわよ。だから、オーケーを出したのだけど」

 小牧がまた言った。

 「まぁ、少々、駄目な話でも、わたしなら噂が広められるから、安心しなさい。効果的に活用してあげる」

 村上はこう返す。

 「なんだか、あまり褒められている気がしないですが…」

 「だから、褒めてないのよ」と、それに綿貫が。


 6.


 ――その神様達は二人組だった。名前は、アサドキとクレドキ。何をするのも何処へ行くのも常に一緒。協力して互いを支え合って暮らしていた。

 ところが、ある時、アサドキに街で用事ができてしまった。それでクレドキを一人残して、街に出かけたのだ。ところが、運悪くその間に、クレドキは病に倒れてしまう。そして、そのままクレドキは絶命してしまったのだった。もしかしたら、アサドキが看病をしていれば助かっていたのかもしれない。

 帰って来たアサドキは、クレドキが死んでいるのを見つけて、深く悲しみ後悔をした。

 そしてそれ以降、アサドキは自分の相棒が危機に陥っているのを知らない人間を見かけたなら、その危機を伝えるようになったのだという。


 ……その話を聞いた時、俺は馬鹿にしているのか?と思った。

 その神様が、後関のピンチを俺に伝えているとでも?

 噂話っていうか、小さな子供用のお伽噺じゃないか、これじゃ。どうして、高校でこんな噂が広まっているんだ?

 こんな話を真に受ける馬鹿はいない。

 それに、俺と後関はもう相棒じゃない。俺は野球部を辞めたんだ。

 しかし、それから俺は自分が休部状態である事を思い出した。完全に辞めている訳ではない。ならば、形の上では、まだ俺と後関は相棒同士なのかもしれない。

 ただ、そう思ってから俺は、

 「だから、どうして俺は、こんな噂話を真に受けているんだよ?」

 と、自分にツッコミを入れた。

 そもそもあの手紙は、印刷されていたのだ。神様がプリンターを使うのか?

 確かにあの例の手紙は不思議だ。何故か、後関のピンチを全て当てている。誰かのイタズラだとしたって、後関本人以外に、どうしてここまで分かるんだ?

 もっとも、後関本人の可能性は低そうだが。

 でも、後関本人じゃなければ、誰が…

 そこまでを考えて、俺はふと思った。

 もしかしたら、後関は俺の事を、まだ相棒だと思っているのだろうか? それで、そのピンチを俺に伝えている……

 ――いや、それはない。

 絶対に、あいつは俺に裏切られたと思っているはずだ。俺を恨んでいるに決まっている。

 だがそれから俺はこう思い直した。

 そういえば俺は、それをあいつに一度も確かめていない。本当に俺を恨んでいるかどうか。野球部を辞めて以来、ずっと互いに避け続けているからだ。

 昼休み。

 俺は野球部の女子マネージャーの許を訪ねた。二年の先輩で色々と話し易い人だったのを覚えている。この先輩になら、俺は野球部の事を尋ねられる。

 先輩はやって来た俺を見ると、機嫌の悪そうな顔をした。そして、「何か用? 天才、ピッチャーくん」と皮肉を言った。もっとも俺は傷つかなかった。野球部を大した理由もなく辞めた俺が嫌われているのは百も承知。その上で、俺はここに来たのだ。それにこれくらい赤裸々に文句を言ってくれた方が、却ってスッキリする。この人は後関とは違う。

 「いえ、ちょっと、今の野球部の様子を知りたくてですね」

 そう俺が言うと、少しだけ先輩は表情を変えた。

 「野球部の様子?」

 「俺が抜けた後で、どうなったのかって思いましてね。まぁ、守備の担当とか、色々と。ピッチャーが抜けた訳だし」

 それを聞くと先輩はいかにも馬鹿にした表情でこう言う。

 「君が気にしているのは、本当に野球部の様子なの?」

 それから俺の返事を待ったりはせず、こう続けた。

 「少し場所を変えましょうか…」

 そして、席を立つと教室を出て、先輩は一番上の階の渡り廊下へ向かった。特別教室との間を行き来する為のもので、昼休みの今はほとんど人がいない。そこに着くと、先輩は廊下の壁に背をよりかけて、腕組みをしてからこう言った。

