第1章「路地裏の金雷亭」
初投稿作品ですが、楽しんでいただけますと幸いです!
よろしくお願いいたします。
財布とスマホと、“金への執着”だけを握りしめて、気づいたら異世界に放り込まれていた。
空を見上げると、双月が白銀色の光を投げかける。石畳の通りには、尖った耳をした男や、尻尾のついた女が平然と歩いている。
建物は木造とレンガが混ざったような古風な家屋ばかり。道を行く馬車の車輪がガタゴトと音を立て、路地の角からは煙を吹き上げる鍋のにおいが鼻をくすぐる。
どう見ても“ゲームや漫画で見たことがある感じ”のファンタジー世界だった。
しかし、俺の心は不思議と平静。むしろ状況を楽しもうとしている自分がいた。
「カネは裏切らない。女はたまに裏切る。酒は……正義ッ!!」
そうつぶやき、空腹と酒への欲望を腹の底で燃やしながら、俺は路地を歩き出す。名前は黒峰銭丸、35歳。
ギリギリの人生をサバイブしてきた元営業マンで、趣味は金儲けと女と酒——そしてどれだけ失敗しても立ち直る泥臭いタフさが売りの男だ。
◇
ポケットの中身は、スカスカの財布に名刺入れ、そして圏外表示のスマートフォン。……ただ、スマホのバッテリーがなぜか減らない。“異世界対応”なんてあり得ないはずだが、画面には妙なアプリが増えていた。
翻訳、レシピ、商売指南、魔導具管理……どれも実に都合がいい。特に翻訳アプリのおかげで、この世界の言語は難なく理解できる。異世界に来て早々、言葉の壁に悩まずに済むのは大きい。
だが、腹が減っているのはどうしようもない。金がないと飯も酒も買えない。何はともあれ、まずは資金調達だ。
周囲を見回すと、街外れの道具屋という看板が目についた。木製の小さな店先にはガラクタのような魔導具が山積みにされている。
俺は「スマホの保護フィルムを“魔導アイテム”っぽく売りつけたらどうだろう」と思い立ち、店主をうまく言いくるめた。
「ほら、これ、見てください。すごく薄い膜ですが、衝撃を吸収し、汚れを防ぎ、しかも……ほら、透過率が高いでしょ? レンズに貼れば、魔力効率が向上するかもしれないですよ」
店主は怪訝な顔をしていたが、「まあ試しに買ってみるか」と渋々応じ、銀貨1枚を手渡してきた。
「よし、まずは軍資金ゲット……」
俺は銀貨を握りしめ、財布に放り込む。日本円じゃないコインが自分の懐に入る感覚は初めてだが、なぜかテンションが上がる。
さっそく市場に向かい、物価をチェック。パン1個は銅貨3枚(30円ほど)、干し肉は大銅貨1枚(100円ほど)、宿屋の一泊は銀貨2枚(2,000円)……庶民の年収が金貨2〜3枚(2~3万円)なんて噂も耳に入った。
この世界では、銀貨1枚でもそこそこ大きな買い物ができるらしい。
ならば、その銀貨で必要な材料を揃えて“儲かる商売”を始めるしかない。何しろ、俺には副業や夜の接待で培った「金を稼ぐための発想力」がある。
◇
まず、俺が市場で手に入れたのは以下の物資だ。
レモラ果実:レモンに似た酸味のある果実。
スピリタ酒:強い蒸留酒。度数高めでクセがある。
干し肉くず:格安の切れ端。味は保証できないが、加工次第。
廃材の木片&鉄網:即席の火起こし・焼き台用。
魔霧噴霧具:道具屋の試作品。ハンドルを回すと細かな泡を作るらしい。
さらに運良く、氷精霊と契約しているという行商人が「キャンペーン中で魔氷を無料配布中」なんてやっていた。どうやら体験してもらって宣伝にするのが目的らしい。
俺はそれをありがたくいただく。氷精霊の力で冷えた魔氷ならば、ちょっとした冷却用途に使えそうだ。
「こりゃあ、冷たい飲み物が作れるってことじゃねえか……」
この瞬間、俺の頭の中に“冷たいレモンサワー風ドリンク”の構想が閃いた。ビールやワインはあっても、炭酸の冷たい酒が存在しない世界ならば、かなりの衝撃を与えられるはずだ。
