第2章:月下の邂逅 ― 嫉妬の少女ジュラ ―
復讐を選んだ少女と、
嫉妬に囚われた少女。
月下の路地裏で、
二つの運命が交差する。
その出会いは偶然か、
それとも――誰かの観測か。
夜明け前の嘆きの森は、昼よりも深く沈んでいた。
霧が低く這い、足元の枯れ葉を湿らせている。アルディア・グリーンフェルは歩いていた。振り返らずに、ただ前へ。
右目の義眼がかすかに熱を持っている。まだ馴染んでいない。身体の中で魔力が暴れるたびに、太陽神経叢のあたりに鈍い痛みが走る。けれどそんなことは、今のアルディアにとって何でもなかった。
——痛みがあるということは、まだ生きているということだ。
森の出口が近づいてきた頃、霧の中に人影が立っていた。
「――此処を出るのか――」
性別も年齢も判別できない、不思議な声だった。
月明かりの中でも、その人物の顔はよく見えない。白い仮面が、素顔をすっかり覆い隠していた。
「……誰?」
アルディアは立ち止まらず、手だけを鎌の柄にかける。
「――気をつけなさい。真実は……いつも、思っていたよりも傍に――」
「回りくどい」
アルディアは歩みを緩めなかった。仮面の人物のすぐ横を通り抜けながら、一言だけ言い捨てる。
「それでも私は行く。その為に力を手に入れたんだ」
霧が揺れた。
仮面の使者は何も言わなかった。ただ、アルディアの背中を見送るその眼差しだけが——仮面の奥で、深く、悲しげに揺れていた。
アルディアは気づかない。
今はまだ、気づく必要もない。
彼女の足が、森の外の闇へと踏み込んでいく。
復讐という名の、深い深い闇の入口へ。
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同じ夜の、別の場所。
石畳の路地裏を、一人の少女が必死に走っていた。
ジュラ・ヴァイン。
魔女の血を引くと噂されたその日から、彼女の日常は終わった。
「追ってくる……追ってくる……!」
後ろを振り返る余裕もない。松明の光が壁に映り、影が迫ってくる。人の形をした影が。
魔女狩りなどと言えば聞こえはいいが、実態はただの私刑だ。
理由なんて何でもいい。目つきが悪い、笑わない、美しすぎる——それだけで十分だった。
ジュラには分かっていた。自分が何もしていないことは。
それでも世界は、分かりやすい生贄を必要とする。
「もうすぐ後ろ……!」
角を曲がった瞬間、行き止まりだった。
崩れかけた壁。積み重なった瓦礫。どこにも逃げ場がない。
ゆっくりと、足音が近づいてくる。
「見つけたぞ、魔女」
粗野な笑い声。複数の手がジュラの腕を掴み、首に指が絡む。
肺の中の空気が、じわじわと絞り出されていく。
(ああ……もう、終わりだ……)
意識が薄れていく。
世界の輪郭が溶けていく。
——その「消えゆく瞬間」に、ジュラは『それ』を見た。
最初に見えたのは、赤だった。
鮮やかな、目が焼けるほどの赤。
血飛沫が夜空に散り、まるで花が咲くように路地裏を染めていく。
続いて聞こえたのは、悲鳴だった。
ジュラを追い詰めた者たちの悲鳴が、奇妙なことに、旋律を奏でるように響き渡る。
そして——その中心に、少女が立っていた。
青緑の髪が月光を弾く。右目の義眼が冷酷に輝く。大鎌が弧を描き、また赤が散る。
返り血に濡れながら、それでもその少女は——あまりにも美しかった。
(……綺麗だ)
首を絞めていた手から、力が抜けた。
ジュラはその場に崩れ落ち、喉に空気を引き込みながら、ただその光景を見つめていた。
人間は汚い。
ずっとそう思っていた。世界も、周りの者たちも、自分を追いかけてくる松明の群れも。
汚くて、醜くて、どこにも美しいものなんてない。
だから——今感じたこの感情の名前が、すぐには分からなかった。
それは感謝ではなかった。
憧れでも、崇拝でもない。
もっとどろどろとした、もっと恥ずかしい、もっと正直な感情。
(どうして貴女は、あんなに綺麗なの)
(どうして私には、あの色がないの)
嫉妬だ、とジュラは思った。
人生で初めて、誰かを羨ましいと思った。
それは炎のように胸の奥に宿り、消えることを拒んでいた。
やがて路地裏に静寂が戻る。
血の匂いの中で、少女——アルディアがこちらを見下ろした。返り血に濡れた口元が、わずかに綻ぶ。
「一緒に行こう」
命令でも、懇願でもない。
ただ当然のことを言うように、さらりと。
ジュラは答えられなかった。
頷くことも、頭を振ることも。
私には関係ない、と言い聞かせる。
どうせこの人も、私を捨てる。どうせいつか、汚いものを見る目でこちらを見る。
それでも——ジュラの身体は立ち上がっていた。
「……どうして、私を助けたの?」
「さあ、どうしてかな」
「頼んでない……」
「そう」
アルディアは路地の先に目を向けた。その横顔に、迷いはない。ただ遠くを、遠くを、ずっと先を見ている。
「……でも」
少し間を置いて、続けた。
「もう、仲間が死ぬのは見たくない。だから進むんだ。辿り着いた場所に、絶望しかないと分かっていても」
仲間、という言葉が、ジュラの胸の奥に刺さった。
誰かにそう呼ばれたのは、いつぶりだろう。
私よりも気高く、美しい死神。
誰も信用しない。言葉にすることなど到底できない。
あの色が羨ましくて、あの強さが妬ましくて、それでも——。
(ついて行くのは、私の意思じゃない)
(ついて行かされるのは——貴女のせいだ)
ジュラは黙ってアルディアの後ろに続いた。
二人は歩き出す。
月明かりの路地を、血の匂いを背に、並ぶでもなく、ただ前へ。
——その背中に、一筋の冷たい風が吹き抜けた。
「――それが無意味だとしても?」
声が、どこからともなく響いた。
二人が同時に立ち止まる。
声の主の姿は見えない。気配だけが、夜の空気に溶けている。
アルディアの義眼が、暗闇を静かに走査する。
(……ルキアン)
直感だった。声を聞いたことはない。だがこの感触——父が残した記録の中で、何度も名前を見た男。父が唯一、『危険だ』と書き残した存在。
「無意味かどうかは、私が決める」
アルディアは闇に向かって言い放った。
返答はなかった。
ただ、どこか遠くで、低い笑い声が風に乗って届いた気がした。
嘲笑。
あるいは——期待。
二人の旅は、こうして始まった。
第2章を読んでいただきありがとうございます。
ここで登場するジュラは、
アルディアとは対照的な感情を抱えた人物です。
憧れでも尊敬でもない、
もっと生々しい感情――「嫉妬」。
この感情が、
二人の関係と物語をどう変えていくのか。
そして、最後に姿を見せた“声”。
物語はここから、少しずつ動き始めます。
【後書き】
――魔女を狩る者を、狩る魔女。
Vendetta 第二章
「魔女を狩る者を狩る魔女」
▼イメージ楽曲
https://www.youtube.com/watch?v=FAACe-UY9LE