 「後関君なら、ずっと努力しているわよ。懸命に。自分が努力すれば、まだ君が野球部に戻って来ると信じているみたい」

 どうやら先輩は、俺が後関の事を気にかけて訪ねたのだと分かっているらしい。俺はその言葉に驚く。

 「どういう事ですか?」

 本当に分からなかった。後関の立場なら、普通は俺を恨むだろう。その俺の反応に、先輩は大きくため息を漏らした。

 「君は本当に、後関君の事をよく知らないままバッテリーを組んでいたのね。一緒にいても彼の性格を理解しようとしなかった。

 彼、内罰的な性格をしているのよ。何か問題があったら、直ぐに自分が悪いと思い込むタイプなの。

 君にも思い当たる節があるのじゃない?」

 そう言われて、俺は思い出してみる。確かに何か揉め事が起こると、あいつは決まって自分が悪いと言っていたような気がする。あれは、本心だったのか。

 「自分が悪いと思う。つまり、他人の所為にしようとする君とは逆の性格だって事ね。確かにお互いを理解し合うのは難しいのかもしれない。

 けど、もしかしたら、だからこそ、互いの欠点を補い合える仲になれたのかもしれないとも思うけど」

 それから先輩は、俺の反応を窺うようにじっと見つめて来た。

 「後関君がどんな事を言っているのか、教えてあげましょうか?

 “オレはあいつを分かってやれていなかった。もしかしたら、そんなオレが、あいつを休部に追い込んでしまったのかもしれない。オレがもっとあいつに上手く接してやれば、あいつは自分の才能を伸ばす事ができたはずなんだ”

 つまり、あなたが休部しているのは、自分の所為かもしれないって自分を責めているの」

 それを聞いて俺は驚いて先輩の顔を見つめた。

 なんだって?

 あいつが俺を避けるような態度を執っていたのは、俺への嫌がらせじゃなくて、後ろめたかったからなのか?

 ……要するに、俺と同じ。

 「あいつは馬鹿か?」

 気付くと、俺はそう呟いていた。

 俺が野球部を辞めたのは、俺が悪いからに決まっているじゃないか。なんで、そんな事くらい分からない?

 「今も後関君は、天才の君が戻って来るのを待っているのよ。さっきも言ったけど、自分が努力すれば、あなたが戻って来てくれると思っている」

 俺はそう言われて、こう返した。

 「先輩、俺、本当は天才なんかじゃないんですよ」

 それに先輩は頷いた。

 「そうなんでしょうね。天才でもないのに、天才扱いされて、そのプレッシャーに耐え切れなくなったのでしょう?

 でも、それが分かっているのなら、やるべき事も分かるのじゃない?」

 やるべき事?

 俺にはそれが分からなかった。しかし、先輩はその答えを言ってくれない。代わりにこんな事を言った。

 「外村君。君は過去に、色々なスポーツを始めては、中途半端でそれを投げ出していたのだそうね。そして、二度とそれをやろうとはしなかった。

 だけど、そんな君が、唯一、再びやり始めたスポーツがあるわね。それが野球。それは一体、どうしてなのかしら? 単なる気まぐれ? それとも、他に何か理由があるの?」

 そしてそれだけを言うと、先輩は俺を一人残してその場を去ってしまったのだった。


 7.


 「霊的な存在に着目するのは、良いと思う。宗教が人間の行動を統制できるのは、霊的な存在を想定できる能力による、という仮説を立てている人がいるくらいだし。つまり、人の行動にそれは強い影響を与えるんだ。

 これが男性原理的な見方に偏っている考え方だ、という問題はあるにせよ、物事の一面を捉えてはいると思う」

 そう言ったのは吉田誠一という男生徒だった。因みに二年生だ。

 「つまり、神様や何かを持ち出せば、外罰的な性格を持った人間にも効果があるって言っているのね?」

 と、それに綿貫が言う。

 「効果のある可能性がある、だね。正確には」

 綿貫の発言を吉田はそう訂正。それに続けて、小牧が言った。

 「話の内容からして、あまり外罰は関係ない気もするけど?

 野球部の女子マネの話だと、外村君は罪悪感を感じていたっぽいじゃない」

 「そうでもないのじゃない?

 外罰的な性格だから、罪悪感を感じている事に気が付いていなかった。そしてその所為で、感じているストレスを後関君にぶつけていたって事かもしれない」

 そう指摘したのは、出雲真紀子。しかし、それに小牧はこう返す。

 「でも、それだと、あまり神様がどうたらって関係なくない?」

 「少なくとも、切っ掛けにはなっているじゃない? 神様が登場しなければ、外村君は自分が罪悪感を抱いている事には気付かなかったように思うし…」

 このまま議論が白熱しそうだったが、出雲がそう言い返している最中で、綿貫は机をバンッバンッと叩きながら、「はい、はい。どちらでも良いわよ、そんなの。上手くいっていれば」と、そう言ってその議論を遮った。