ただし炭酸をどう再現するか。幸い、スピリタ酒を少量の水で割るだけでもアルコール感は残るし、レモラ果汁の酸味が入れば味はまとまる。噴霧具を使えば泡立ちは出そうだが、果たして炭酸ほどの刺激になるかはわからない。
だが、「試してみる価値はある」。そう結論づけて、さらに路地裏で見つけた木箱や古布をかき集めて、即席の屋台を組み立てた。
名づけて《金雷亭》。看板代わりに板切れを炭で塗りつぶし、その上から雑に“金雷亭”と書いてみた。どうせ客が来るかもわからないし、まずは実験だ。
◇
夕方になり、適当な路地の角に屋台を広げて火を起こす。廃材を燃やして網の上で干し肉を炙ると、そこそこ食欲をそそる香りが漂う。
並行して、水で薄めたスピリタ酒にレモラ果汁を絞り、魔霧噴霧具でガシャガシャ泡立てる。最後に魔氷を浮かべてみると、なんとも涼しげな一杯が出来上がった。
試しにひとくち飲むと、シュワシュワとした本格的な炭酸まではいかないにしても、鼻に抜ける爽快感はなかなかだ。
「うーん、悪くない。焼いた干し肉との相性も……うん、いけるぞ」
味見しながらうなずくと、すぐ近くを歩いていた冒険者風の男が興味を示して近づいてきた。
「なんだ、その飲み物……? 見たことねえ泡だな」
「お兄さん、ちょうどいいや。試してみる? “新感覚ドリンク”だ。最初の1杯はサービスでもいいぜ」
「マジか……じゃ、いただくわ」
俺が注いだレモンサワー風の液体を、冒険者は怪訝そうな顔で口に含む。途端、彼は目を見開き、喉を鳴らして一気に飲み干した。
「なんだこれ……! 舌がびりびりするのに、後味がスッキリして……初めて飲む味だ!」
思わず感嘆の声をあげる彼に、俺はニヤリと笑って言った。
「気に入ったなら、次は大銅貨3枚だ。悪くない取引だろ?」
「大銅貨3枚か。こんな味があるんなら、安いもんだな。払う払う!」
こうして300円ほどの初売上をゲット。その冒険者は干し肉も一緒に買い、路地裏の空き箱に腰かけて楽しそうに食っている。
どうやら、一度飲めば虜になる新鮮さがあるらしい。これなら“冷たい酒”に飢えている客が集まる可能性が高い。
事実、その男が「すげえうまい酒を見つけた!」と同業仲間を連れてきたおかげで、徐々に人だかりができ始めた。
いつの間にか夜になっていたが、魔氷のおかげで冷たいドリンクが提供できるし、廃材で作った簡素な明かりがあれば営業は続けられる。やがて一晩で大銅貨や銅貨がかなり集まり、合計で銀貨4枚分に迫る収益を得た。
◇
翌日、俺はすぐに屋台をパワーアップさせた。
まず、炭焼き用の炉を中古で購入し、鉄網をもう一枚追加。さらに木材と釘を買ってきて、ちょっとしたカウンター席を作る。おかげで出費はかさんだけど、その分、店が形になってきた。
そして名前を広めるために、ドリンクに“金雷ゴールデンボルト”というやたらと派手な商品名をつけてみた。
「一口飲めば雷が走るうまさ!」なんて謳い文句を、路地裏の一角に紙を貼ってアピールする。
実際、その宣伝が功を奏したのか、冒険者や流れの旅人、さらには商人までが「噂の冷たい酒」とやらを求めて列を作るようになった。仕入れ量を増やし、価格も少しだけ上げたが、むしろ売れ行きは加速していく。
「なんかうまい飲み物があるらしい」「屋台なのに冷えてるだと!?」「しかも謎の泡立ちがあるとか……」
そんな好奇心の連鎖が街のあちこちを巡り、いつの間にか“路地裏なのに行列ができる店”という異彩を放ちはじめた。
「ははっ、最高じゃねえか。腹は満たされるし、酒も飲める。利益もガッポリ」
俺は銀貨を握りしめて頬が緩む。こんなに手応えがあるとは想定外だ。早くも“次はもうちょっと高い店を出せるんじゃないか?”なんて思考がよぎり始める。
