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第2話 一億円で変わった俺の人生

 

 夢のマイホームだった。


 二階建て、3LDK。リビングは十五畳ほどで、白い壁紙と木目調の床が眩しく見えた。

 真新しい匂いが部屋中に漂い、歩くたびにフローリングがわずかにきしむ。

 

 引っ越した初日、段ボールだらけの部屋にソファを置き、大画面のテレビを買って据え付けた。

 カーテンを取り付け、照明を点けると、まるでモデルルームのようだった。


 ベランダに出れば、遠くに町の夜景が見える。

 買ったばかりのワイングラスに赤ワインを注ぎ、安物のチーズを並べてみた。

 それだけで、世界の中心に自分がいるような錯覚に酔えた。


「……俺も、ついに勝ち組だ」


 ソファに寝転び、リモコンをいじりながら、にやけ顔を止められなかった。

 これからここで、どんな生活が待っているのだろう――。

 想像するだけで胸が膨らんだ。


 だが、その幸福は一ヶ月も持たなかった。

 新築の匂いにも慣れ、家具にも飽き、ただ広すぎる空間が虚しく感じられるようになった。


 次は車だった。

 

 憧れていた外車をディーラーで即決購入。初めてハンドルを握った日は、そのうなるようなエンジン音だけで心が躍った。街を走れば視線を浴び、優越感でいっぱいだった。


 けれど、その幸福は二週間で色褪せた。乗るたびに小さい傷が増えていくのもストレスだった。


 ハイブランドの服や高級レストランも同じだった。

 身に着けた最初は夢のような幸福感を感じても、一週間もすればただの繰り返しになった。幸福の持続時間が“どんどん短くなっていく”。


 そんな折、俺は元同僚の高原とよく飯を食うようになった。

 居酒屋でビールを片手に、彼は言った。


「会社辞めてもお前は余裕だな。羨ましいよ」

「まあな。ちょっとここだけの話なんだけどな」


 つい、酒の勢いで口が滑った。

 ――俺が見知らぬ老人から一億円をもらったことを。


 その日の会計はもちろん俺持ち。それからというもの、毎週のように高原に誘われ、高い飯をおごらされるようになった。キャバクラに行くこともあった。

 気づけば、俺は「金を出すための人間」になっていた。


 それから数日後のことだった。


 元会社の同僚の槇村(まきむら)さんからメッセージが届いた。

 

 《主人公くん、久しぶり! よかったら今週末に会いませんか?》


 美人で仕事もできる、俺が少し気になっていた“女”。

 そんな彼女からのデートの誘いだと思った。胸が高鳴った。


 待ち合わせのレストラン。夜景が見える駅前の高層ビルの中に俺達はいた。

 やがて、ワインを傾けながら、槇村さんは柔らかな笑みで切り出した。


「実はね私、勝又くんが一億円を持ってて、新しい家や車を買ったって、聞いたの」


「……え、誰に聞いたんだ?」

「高原くんに」

「そうなんだ」

「私ね、実は当時から主人公くんのこと気になってて……」


 俺は息を呑んだ。

 ドレスに身を包んだ彼女の笑みは美しい。


 その日から俺と彼女は交際を始めた。

 彼女には度々、ハイブランドのバッグを買ってやり、高級レストランで食事もした。その度に彼女は嬉しそうに笑い、俺はその笑みに酔った。

 

 高原は相変わらず金の無心をしてきた。「一生のお願いだ」と言って十万円を借りていった。そのころの俺にとっての十万円はかつての千円くらいの感覚だったのだと思う。


「憎めない友達と美人な恋人に囲まれて……俺の人生は最高だ」

 そう錯覚していた。


 だが、通帳の数字はみるみる減っていった。

 残り三千万と少し


 働かない俺の生活は、ただ金を削り取っていくだけだった。


 「まぁ、なんとかなるっしょ」


 今思えばあの時の俺はおかしかった。


 ある日、郵便受けに税金の支払い明細が届いた。


 桁違いの金額の請求や税金の支払いに、俺は愕然とした。

 会社勤めの頃は給料天引きで気にもしていなかったが、現実はこんなに重たいのか。

 冷や汗が背を伝った。


 家のローンこそないが、もろもろの維持費が馬鹿にならない。

 外車は保険とガソリン代や税金を吸い取られ、高級品の購入に充てたカードの支払いは膨らみ続ける。

 

 そしてついに――返済が滞った。


 崩壊は一気に訪れた。


 家は差し押さえられた。

 外車も手放した。

 ブランド服はリサイクルショップに売り払った。


 気づけば部屋の片隅に残ったのは、空っぽになったブラウンの革のトランクと俺だけ。


 槇村は俺の家に残っていたブランド品を全て持ち出し、そのまま音信不通になった。

 高原も金の無心が通じなくなると、ぱったりと連絡を絶った。


 俺は膝を抱え、天井を見上げていた。

 静まり返った三LDK部屋に俺の声だけが無情に響いた。

 

「……ほんの一瞬で……なにもなくなっちまった」


 かつて握っていた札束の重みは、もうどこにもなかった。


 夜の部屋で、俺は一人きり泣きじゃくった。

 自らの膝に顔を埋め、情けなく嗚咽を漏らす。


 ――気がつけば、あの老人の声が頭の中でよみがえる。


『ふむ……では聞こう。家を買った後、君は毎日をどう生きる?』


 どう生きるか。

 そんなこと、考えたこともなかった。

 金だけあっても幸せにはなれない。

 金で寄ってきた人間関係は、金で切れる関係でもある。


「じゃあ……金ってなんなんだよ」


 自分の声が虚しく響いた。

 こんなもののために、あの奴隷みたいなサラリーマン生活を続けてきたのか。

 そして、これからも続けなくちゃいけないのか。

 胸が締めつけられ、目の前が暗くなった。


 

 俺は全てを売り払った。

 もともとあったなけなしの貯金まですべて吐き出して、どうにか借金を清算した。


 残ったのは、空虚だけ。


 当然、一人暮らしする余裕などない。

 俺は三年ぶりに、両親の住む実家へと舞い戻った。


 玄関をくぐったとき、俺の胸が張り裂けそうだった。

 あんなに威勢よく啖呵を切って出て行ったのに。

 親の前に、こんなみじめな姿で戻ることになるとは。


 だが、両親は理由も聞かず、ただ「おかえり」と迎え入れてくれた。

 台所の匂い。

 昔と変わらない食卓。

 温かい布団。


 すべてがありがたく、そして、恥ずかしかった。


 本当に死にたくなるほど、恥ずかしかった。


 ――比喩じゃない。何度も、本気でそう思った。


 布団にくるまり、天井を見上げる。

 何も残っていない。

 本当に、全てを失ってしまったのだ。


「……ほんの一瞬で、なにもなくなっちまった」



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