 「綿貫は直感勝負だからねー」

 と、それに小牧は言う。綿貫は無視して続けた。

 「とにかく、外村は女子マネージャーに会いに行ったと。見事にわたし達の予想通りになったみたいね。上々だわ。

 あの女子マネージャーに外村が来たら、何を語るべきなのか、よく教えておいた甲斐があった」

 「女子マネもよくやったわよね」と、それに小牧が。出雲がその後でこう言った。

 「だけど、綿貫。もし彼が女子マネージャーの所に行かなかったら、どうするつもりだったの?」

 「野球部員達からの情報で、あの女子マネと外村君はよく話をしていたって聞いていたから、その可能性はかなり高そうだったのよ」

 「でも、確実じゃないでしょう? 行かなかった可能性もある」

 「その時は、別ルートの別の方法を考えるだけよ。ね、村上?」

 そう突然に話を振られて、村上アキは驚いていた。

 「え? そうなんですか?」

 「あんたぁ、メディア・ミックス部のメイン部員の一人なんだから、それくらいちゃんと、意識持ちなさい。殴るわよ」

 そこで小牧が言った。

 「いやぁ、綿貫。それはいくらなんでも、無茶振りだって。あんたが悪い」

 頷きながら出雲も言う。

 「そうね。はっきり言って、綿貫は外罰的性格だと思うわ…」


 8.


 女子マネをやっている先輩と別れてから、俺は後悔していた。重要な話を訊き忘れていたからだ。

 “後関は自分が努力すれば、俺が戻って来ると考えている”

 そう先輩は言っていた。しかし、一体、どんな努力をしているのだろう? そもそも、あいつは俺を避け続けているのだ。どうやって俺を野球部に戻すつもりでいるのか…

 どうにも気になってしまう。

 それに、もう一つ不安があった。俺は休部して以来、ずっと練習をしていないんだ。はっきり言って身体は錆びついている。仮に俺が野球部に戻ったところで、あいつをキャッチャーのレギュラーにしてやれる程の実力はもうないだろう。そもそもあいつだって、ピッチャーの俺がいなくちゃ、キャッチャーの練習は充分にできていないはずだ。

 練習をし続けていた、他の奴らの方が、もう上手いだろう。

 多少は悔しいが、認めるしかない現実だ。

 だからもう俺が戻っても無駄なのだ。だから俺は、もう絶対に野球部には戻らない。自分が劣っているのを見せつけられるのはご免だから。

 それなら、

 ……もしも、後関が無駄な努力をし続けているというのなら、それを分からせてやらなくちゃならない。

 しかし、それからも俺は後関にそれを話しにはいけなかった。正直、どう言えば良いのか分からなかったからだ。どう切り出し、どう説得すればいい?

 どう言っても、更にあいつを傷つけてしまうような気がする。

 ところが、そう俺が悩み続けていると、ある日に例の謎の手紙がまた届いたのだ。

 『お前の相棒が、昼休み、野球場のネット裏にいる。お前が行かなければ、とんでもない不幸が起こる』

 そこには、そう書かれてあった。

 昼休み。昼飯を食おうと、弁当箱を取り出すと、いつの間にかその手紙は、そこに挟まっていたのだ。俺はそれを読んで、“なんだ”と思う。

 とんでもない不幸?

 今までの手紙は、もっと明確に何が起こっているのかが書かれてあった。しかし、今回は表現がとても曖昧だ。だから俺は、直ぐには行動しなかった。そのまま弁当を食べる。

 くだらない。気にしたら、負けだ。今あいつと会ったって、何を話せば良いのかも分からない。それに、「神様からのお告げがあったから、お前を助けに来た」とか言ったら、頭がおかしくなったと思われるだろう。

 しかし俺は弁当を食い終えると、何か落ち着かなくなった。そして、

 “考えてみれば、野球場に行っても、あいつに会わなければ良いのじゃないか。影からコッソリと覗けば良いんだ”

 と、いつの間にか考えていた。

 様子を見るだけだ。

 俺は再びそう心の中で呟くと、それから野球場に向かった。野球場は遮るものがなく視野が開けているから、見つからないように隅を歩きながら、ネット裏へと向かう。少し情けないと思いもしたが、仕方がない。

 ネット裏に近付くと、物音が聞こえて来た。何かがネットに当たる音。ボールの跳ねる音。更に近づくと、誰かが投球練習をしているのだと俺は勘付いた。

 そこで俺は不思議に思う。

 ネット裏にいるのは後関のはずだ。しかし、あいつはキャッチャー志望だ。どうして投球練習の音が聞こえて来るんだ?

