第1章:覚醒の儀 ― 復讐者アルディア誕生 ―
復讐は、人を変える。
家族を奪われ、右目を失った少女。
その夜、彼女は「力」と引き換えに、
もう戻れない道を選ぶ。
――復讐者、アルディア誕生の夜。
月のない夜だった。
嘆きの森は、昼でも光が届かない。
枯れた枝が絡み合い、腐葉土の匂いが濃く沈む、この場所に自ら足を踏み入れる者はいない。
いるとすれば——迷い込んだ愚か者か、もう失うものが何もない者だけだ。
森の奥、蔦に覆われた古い館。
その窓の隙間から、かすかな燈火が漏れている。
「……帰ってくれ」
男の声が、低く、震えて闇に溶けた。
ガルム・ブラッドハウンド。
かつて女帝セリーヌの四天王「青龍」と呼ばれ、命じられるままに剣を振るい続けた男。今は朽ちかけた館に一人篭り、誰とも関わらず、ただ静かに消えていくことだけを望んでいた。
その鋭い爪は、今は自分の頭を抱え込むためだけに使われている。
「クフフ……まぁそう邪険にするな。今日はまたお前にいい話を持って来ているのだ」
闇の中から現れたのは、真っ白な肌に冷徹な笑みを湛えた男——ルキアン・ヴェルティ。かつての「朱雀」。今は女帝を殺し、傀儡の皇帝を据えて実権を握る男。
そして、ガルムが最も会いたくない相手。
「また、お前の力が……必要なのだよ」
「帰ってくれ! 俺はもう……あんな事は……したくないんだ……!」
咆哮は怒りではなく、絶望から来ていた。
あの日から、ずっとそうだ。力を振るうたびに誰かが壊れ、祈るたびに何かが死んでいく。
この手で何人殺した。
この牙で何人喰らった。
先生に救ってもらった時、もう二度とこの力は使わないと誓ったはずだった。
「……また、来るよ」
ルキアンは笑みを崩さないまま、闇の中へと消えた。その気配だけが、じっとりと壁に染み付くように残る。
ガルムは床に崩れ落ち、頭を抱えた。
——先生。
今頃どこにいるのか。
あの日、「お前を必ず救ってやる」と言って抱きしめてくれた温もりは、まだ覚えている。
だが先生には、守るべきものができた。小さな娘がいる。
だから自分が引き受けたのだ——ルキアンを食い止める役を。先生を、その子を、遠ざけるために。
結果がこれだ。
嘆きの森に一人篭り、吸血鬼に脅され、消えることもできずにいる。
「……俺は、正しかったのか」
答える者は誰もいない。
---
どれほど時間が経っただろう。
扉を叩く音が響いたのは、ルキアンが去ってから随分後のことだった。
ノックではない。叩きつけるような、嵐の感情をそのままぶつけるような音だった。
ガルムはゆっくりと立ち上がる。
こんな夜更けに、この森に自分を訪ねてくる者など——。
扉を開けた瞬間、血の匂いが鼻を突いた。
立っていたのは少女だった。
年の頃は十五、六か。黒いワンピースはぼろぼろに破れ、泥と血で汚れている。長い青緑の髪が顔に張り付き、右目の眼窩は——空洞だった。乾ききっていない血が頬を伝い、それでも少女は真っ直ぐにガルムを見上げている。
残された左目の奥に、真っ赤な炎が燃えていた。
「殺してやる……! 絶対に……!」
憎悪が、矢のように胸に突き刺さる。
ガルムはその炎を知っていた。かつて自分の中にも、あったものだ。
——だがもっと気になったのは、その顔だった。
(この子は……)
見覚えがある。いや、正確には「見覚えがある顔の面影」がある。
先生が大切にしていた、小さな娘。
幼い頃に何度か遠目に見た、あの子に——似ている。
まさか。
「……入りなさい」
ガルムは一歩退いた。少女は警戒するように一瞬止まったが、すぐに館の中へと踏み込んできた。
---
薄暗い室内。古い椅子に少女を座らせ、ガルムは机の前に立つ。
引き出しの奥に、ずっと仕舞い込んでいたものがある。
使うつもりはなかった。使ってはいけないと思っていた。
だが、この少女が来た瞬間から、何かが変わった気がしていた。
銀色の小さな箱を取り出す。
中には、鈍い光を放つ精密な**「魔道具(義眼)」**が収められている。
かつて先生が「万が一の時のために」と預けていったものだ。魔女の力を宿した義眼。装着した者に、死神の視界と魔力を与える——その代わりに、もう普通の人間には戻れない。
「……本当におめでとう、お嬢さん。用意はできている。後は、君の覚悟次第さ」
声が掠れた。