◇
その翌日、さらなる転機が訪れた。
昼時の営業を終えて売上を数えていると、カウンターの前に一人の黒髪の女性が立っていた。見慣れない制服を着ているが、しっかりした生地と縫製が印象的。胸にはギルドのエンブレムが輝いている。
彼女はジロリと俺を見据えると、口を開く。
「……無許可営業、酒類販売、税未登録……いろいろアウトよね、これ」
「いや、まあ、そうかもしれないが……誰だお前?」
「私は水無瀬ひかり。ギルドの受付をやってるの。というか……あなた、日本語、だよね?」
「日本語……? あ、もしかしてお前も転移者か!」
互いの言葉が翻訳魔法を介さず直接通じていることに気づき、二人して目を見開く。この世界で“そのまま日本語が聞き取れる”のは、同じ日本の出身者だけのはずだ。
ひかりは少し表情を強張らせながらも、俺の屋台をぐるりと眺め、ため息まじりに言う。
「こんな路地裏で大行列を作ってるから、上から苦情がきたの。どうも税の申告もしてないって聞いてるわ」
「税ね……そういう制度があることは薄々わかってたが、面倒で放置してた。あと、許可証も必要なのか?」
「当たり前でしょ。酒を出すなら、商業ギルドか酒造ギルドに登録しないと。違法営業になるんだよ」
「へえ……俺は儲かりゃいいと思って始めただけだ。ま、問題あるなら手続きしてもいいが、どこでどう申請すりゃいいんだ?」
「何も知らないのに、いきなりこんな商売始めたの……すごい度胸」
呆れたような、感心したような声で言うひかり。俺が状況を語ると、どうやら彼女は半ば呆れつつも、“ここまでやれてるなら大したもんだ”と内心思っているらしい。
「わかった。とりあえず、明日ギルド本部に出向いて申請して。私も手伝ってあげる。でないと、営業停止が確定よ」
「おお、助かる!」
「……ただし、私が観察してる間は何も問題起こさないでよね。今までの分の税とか、酒類販売の届出とか、いろいろ面倒くさいんだから」
「へいへい、経理担当さん、よろしく頼むよ」
軽口を叩く俺に、ひかりは「誰が経理担当だ」とムッとした表情を見せる。しかし、その後ろ姿はどこか少し楽しげにも見えた。
かくして、ギルド受付嬢・水無瀬ひかりが、ほぼ強引な形で《金雷亭》に“加入”することとなる。
◇
ひかりが入ってから、屋台のオペレーションは劇的に改善した。
まず客の注文を紙に書かせる方式にして混雑を減らし、会計はひかりが管理する。俺は調理と接客に集中できるようになり、回転率がさらに上がった。
彼女の指示でメニュー表を作成し、昼は軽食と低アルコールドリンク、夜は濃いめの酒と焼き肉系のつまみをセットで売るなど、時間帯による商品変化も導入。
「少しスパイシーな味付けにすれば、客は飲み物を追加注文してくれるから単価が上がる」なんてアドバイスもあり、実際に売上は右肩上がりとなった。
ひかりはバリバリの経理体質らしく、端数の銅貨や大銅貨をきっちり仕分けしてくれる。俺は「ざっくりと儲かればいいや」と考えるタイプなので、彼女のきめ細かさはありがたい限りだ。
「なあひかり。お前、こっちに来てどれぐらいなんだ?」
「もう2年。最初は混乱したけど、ギルドで働けば食っていけるし、意外と慣れるもんよ。あなたは?」
「昨日今日だ。スマホのバッテリーが減らないのと、財布に日本円しかないこと以外は、まあ困ってない。ここの世界、意外と馴染みやすいしな」
「変なの……ふふ、でもわかるよ。意外となんとかなるもんだし」
そんな会話を交わしながら、二人で屋台を切り盛りする日々。正直、俺には“相棒”ができたような気分で、悪くない。
客足はますます増えて、今では夕方になると長い行列が形成されるほどだ。銀貨で会計する客も出てきて、1日で銀貨5枚(5,000円相当)以上を稼ぐこともある。
