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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)
8/92

Verse 2-2

 ROZENの軍位は将軍は外交、中将は医療といったように、特有の分野に特化している。士官学校最高学年の冬には、自らがなりたい軍位を獲得するための一大試験が待ち受けており、その為に士官生は三年間必死に勉強するわけであった。

 

「久し振りだなヨハン。」

 

 アルフレッドと朝食を食べに食堂を歩いていると、レイは始業式以来姿を見かけなかったヨハンに声をかける。黙々と山盛りチャーハンを頬張っていたヨハンは、その声で顔を上げた。隣には場違いな少年が足を揺らしながらゼリーをつついている。レイがまじまじと少年を見つめていると、ヨハンは思い出したように隣の少年を紹介した。

 

「同室のリーズだ。」

 

「どうも! 首席のレイさんですよね?」

 

 満面の笑みで片手を上げるリーズに、レイは唖然としたまま固まる。

 

「飛び級してきたらしい。」

 

「隣はアルフレッドさんですよね!」

 

 ゼリーを丸ごと一口で食べ終えたリーズは、レイの隣にいた落ち着いた橙色の髪をいじるアルフレッドに呼びかけた。アルフレッドは一瞬驚いた表情を浮かべて、しかしすぐに笑みを戻す。

 

「一、二年の時同じ講義を取ってたんだ。久し振りだねリーズ。」

 

 どうもー、とリーズは挨拶をする。レイはアルフレッドの知人と知ってやっと緊張を解いた。手に持っていたカルボナーラをヨハンの隣に置いて、レイは席に着いた。しかし、アルフレッドはなかなか座ろうとしない。ヨハンも、先程からちっとも皿の上の炒飯が減っていなかった。リーズは気にせず第二のゼリーをつついていたが、やがてアルフレッドは痺れを切らして口を開く。

 

「その、ヨハンも、久し振りだね。」

 

 ヨハンの手からスプーンが滑り落ちた。盛大な音を立てて、床でバウンドするスプーンの音は、雑踏に紛れて消える。口元を押さえて突然立ち上がったヨハンは、額にじわりと汗をかいていた。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 その労わりの声が聞こえていたかは不明である。ヨハンはついにその場から椅子を蹴って食堂から走り去っていった。レイは立ったままのアルフレッドを一瞥して、すぐに彼の後を追う。角という角を曲がり、辿り着いたのはトイレであった。

 

「ヨハン!」

 

 トイレの中に入ろうとして、レイは立ち尽くす。聞くだけでも心苦しくなる嗚咽が響いてきたからだ。レイは恐る恐る中を覗く。水道の前で、口を押さえて俯くヨハンに駆け寄り、その背中をさすった。

 

「ヨハン、大丈夫か?」

 

 彼は首を縦に振るだけで答える。やがてゆっくりと背筋を伸ばしたヨハンの顔はすっかり蒼白で、その瞳は潤んでいた。

 

「アルフレッドと前になんかあったのか?」

 

「いや、違う。」

 

 ヨハンはものの見事にきっぱりと否定した。しかしその語気には、どこか人を寄せ付けようとしない雰囲気が漂っている。ゆっくりとレイは彼から離れた。試験の時、ジャンを止めたあの時以来、レイはヨハンとどこか溝を感じるようになっていた。昔から感じていた人を拒絶するような雰囲気を、一層感じ始めたのである。

 

「な、何かあったら俺に言ってくれよ?」

 

 ただ掠れた声でヨハンは、大丈夫だ、と呟いた。

 

 

 

 始業十分前になったら起こしてくれ、と言ってすっかり眠りこけていたジャンをしっかりと無視して、フィリップは足早に教室棟群から外れた森へ入っていく。よく信用もならない同室の人間に頼むものだ、とフィリップは薄い唇を歪に曲げてほくそ笑んだ。まだ朝の早い時間だからか、太陽の光は針葉樹に阻まれて殆ど届いていない。ふと、フィリップの耳元に空を切る音が届いた。そちらに腕を伸ばすと、物凄い勢いで彼の腕に紐状のなにかが巻き付いた。

 

「おいおい、ガイダンスからこれかよ。」

 

 焦りと呆れを通り越したため息をつく。どこからともなく飛んできた軍刀を避けて腕に巻き付いた紐をそれに切らせた。ニヤリと笑うや否や、フィリップは思い切り突き飛ばされた。腹に衝撃を受けて、背中から幹に叩きつけられる。目の前にいつの間に立っていた巨漢は、狼のような瞳でフィリップを見下げて無感情に言い放った。

 

