第3章:神の代弁者 ― 吸血鬼ルキアン ―
神の代弁者は、化け物だった。
聖堂の奥で、誰にも知られずに渇き続ける吸血鬼。
敬われる聖職者ルキアン・ヴェルティ。
満月の夜、
その渇きは理性を越える。
そしてその夜、
聖堂には純潔の巡礼者がいた。
聖堂に、神はいなかった。
高い天井から吊り下がるシャンデリアの蝋燭が、祭壇を青白く照らしている。ステンドグラスの聖人たちは今夜も微笑んでいるが、その足元で床を這いずり回っている男を、誰も咎めない。
「……血が足りぬ。血が足りぬ……ッ!」
ルキアン・ヴェルティ。
この聖堂の最高位聖職者にして、街で最も敬われる神の代弁者。
今この瞬間の彼を見れば、信徒たちは何を思うだろうか。
法衣は乱れ、白磁のような肌に脂汗が滲んでいる。喉を灼く渇きに理性が溶け、爪が石畳に引っかき傷を刻む。どれだけ他者の血を啜っても、真祖の渇きは癒えない。人間の血など、砂漠に落とした一滴の水にも満たない。
満月の夜はいつもこうだ。
この身体に刻まれた呪いが、防波堤を越えて溢れ出す。
鏡がある。
祭壇の脇に立てかけられた、装飾過多な姿見。ルキアンはそこに映る自分を見た。
乱れた紫の長髪。真紅に染まった瞳。伸びきった牙。
(醜い)
美しいと言われ続けた顔が、今はただの化け物の顔だった。
神に仕える聖職者が、その神が最も忌み嫌うものの姿をしている。
おかしくて、笑えない。
「やっぱり……アイツの血が欲しい」
呟きが、誰もいない聖堂に溶けた。
ガルム・ブラッドハウンド。
かつての友。かつての戦友。今は嘆きの森に篭り、自分を拒絶し続けている男。
あの血の味を、ルキアンは忘れられない。
一度だけ、ほんの少しだけ触れたあの血の味を。先生への愛に狂い、自分を憎み、それでも戦い続けたあの男の血は——他の何にも似ていなかった。
「ガルム……早く俺の元へ帰ってこい」
声が震える。渇望か、それとも別の何かか。
「お前だけが欲しい。お前だけが、俺を終わらせてくれる」
そうだ。それだけだ。
先生を手に入れることにもう意味はない。ユリナを傀儡にして実権を握ることも、もはやただの時間潰しに過ぎない。
本当に欲しいのは——ガルムの手で、この首を掻き切られることだ。
「コ ロ セ !」
脳裏に自分自身の声が響く。
誰かに殺してほしい。この渇きごと、この醜悪さごと、全部終わらせてほしい。
だが先生はそれをしなかった。「お前を見捨てない」と言って、ルキアンを生かし続けた。
あの優しさが、呪いだ。
「……時間が無い」
牙が伸びきっている。
理性の残滓が消える前に——。
ルキアンは立ち上がった。
よろめきながら、祭壇を回り、聖堂の奥へと続く回廊へ。
この聖堂に、今夜は特別な客人がいる。
先週から逗留している、純潔の双子。信仰深い姉弟が、巡礼の途中でここに立ち寄ったのだ。
レヴィアとレノア。
ルキアンは回廊の角から、そっと二人を見た。
夕食を終えた後、月明かりの中庭で並んで星を見ている。姉の方が何か言い、弟が笑う。弟の方が何か言い、姉がまた笑う。
「……純潔の双子」
呟きが、暗い回廊に落ちた。
二人の血の匂いが、ここまで届いてくる。清らかで、温かい匂い。
(美味しそうだ)
理性の声が叫ぶ——するな。これは信徒だ。神に仕える者が、神の子に牙を立てるな。
本能の声が嗤う——関係ない。お前はとっくに神を裏切っている。
「ガルム……お前がここにいてくれれば」
こんな夜も、乗り越えられたのに。
先生の愛弟子であるお前が隣にいれば、この渇きも少しは——。
レヴィアが空を見上げて、月に手を伸ばした。
その白い首筋が、月光に照らされて浮かび上がる。
ルキアンの足が、一歩、前に出た。
---
翌朝のことを、誰も知らない。
ただ、夜明け前に聖堂の一室から悲鳴が聞こえたと、早起きの修道士が後に証言している。そしてその日の朝食の席に、双子の姿はなかった。
ルキアンだけが、いつもと変わらぬ穏やかな微笑みで、祈りの言葉を読み上げていた。
法衣に、染みひとつない。
牙は隠されている。
瞳は穏やかな茶色に戻っている。
神の代弁者は今日も美しく、今日も聖堂に立っている。
ただ——その口元に浮かぶ微笑みは、どこかひどく、空虚だった。
第3章を読んでいただきありがとうございます。
ここから物語は少しずつ動き始めます。
アルディアとジュラ、そして聖堂側の人物たち。
それぞれの思惑が交差しながら、物語は広がっていきます。
Vendettaは音楽プロジェクトとしても制作しています。
第三章のイメージ楽曲はこちらです。
▼Vendetta 4th
「Blood Rose」
feat. 鏡音レン・鏡音リン
https://studio.youtube.com/video/ifP-YFDJygc/edit
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