6 みんな、やられた。
黒の塔の、地下広間。
周囲に影響を及ぼすことなく、また及ぼされることなく魔術を行使できるよう、多種多様の結界が幾重にも張り巡らされ、外界から厳重に隔離されたその空間に、ずらりと立ち並ぶ魔術師たちの姿があった。
彼等が集う時、その中心には魔術師長であるジュディヌスが立つのが常であるが……今この場所に彼の姿はない。
いつもの場所に立っているのは彼ではなく、静かな眼差しをした白髪の老人
元魔術師長トトレイ・ミジャトゥース。
魔術師の最高位である『テュオ』の称号をジュディヌスに譲った後、王都の外れに個人の研究所を構え、ひっそりまったり隠居生活を満喫していた彼が、何故ここに居るのか……
「トトレイ様、わざわざご足労いただきまして……」
輪の中から一人の青年が進み出ると、酷く申し訳なさそうに目を伏せた。
「良い良い。して、ジュディヌスの様子がおかしいとの事だが」
すっと手をかざし、それを軽く振りながら青年に笑みを向けると、さっそく本題に入るトトレイ。
そう、彼がここに居るのはジュディヌスのため。
自分の後継者であるジュディヌスの異変を聞き、放ってはおけないと駆けつけたのだ。
トトレイの声に応え、先の彼よりも硬い雰囲気を纏った青年がさっと進み出た。
「はい。ここ数日、どうも体調が良くないようだと口にしておられますし、
精神的にも不安定で、突然ひどく荒々しい行動をとられたりと……
ご自分でも異変を感じておられるようで、先日は神官の診察をお受けになったとか」
「なんと……それで、結果は?」
報告を聞いたトトレイの瞳が、憂いに染まる。
その声は僅かに震えていた。
「それが、その」
先程までのハキハキとした口調から一転、青年は口ごもり、真直ぐ前へと向けていた顔を俯けた。
「どうした、口にできぬ程重い病なのか?」
青年の様子に嫌な想像をかきたてられ、トトレイの眉間にぐっと深い皺が刻まれる。
「いえ、診断では異常無し、と。ただ……」
慌てて否定するが、どうも歯切れが悪い。
訝しげに顔をしかめるトトレイの前に、まだ幼い少年が躍り出た。
少年は幼い顔を興奮で赤く染めながら、叫ぶ。
「女です! 女が、魔術師長様を……!」
「ラウン」
青年が窘めるようにその名を呼ぶ。
静かだが硬いその声に、ラウン少年は、びくりと身を小さくした。
「良い良い。どういう事かな、おちびさん?」
トトレイは微笑ましげに目を細めると、優しい声音でラウンを促した。
「女を……『破邪の勇者』を召喚した日、すごく様子が変でした!
この前も、魔術師長様が勇者に追いかけられるのを見たって、マシュが!」
「破邪の勇者、か。話には聞いているが…… マシュというのは?」
トトレイは、ラウンの頭に軽く手を置きながら問う。
「庭師です。彼以外にも勇者様が魔術師長様に接触している所を目撃した者は多く……
その直後から魔術師長様の言動が明らかに変わっている事から、彼女が関わっている可能性が高いのでは、と」
「ふうむ。その、勇者とやらに直接会った者は居るのか?」
さっと周囲を見渡すトトレイ。
魔術師たちは皆、その視線を避けるように目を伏せた。
その場に沈黙が落ちる。
「その、恥ずかしながら女性というものに対し、苦手意識といいますか……
未知のモノに対する恐怖が先だってしまい……まだ誰も、その姿さえ確認できていないのです」
気まずそうに告白した青年に、トトレイは苦笑を浮かべながら頷いた。
「そうか。いや、そうだろうな。気持ちは分かる……しかし、対処するためにはまず原因を正しく見極めなければならぬ」
「分かっては、いるのです」
魔術師たちは視線を彷徨わせた。
その様子に苦笑を深めつつ、トトレイは言葉を続ける。
「むろん、直接相対せよとは言わん。まずは『遠見の術』でその姿や振る舞いを確認してから、今後の対策を考える、というのはどうか」
「そう、ですね。では術の用意を」
トトレイの提案に、気が進まない表情を見せつつの、てきぱきと動きはじめる魔術師たち。
ほとんど間をおかず、準備は整った。
整ってしまった。
「それでは、始めよう」
トトレイの号令で、魔術師たちが一斉に呪文を唱え始める。
低い声が発する力強い呪文
高く澄んだ声が紡ぐ繊細な呪文
重なりあい、響きあい、混ざり合う。
やがて、頭上に巨大な魔方陣が現れた。
魔術師たちは呪文にのせて、体内の魔力をじわじわと魔方陣へ注ぎ込んでいく。
彼らの魔力を吸い上げ、魔方陣はその輝きを増していった。
そして、一際強く光を発した魔方陣は、巨大な円形のスクリーンとなり、術者が望むモノをそこへ映す。
ゆらりと一つ、波紋が広がり……映し出されたのは、少女の横顔。
ああ、確かにこれは異界の者であると、一目で知れた。
さわりと風に揺れる、この国では見かけない、濃い色の髪。
じっと何処かを見据える瞳もまた、見た事もない深い色。
一見自分たちと同じに見えた肌色も、よくよくみれば少し黄みがかっている。
だが、何より彼らの目を引いたのはその服装だ。
スカートが
信じられない程に
短 い!