 俺はそっとその投球練習をしている奴が誰なのか確認してみた。すると、


 後関…


 そこにはやはり後関がいたのだった。何故か奴が投球練習をしている。

 「何をやっているんだ、お前は?」

 思わず俺はそう言っていた。どうしてキャッチャーが投球練習をしている? これが、女子マネの先輩が言っていた、俺を野球部に連れ戻す為の努力なのか?

 その声に後関は反応をする。俺に気付いたようだった。

 「外村…」

 そう呟いてから、少しだけ後関は笑う。嬉しそうな笑みだった。あまり俺が見た事のない顔だ。

 「見ての通り、投球練習だよ」

 俺は首を横に振る。

 「そうじゃない。俺が訊いているのは、どうしてキャッチャー志望のお前が、ピッチャーの練習をしているのかって事だ」

 それを聞くと後関は、ボールを拾ってそれを投げた。そして、こう言う。

 「見てくれよ。かなりコントロールが良くなって来たんだ」

 「質問に答えろよ」

 俺がそう言うと、後関は言った。

 「仕方ないだろう? キャッチャーの練習は、ピッチャーがいないと難しくってさ。他の奴らに付き合わせるのも悪いし……。

 それに、こうやって投げていると楽しいんだ。バッターを想像してさ、どういう采配をすれば良いかを考えるんだよ。

 オレがもともとキャッチャーを目指したのは、投球の采配を考えるってのに憧れていたからなんだ。なんか、カッコ良く思えてさ」

 俺はその後関の答えに納得がいなかった。

 「何の為に、そんな事をする必要があるんだよ?」

 だから、そう尋ねた。すると、後関はまたボールを一つ拾った。

 「外角低めを狙う」

 そして、そう言うと投球をする。ボールは後関が宣言した通りの場所にいった。俺は無言で後関を睨む。後関はその俺の表情を見て、はぐらかすのを諦めたのかこう言った。

 「これは、“練習の実験”なんだ」

 「練習の実験?」

 「ああ。オレがまずやってみて、こう練習すればコントロールが良くなるってのが分かれば、他の人間にも試せるだろう?」

 他の人間…

 それは間違いなく俺の事だった。

 俺はボールのスピードは速いが、コントロールにやや難があったんだ。だからこいつは、その欠点を直す為の練習方法を考えていたんだろう。つまり、それが、こいつが俺を野球部に戻すための努力なのか。そう察すると俺はこう言った。

 「後関。断っておくが、俺はそんな事をしても野球部には戻らないぞ?」

 後関はそれを聞くと何故か笑った。

 「外村。お前には良い才能があるよ」

 そして、そう言う。俺は「やめろ」とそれに返す。“才能がある”。今の俺にはその言葉が不愉快だ。いや、本当はもっとずっと前から嫌いだったんだ。

 “こいつは、俺を分かっていない”

 そう思う。

 相棒なのに。

 しかし、それから後関はこう続けるのだった。

 「だがもちろん、天才なんかじゃない。そして、下手に才能があるものだから、お前は“努力”のやり方が分からない人間になっちまった。

 オレはさ、そんなお前を分かってやれていなかった。オレは努力しても実力が伸びないのが当たり前で生きて来たからな。お前も同じだと勘違いしていたんだよ。

 でも、違った。

 今なら分かるよ。お前は“才能だけじゃ越えられない壁”を超えるのが下手なんだ。だから周りがサポートしてやらなくちゃならなかったんだ」

 その時、俺はその後関の言葉に感動していた。

 その通りだったからだ。俺は自分の才能だけを頼りに今までスポーツをやって来た。だから、努力で実力を身に付けるってのが、どういう事なのか分からない。

 後関。

 …こいつは、俺のことをちゃんと、分かっていたのか……

 そして、こう思う。

 しかし、なぜこいつは、俺にそこまで尽くそうとする?

 その意味が分からなかった。

 後関は言った。

 「今から二週間後に、ピッチャーとキャッチャーの第一次選考がある。

 外村。

 もう一度、ピッチャーをやりに野球部に戻れよ。オレみたいな才能のない人間でも、ここまでコントロールが身に付いたんだ。足りない才能は、努力でカバーできるんだよ。その為の方法がある事は、このオレ自身が証明している」

 俺は外村がそう言うのを聞いて、何故か笑いが込み上げてきた。こう思う。

 “馬鹿か? こいつは。何でもっと、自分の為に努力しないんだ? これが、先輩の言っていた内罰的性格ってやつなのか?