ギルドに申請に行くための資金も十分確保できた。こうなれば正式に店を拡大して、いずれはメイン通りへ進出……そんな野望も夢じゃない。
◇
だが、商売がうまくいけばいくほど、やっかみや権力の介入も激しくなる。
4日目の夕方、屋台の前に黒いローブをまとった男たちが数名現れた。胸には“商業ギルド監察課”のバッジが光り、明らかに職務執行中という雰囲気だ。
彼らは開口一番、冷酷な声で言い放つ。
「ここが《金雷亭》か。営業許可未提出・酒類販売届なし・税申告もなし……だな?」
「え、ちょっと待て、明日にはギルド本部に申請するって──」
「遅い。違法営業は事実であり、即刻営業停止。資産差し押さえ対象とする」
ひかりが必死に「事情があるんです! 申請手続きをしようとして……」と弁明しようとするが、彼らは一切耳を貸さない。むしろ公的権限を傘に、容赦なくカウンターを壊し、在庫を没収し始める。
「ちょ、やめろバカ! 俺の……店のカウンターが……!」
「抵抗は許可されない。黙れ!」
ドンッ、と突き飛ばされた俺は地面に転がり、連日の疲労も相まって思うように動けない。ひかりが悔しそうに奥歯を噛む横で、屋台の装備は次々に破壊され、あっという間に丸裸の状態だ。
「こんなの、あんまりだ……」
残骸を前に、ひかりがポツリとつぶやき、拳を握りしめる。その姿を見た俺は心底悔しかったが、どうしようもなかった。
◇
夕闇が迫る頃には、俺たちが血と汗を注いで作り上げた屋台“金雷亭”は無残な姿になっていた。商品や材料も没収されたから、ゼロからやり直しどころか、マイナスに転落したようなものだ。
焼けこげた看板やひび割れたカウンターの一部が転がっているのを見つめながら、俺は深いため息をつく。ひかりはその隣に座り込み、空を見上げてぽつりと言う。
「せっかく良い感じだったのにね……ごめん。もっと早く申請しに行けば防げたかもしれない」
「いや、気にすんな。こっちも調子に乗りすぎた。だけど、またやればいいだけの話だろ?」
「……懲りないわね。まあ、私も嫌いじゃないけど」
彼女はうっすら笑い、俺を見やる。その目には、落ち込んだような影と、ほんのわずかな期待が同居しているように見えた。
「俺は営業マンだった。稼ぐしか能がない。でも、その稼ぎをどう活かすかが問題なんだよな」
「そう……いくら稼いでも、違法ならこうして叩き潰される」
「じゃあ合法的にやってやろうぜ。申請すりゃいいんだろ? 何が必要かはお前が教えてくれればいい」
「……うん。それならちゃんと税金や手数料を払って、安全にやれるはず」
少しだけ希望が芽生える。俺たちなら、必ずまた店を建てられるはずだ。むしろ、これを機にもっと大きくしてやれ——そんな欲が湧いてくる。
ふと見上げた空には、二つの月が淡い光を放っていた。黒い煙がまだほんのり漂い、路地には商人や冒険者が肩を落として通り過ぎる姿が見える。
でも、こんな世界だからこそ、“俺のやりたい放題にできる余地”がある。やられたらやり返す。失敗しても何度でも立ち上がる。それが俺の生き方だ。
「カネは裏切らない。女はたまに裏切る。……酒は、正義ッ!!」
俺は拳を握りしめて笑う。何度でもやり直せばいい。稼いで、爆発して、また次を探す。
ひかりが苦笑しながら「そういうとこ、嫌いじゃないわよ」とつぶやき、そっと壊れた看板を拾い上げた。
路地裏に冷たい風が吹き抜ける。だが、俺たちは決して折れない。今度は堂々と、すべてを許可証付きでやってのけよう。
明日からのことを考えるとワクワクが止まらない。なにせ、俺は“異世界転移”という最大のチャンスをつかんだのだから。
読んでいただきありがとうございます。
楽しんでいただけましたでしょうか?
毎日投稿予定ですので、よろしくお願いいたします!