ガチリと声も出せずに固まる魔術師たちを追い詰めるように、彼女は足をのばしたまま上半身を少し前に倒した。
見開かれた瞳に、よりいっそう露わになった足が、ふとももが、焼きつく。
ただでさえ女性に免疫の無い者が、これをみればどうなるか。
「……っ!?」
「こ、こここれはマズイ! だめだ、見ちゃ、だめぶふぁ!」
「そんな……そんな短いスカートで……ふぐっ!」
「ううっ、おんな、め……ぶしゅ!」
「あ、ああああのように足を出すなどっ! なんと、なんと破廉恥な!」
「女性の足……足……うっ、何だこの血は? くらくら……する……がくっ」
広間の床は、またたく間に赤く染まっていった。
一瞬にして半数以上が撃沈し、残る者も辛うじて踏みとどまっているだけ。
何というか、大惨事である。
「恐ろしい……女とは、これほどまでに凶悪な生き物であったか……!」
ぐっと眉間に皺をよせ、重々しく呟くトトレイ元魔術師長。
その鼻からつうっと一すじ、赤いものが流れ落ちた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
ん?
『見られている』な。
どこかからか、魔力混じりの視線を感じる。
ふむ、どうやら覗かれているようだ。
魔術まで駆使してコソコソと盗み見ずとも、堂々と鑑賞すれば良かろうに。
仕方のない奴だな。誰だか知らんが、サービスしてやろう。
此方を覗く誰かに視線を合わせ――
む、複数だな。全ての視線に合うように調整せねば……うむ、これで良い。
――ぱぁっと背後に花を背負いながら、とびきりの笑顔をプレゼントしてやった。
ブツッ!
なっ、即行で術を切るとは!
私の笑顔が気に食わなかったとでもいうのか!? 失礼な奴らめ!
いや、ウインクを付けたのはやり過ぎだった気もしないではないが……むう。
「何か、ございましたか?」
「いや、問題無い。続けるぞ。
この場所を中心として……この角度だな。うーむ、そうするとバランス的に……
そこ、兵士の配置を変更する。直列ではなく、そっちの奥から半身づつ斜めにズレろ!」
不思議そうに小首を傾げる王子に微笑を返し、私は再び現場の指示に戻った。
ただ今、勇者のお披露目式典の打ち合わせ中なのだ。
最初に聞かされた式典内要が酷く地味だったのでな、ちょっとばかし不満をこぼしたところ「ならば、勇者の好きにするが良い」と王から許可がおりたのだ。
主演・監督・脚本・演出、私! の素晴らしき式典が執り行われる予定なわけである。
ふははは、派手に魅せてやろうではないか!
国民よ、喉の準備は万全にしておけ! キャーキャー言わせてやるからな!
・ ・ ・ ・ ・ ・
彼らは、意図して術を切ったわけではない。
ぱちりと合った視線に、ウインク付きの悪戯な笑顔に、何かがプツリといってしまったのだ。
ラウンは焦点の合わない瞳を中にむけたまま、ぱたりと唐突に倒れた。
他の魔術師たちも、ばたばたと崩れ落ちるように倒れていく。
「……我らの……負け……だ」
その言葉を最後に、トトレイもまた意識を手放した。
黒の塔、壊滅。