 努力で才能の壁が越えられるんなら、それは何も俺である必要はないだろうが……”

 そして、

 「やだね」

 と、俺はそう返したのだ。後関の表情は暗くなる。

 「自慢じゃないが、俺は努力が下手だ。それに、“才能の壁”はそんなに簡単に越えられるようなもんじゃない。今まで、練習をサボって来た俺には無理だ。少なくとも、たったの二週間じゃな」

 それから俺はそう続けた。しかし、一呼吸の間を置くと、こう言った。

 「だから、ピッチャーはお前がやれ」

 それを聞いて、後関は驚いた顔になる。俺はそこらに転がっていたキャッチャーミットを拾うと、しゃがんでから構えた。

 「自慢じゃないが、俺は初めに覚えるのだけは早いんだよ。キャッチャーがそれほど甘いもんじゃないってのは知っているが、二週間あれば様になるくらいにはなってみせる」

 後関は相変わらず驚いた顔のままで俺を見ていた。固まっている。

 「何だよ? 嫌なのか? 投球の采配をするのに憧れていたんだろう? なら、ピッチャーでも良いはずだ。俺が抜けてから、ずっと努力し続けてきたってのなら、実力だって身に付いているだろう」

 後関はその俺の言葉に、まだ信じられないといった様子でこう返した。

 「外村… お前、良いのか?」

 「良いも何も、今から間に合わせるには、これしか手段はないって。俺だけじゃない。お前だってピッチャーの練習ばかりで、キャッチャーの練習はできていなかったのだろう?

 ほら、何をやっているんだよ? 俺の気が変わらないうちにさっさと投げろ。俺もキャッチャーの練習をしなくちゃならないんだ」

 それから戸惑った表情のまま、後関はボールを投げて来た。球速はそれほどでもないが、本人が言っている通り、コントロールは良い。ミットを構えた所に投げてくる。これなら、投球采配さえ考えれば、実戦でも通用するかもしれない。

 何球かボールを受けるうち、後関は乗って来たようだった。表情が柔らかくなり、ボールに力が出てくる。

 「言い忘れていたけどな、後関」

 そこで俺は言った。

 「俺は野球が好きなんだよ。本当は、ずっとやりたかったんだ」


 9.


 「上手くいったみたいよ、あの手紙で」

 と、小牧なみだが言った。放課後。メディア・ミックス部の部室。綿貫と村上がそこにはいた。

 「隠れて見ていた女子マネの話だと、外村君は自分からキャッチャーをやるって提案したそうよ。

 自分が出て行く必要はなかったって。仕込みが無駄になっちゃったわねー、綿貫」

 それに淡白に綿貫は「そう」と返す。

 「あら? 無反応…」

 小牧が言うと、それに村上が続けた。

 「予想は付いていたんですか? 部長」

 やはり淡白に、綿貫は返す。

 「まぁねぇ… なんとなくだけど」

 小牧がそれに意外そうな声を上げる。

 「なんで、そう思うのよ? 外村君は外罰的な性格をしているのでしょう?」

 「だから、なんとなくだって…

 ただ、ほら、外村って後関の悪口を言っていたのでしょう? 出雲も指摘していたけど、それって、罪悪感を感じているからこそ。つまり、相手に悪いって思いが外村にはあったって事だわ。

 でもって、やっぱり内罰ってさ、誰かに悪いって気持ちから発生しているのじゃないかと思うのよね」

 村上がそれに頷く。

 「なるほど。だから、一押ししてやれば、それだけで外村は、その外罰的な性格を治せるはず……」

 「…かもってね。

 まぁ、外村が本当に何も罪悪感を感じていないようなら、手の施しようがなかったけど。見捨てるしかなかったなぁ」

 それを聞いて小牧が言う。少しイタズラっぽい顔で。

 「村上君。綿貫の場合は、自分の外罰的性格に、罪悪感すら感じていないみたいだから、いざとなったら見捨てちゃいなさいね」

 それに抗議をするように綿貫は言う。

 「何よ、それは? わたしは、罪悪感を感じなくちゃいけないような事は、何もしていないわ」

 小牧はそれに「ほらね」と言って、村上を見た。村上はそれを聞いて、「はぁ」と言ってから苦笑いを浮かべる。

 「否定しろ、村上」

 それを受けて、そう綿貫が言う。

 「あんたね、それが駄目だって言っているのよ、わたしは」

 「これは、コミュニケーションの一環よ」

 そんな綿貫達のやり取りを見ながら、“やっぱり、少しは治して欲しいかなぁ、部長のこの性格”と、村上はそう思っていた。

なにげで、野球のシーンを書くのが楽しかったです。

因みに僕は、努力し続けないと実力が伸びないタイプ…

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