「ゼロ点だ。」

 

「抜き打ちかよ……。」

 

 立ち上がって尻についた土を払い、フィリップは赤褐色の髪の男を見上げる。恐らく、寮生一年でこの男と真っ向から向き合う事のできる生徒はフィリップ一人くらいであろう。

 

「名前は。」

 

「フィリップだ。あんたはロベルト中佐だろ?」

 

 幹に突き刺さっていた軍刀を抜いて、ロベルトはそれを鞘に収めた。

 

「この講義については知っているな。」

 

「勿論、その為に来た。どうせ、あんた毎年ガイダンスの時期はこの森の中ぼっちで生徒待ってたんだろ?」

 

 ロベルトは突き刺すような視線でフィリップを見たが、その口は動く事をやめない。

 

「なんだよ、さっさと始めるんなら始めろよ。ガイダンスはいらねぇ。」

 

 次はフィリップの番であった。腕を一振りすると、その手に白銀のナイフが現れる。もう一振りした瞬間、ナイフは宙を舞った。巨体に向かって放たれたナイフをロベルトは余裕の面持ちで叩き落とす。しかし、フィリップの口端は更に釣り上がるだけだった。ナイフはロベルトの足元で円を描く。

 

「暗い所じゃこの戦法は勝ったも同然だ。」

 

 しかし、ロベルトは力任せに足を後ろに引いた。糸の切れる音が森に響く。

 

「評価はする。だが及第点にも及ばん。」

 

 ロベルトは地を蹴った。

 

 

 

 窓から見える森の鳥達が突然空へ羽ばたいた。履修試験の紙を前にして、レイはその鳥達をぼんやりと見つめている。鉛筆を置いて、一息ついた。辺りからはまだペンを動かす音が響いているが、レイはもう見直しを三度程終えたところであった。青というよりは少し白い空を眺めていると、後ろからやってきた試験監督の軍人に頭を叩かれる。レイは首だけを後ろに巡らせた。入れ違いで前を行く軍人は、答案用紙の上を人差し指で叩く。その音を打ち消すかのように、軍人は声高らかに言った。

 

「もう三十秒で終了だよ。」

 

 鉛筆の走る音が更に早くなっていく。レイが先程示された所を見ると、自分の名前を記入し忘れていた。顔を上げると、バスカヴィルが悪戯っぽく微笑む姿が目に入る。急いで名前を書き終えると、終了のベルが鳴った。

 

「それでは後ろから前に……いや、面倒だから皆前に持ってきなさい。合格者は一週間後にこの教室に張り出すから、自信がある人はきちんと見るんだよ。」

 

 士官生達は口々になにか言い合いながら、講師である元帥に答案用紙を渡して教室を出て行く。最後に残されたレイは、というよりわざと残ったわけだが、答案用紙を持ち、鞄を肩に掛けて急いで前へ下りていく。

 

「ありがとう父上。」

 

 用紙を差し出すと、バスカヴィルはかけていた眼鏡を外して答案を受け取った。

 

「こういう時にだけ父上と呼ぶのはよしなさい。」

 

 レイは鼻で微笑んで教室から出ていこうとするが、バスカヴィルはその背中を呼び止める。声は家族に向けたものではなく、至極事務的な声であった。

 

「この講義を取るという事は、君は将軍志望かな?」

 

 初めて聞いた声であった。少なくとも、個人に向けられたものとしては。レイは振り返ろうとしてやめ、背中を向けたまま頷く。

 

「一応、今の所は。」

 

 そう、とバスカヴィルは素っ気なく言った。それ以上、会話は続かない。再び教室から一歩踏み出そうとして、レイは思い留まった。軍人になるまで聞かないと心に決めていたが、やはり気になって仕方がなかったようだ。

 

「なぁ……ジャンは、なんで士官学校に入ったんだ?」

 

 万年筆のキャップを閉める音が響く。バスカヴィルは答案用紙をまとめてファイルに入れると、一つ大きくため息をついた。一向に口を開こうとしない父親に痺れを切らして、レイは振り向く。バスカヴィルは、既にレイの方を向いていた。

 

「レイ、彼はね。家も財産も、家族も捨てて、君達を……友情を選んでくれたんだよ。」

 

 目を見開いた時は既に、バスカヴィルはレイの横をすり抜けて教室を出ていく。レイはそのまま立ち尽くしていた。最後にもう一言、父親が言った言葉が彼の耳に反響する。

 

「だから大切にしなさい。君達は、ジャンなしでは決して生きていけないよ。」

毎日夜0時に次話更新です。

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