「何を言ってるの? アタシの目的を達成させる為ならば、このアタシに未練は無いわ。……さあ早く力をよこしなさいよ!」
迷いが、ない。
恐怖も、ない。
あるのは、家族を奪った「アイツラ」を同じ地獄に引きずり込むという、一点の執念だけ。
「……だけどもね、お嬢さん。本当にいいのかい? 今の自分に……ただの『人間』であった自分に、未練はないのか? 後悔するかもよ」
少女の目が、一瞬だけ揺れた。
ほんの一瞬だけ——その奥に、炎とは違う何かが過ぎった。
温かな光。笑い声。食卓を囲む家族の残像。
そして、それが炎に包まれて崩れていく音。
次の瞬間には、もう消えていた。
「うるさいわね。……後悔なんて、あいつらを殺した後にいくらでもしてあげるわ」
ガルムは、それ以上何も言えなかった。
言えるはずがない。
この少女は正しい。自分だってそうだった。痛みの中にいる者に、外側から「止めろ」と言える資格は誰にもない。
彼は己の爪を丁寧に折り畳み、静かに少女の前に跪いた。
「……目を閉じて」
少女は黙って従った。
大きな手が、わずかに震えながら、少女の空洞となった右目へとゆっくり義眼を近づける。
これは呪いだ。ガルムには分かっていた。この力を手にした者が、最後に辿り着く場所を。
それでも——止められない。
「――さあ、その眼を開き」
ガチリ、と硬質な音が室内に響いた。
「あ、が……あああああああああああ!!」
悲鳴が館を揺らす。
血管を、神経を、魔力の激流が駆け抜ける。少女の身体が椅子から落ちそうになるのを、ガルムは無言で支えた。
失われたはずの視界が、青白い異様なノイズと共に再構築されていく。それは人の理から外れた**「魔女の力」**の胎動だった。
ガルムはその悲鳴を、ただ黙って受け止めていた。
この痛みを分けることはできない。この選択を止めることもできなかった。
大きな手が、少女の肩をただ支え続ける。それだけしか、できなかった。
どれほどの時間が過ぎただろう。
少女の荒い呼吸が、少しずつ落ち着いてくる。
カチリ、と。
右目が開いた。
そこには、かつての少女の瞳はない。
機械仕掛けの精密なレンズが、冷酷な光を宿して静かに輝いている。
「……おめでとう、お嬢さん。魔女の力、覚醒だ」
ガルムは力なく笑った。
その笑みの奥に混ざっていたのは——友である吸血鬼への憎しみと、目の前の少女の未来への憐憫と、そして何より、自分自身への呪詛だった。
---
少女はふらつきながらも立ち上がり、扉へと向かった。
「……調子が悪くなったらおいで。いつでも見てあげる」
背中に言葉を投げる。少女の足が止まる。
「……だけどね、お嬢さん。最後にこれだけは覚えておいてくれ」
ガルムは絞り出すように続けた。
「復讐をしてみても、家族が帰るわけじゃないんだよ? そこは、分かってるよね?」
「……ええ。分かっているわ」
振り返らずに答えた声には、かつての愛らしさは微塵も残っていない。
「なら、俺から言う事は何も無いな。……気をつけるんだよ」
「……ありがとう」
一言だけ。
それだけ残して、少女は嘆きの森の闇の中へと消えていった。
---
ガルムはその背中が見えなくなっても、扉の前に立ち尽くしていた。
風が吹く。枯れ枝が折れる。遠くで夜鳥が鳴く。
やがて彼はゆっくりと頭を抱え、壁に背を預けて崩れ落ちた。
「……先生」
声が、森に吸い込まれていく。
「あの子に……力を渡してしまった」
あなたが大切にしていた娘に。
あなたが守ろうとしていた命に。
「俺は、また間違えたんだろうか」
答える者は、誰もいない。
嘆きの森は、ただ静かに夜を深めていく。
そしてガルムは知らない。
今この瞬間、闇の奥のどこかで、ルキアン・ヴェルティが愉しそうに笑っていることを。
第1章を読んでいただきありがとうございます。
ここからアルディアの復讐の旅が始まります。
次章では、彼女の前に新たな人物が現れ、物語は大きく動き始めます。
よろしければ、続きも読んでいただけると嬉しいです。
※本作は音楽プロジェクト「Vendetta」と連動しています。
第一章のイメージ楽曲:
「嘆きの森の妖しい狼」
▼YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GeulJXhgNAI




